2019-01-01から1年間の記事一覧
ランキング参加中歴史 <デタラメ記述> 古代の日本には、もともとカササギは生息しなかったと考えられる。「魏志倭人伝」も「日本にはカササギがいない」と記述している。 種禾稻紵麻 蠶桑 緝績出細紵縑緜 其地無牛馬虎豹羊鵲 兵用矛盾木弓 木弓短下長上 竹…
ランキング参加中歴史 今から2000年以上も前の秦の始皇帝や、諸葛孔明らが活躍した三国時代、古代中国の人口は2000万人。古代中国の最盛期といわれる唐王朝時代でも、人口は5000万人。 陳寿は2000万人から選ばれた逸材。西晋に仕えた。司馬炎(武帝)にその…
ランキング参加中歴史 著名な歴史学者・研究者ほど、自己防衛本能が働き、異論を唱えたがる現状は見苦しい。 12 其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 自郡至女王國 萬二千餘里 其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 自郡至女王國 …
ランキング参加中歴史 <注釈> 西晋が古代からの習わしで、前朝廷の魏國の記述を正史として陳寿が記述したものである。 浅知恵学者、研究者、小説家も含めたんなる紀行文的に捉えでたらめ論法をとなえている方がおかしい。 ここまでの記述が魏志倭人伝の前…
ランキング参加中歴史 【制詔 親魏倭王卑弥呼】を賜る以前は邪馬壹國 <注釈> それ以後、卑弥呼、仮政権=イザナギ、壹與、イザナギ~鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)~神武天皇)古事記、日本書記へ記述されるが、原文は正史なので正しいいが…
ランキング参加中歴史 南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳鞮 可七萬餘戸 <邪馬壹國への到着日と歓迎行事日> 壬子(みずのえね、じんし)=西暦232年4月29日~5月4日 4 月 29 日 邪馬壹國、到着日 <注…
ランキング参加中歴史 南至投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸 <所在地> 陳寿の記述で実測距離は経典(四書五経)の漢文(借字)特殊文法活用で実測距離は積算算出して表れます。 <当方のブログを閲覧してくださるみなさまへ> 現在に於…
ランキング参加中歴史 東行至不彌國 百里 官日多模 副日卑奴母離 有千餘家 <所在地> 陳寿の記述で実測距離は経典(四書五経)の漢文(借字)特殊文法活用で実測距離は積算算出して表れます。 東行至不彌國の所在地は現在の朝倉市(小石原川東側)、うきは…
ランキング参加中歴史 07 東南至奴国 百里 官日兕馬觚 副日卑奴母離 有二萬餘戸 <所在地> 陳寿の記述で実測距離は経典(四書五経)の漢文(借字)特殊文法活用で実測距離は積算算出して表れます。 神埼郡から東南の國境が筑紫川支流の宝満川合流地点(福岡…
ランキング参加中歴史 魏志倭人伝、長里、短理の論争は馬鹿げている、東南陸行 東南陸行 五百里 到伊都國到伊都國の 五百里 露田(田んぼ)の面積で距離ではない。 魏志倭人伝は単なる紀行記述ではない、魏國による倭國(属國)に対して税を課すための国税調…
ランキング参加中歴史 約37万字に及ぶ『三国志』(それに付けられている裴松之〔372~451年〕の注は、本文に匹敵する約36万字)のすべてに目を通すだけではなく、陳寿の世界観を形成している儒教の経典(四書五経)に通じなければ分からない)と述べている。…
ランキング参加中歴史 東京大学、京都大学の歴代大学教授、その他の大学研究者等の浅知恵による解釈、読み下しは日本古代史の大罪であり、読む価値はない。 唐時代以後、この文法は中国においても時代の背景が影響し消滅したと思われる。 近代の漢文解釈では…
ランキング参加中歴史 歴史学者、魏志倭人伝を誤訳する大学教授、研究者の浅い誤訳著作物が氾濫は目に余る、古事記、日本書記、万葉集、甲骨文字も同様である。 倭人在帶方東南大海之中 依山㠀為國邑 舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國 <誤訳定説> …
ランキング参加中歴史 日本の歴史学者、研究者から異説が発表されないことが異常である、そもそも古事記、日本書記に記述されている歴代天皇の年齢を解読できないのだから無理かもしれない。 <注釈・解読> 古代史記で漢字圏に於いては表音音読漢字が採用さ…
ランキング参加中歴史 古事記、日本書記の編纂時に三国志、魏志倭人伝の写本を入手していたと考えられる、日本書記の記述で氣長足姬尊 神功皇后の章で魏志云として記述。 陳寿の魏志倭人伝ではイザナギ、スサノオの人格、人間性を強く批判している、狗奴國の…
ランキング参加中歴史 「日下」を(表音=玖沙訶=クサカ、キュウシャカ、「帶」を多羅斯=タラシ)になります,玖沙訶=「日下」=クサカ、解読が誤訳のため無理な表音の通説です、おかしいと思わないことが不思議です。 古事記の記述で前文では表音、音読み、訓…
ランキング参加中歴史 お粗末な解釈銘文の刀を後生大事に棺に入れるだろうか。 意味不明解釈 治天下獲□□□鹵大王世奉事典曹人名无利弖八月中用大鉄釜并四尺廷刀八十練九十振三寸上好刊刀服此刀者長寿子孫洋々得□恩也不失其所統作刀者名伊太和書者張安也 <誤…
ランキング参加中歴史 大学教授や歴史研究者は解読できないと、官職名、個人名として位置づけて、深層の意味をくみとらないヒドイ定説。 漢文解読で解読できない漢字を自己都合で飛ばしてしまう学会の手法は目を覆うものがある。 <誤訳定説> (表)辛亥の…
ランキング参加中歴史 「其児名加差披余其児名乎獲居臣世々為杖刀人首奉事来至今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也」 <注釈> 国府は市川市国府台付近に置かれ国級は大国に位置づけられた。 国府付近には国庁のほかにも国…
ランキング参加中歴史 野馬台詩は西暦479年 宝誌記述 六十一歳、漢文特殊文法で表れる積数になります。 【野馬台詩】 難読詩とされている史記です。 (野馬臺詩、耶馬台詩、やまいつし、やまたいし)は、平安時代から室町時代に掛けて流行した予言史記の説。…
ランキング参加中歴史 吉野ヶ里遺跡の出土品の中から見つかった弥生時代中期の硯と研石とみられる石板。 魏志倭人伝、漢文特殊文法の解読 倭地温暖 冬夏食生菜 皆徒跣 有屋室 父母兄弟卧息異處 以朱丹塗其身體 如中國用粉也食飲用籩豆手食 倭國の地は温暖で…
ランキング参加中歴史 古代史記は魏志倭人伝も含め表音文字(借字)文法 漢文史記には漢文特殊文法が採用されています、この漢字特殊文法は殷時代の甲骨文字(漢字変換)でも採用されており、古代中国は唐時代の末期で消滅、日本では奈良時代(西暦720年)頃…
ランキング参加中歴史 神武天皇の年齢と欠史八代説、古事記、日本書記の誤解釈で提唱する学者、研究者に問題があると考えられます。 そもそも学者、研究者が誤解釈して論争すること自体が滑稽に思えます、20文字にも満たない漢文を解読できず、現在に至って…
ランキング参加中歴史 神獣鏡の解読 Ⅲ 赤烏元年五月廿五日丙午造作明竟百錬清銅 服者君候宣子孫寿万年 <注釈 > 狗奴國連合(伊邪那岐、須(素)佐能袁命)魏志倭人伝の記述に名前の一字で記述されています。 官有(伊=イザナギ)支馬の馬術 一番最初の記…
ランキング参加中歴史 神獣鏡の解読 Ⅱ 景初四年五月丙午之日陳是作鏡吏人△之位至三公母人△之保子宜孫寿如金石兮 景初四年五月丙午之日陳是作鏡吏人銘之位至三公母人銘之保子宜孫寿如金石兮 <注釈 > 景初四年五月=実在しない年号について、邪馬壹國は自衛…
ランキング参加中歴史 景初三年陳是作鏡自有経述本是京師杜□□出吏人□□□(位)□(至)三公母人?之保子宜孫寿如金石 景初三年陳是作鏡自有経述本是京師杜地命出吏人銘之位至三公母人銘之保子宜孫寿如金石 最悪は「陳是作鏡」陳是が個人名、鏡を作った師=職人…
ランキング参加中歴史 周時天下太平 越裳獻白雉 倭人貢鬯草 食白雉服鬯草 不能除凶 <仮説注釈> 周の都、洛陽に朝貢するには帆走船が不可欠で400名と朝貢の献上品を含めると5艘(そう)が必要と思われる。 現在に於いても、韓国、北朝鮮を経由して通過する…
ランキング参加中歴史 隅田八幡神社人物画像鏡 漢文史記の表音(音読み)文字(借字)が狭義の当て字に当てての解読となる。 「癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟」 西暦563年(癸未年) …