魏志倭人伝 卑弥呼 古事記 日本書記 万葉集 甲骨文字 以音 五経基軸文法による解読

漢文史記は五経文法が採用されています、この五経文法は殷時代の甲骨文字(漢字変換)でも採用されており、古代中国は唐時代の末期で消滅、日本では奈良時代(西暦720年)頃で消滅して現在に至っています、この漢文史記を一字一句解読したブログになります。

魏志倭人伝 里を何が何でも距離にする学者・研究者・小説家・愛好家にはあきれ果てる。(里⇒距離×大誤訳)・面積。

著名な歴史学者・研究者ほど、自己防衛本能が働き、異論を唱えたがる現状は見苦しい。

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其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 自郡至女王國 萬二千餘里

 

其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 自郡至女王國 萬二千餘里は狗奴國の領地面積

 

壬子(みずのえね、じんし)=西暦232年4月29日~5月卯日

 

<解読>

其南有狗奴國男子為王=其、南に有り、狗奴國で男子の王(注 イザナギ)が統治。

<所在地>

邪馬壹(臺)国より、南に六十里

60里×0.444km=26.4km

熊本県菊池市(邪馬壹(臺)國の國境~熊本県菊池市近郊)

其官有狗古智卑狗不屬女王=(其=その)國は官位を有し、いやしい老年の官が物事を処理している、狗奴國は(卑弥呼)女王國には不属である。

官= 1 (借字=坎日=5月の卯 (う) 。=日=にち=不明)母倉日 ※ 旧暦法でこの時代の卯の日が不明。

官= 2 官職。

狗古=いやしい老年。

卑=卑弥呼の略。

自郡至女王國 萬二千餘里=自らの女王國の郡をおき、國の領土は一萬二千餘里。

萬二千餘里=自郡至女王國の領土面積。距離ではありません。

餘=実測検分測量をしていないので、餘を記述する。

 

<注釈>

この一章節は批判的な記述とります、イザナギの統治する國で狗奴國の女王國。

積数、一萬二千里=大牟田市の北側を除く。(堂面川以南)大牟田市(面積、81.45km2-18.80km2)+荒尾市(面積、53.37km2)を合わせた面積(郡は別)=120.00km2

 

※ 東京都の場合は大田区・世田谷区を合わせた面積と同等。

 

<狗奴國の軍隊兵員数>

積数、十六萬兵(160,000兵)

 

陳寿の記述で実測距離は経典(四書五経)の漢文(借字)特殊文法活用で実測距離は積算算出して表れます。(面積=露田=伊都國・奴國、不彌國・狗奴國ー領地)

1 距離

2 面積

3 兵数

 

<注釈>

陳寿の記述で(餘)の使い方。

倭國に魏國の遣使として赴任するまでの行程距離に関しては□□□餘里、面積(露田)の実測値⇒□□□里⇐面積。

又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國 官亦日卑狗 副日卑奴母離 方可三百里 多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴

※ 例外⇒方可三百里⇒島の海岸線長を実測しているので距離でも餘は記述していません。

※ 一萬二千餘里。⇒実測していない。 

※  自郡 

<説明>

ぐんけん‐せいど【郡県制度】

中国の中央集権的な地方行政制度。全国を皇帝の直轄地として郡・県(時代によって名称は異なる)に分け、中央から役人を派遣して治めさせたもの。春秋時代に萌芽が見られ、紀元前二二一年、秦の始皇帝が全国的に施行。のち二千年にわたり行なわれた。

 

<要約>

その南60里に狗奴國が有、男子(為=統治する。)王、その國の官職は卑しい老年で、卑弥呼女王國には不属。自群の女王國の領地は一萬二千餘里。

 

陳寿の記述により魏志倭人伝が編纂され、序章としてイザナギスサノオの批判が始まります。>

※ 第一弾がその國の官職は卑しい老年で、卑弥呼女王國には不属。後半記述は強烈な批判になります。

※ これが古事記・日本書記の編纂時に問題となり、削除される要因になりました、(氣長足尊 神功皇后記)に三文節記載されていますが、

古事記の序文に直接中国とは名指しで説明していませんが、批判の多い史記は記述しないと書かれています。この記述部分は、すべての学者が解読できていません。

 

※ 古来より、時の政権に都合の悪い史記は記述から削除されていると思われます。

 

<事例>

浅知恵学者の解読例と異なる正しい解読。

<解読>

隋書/卷81

倭國

派遣第一回 開皇20年(600年)

開皇二十年、倭王姓阿每字多利思比孤號阿輩雞彌遣使詣闕。

倭王姓阿每字(表音仮名/借字)=倭王=わおう=倭國の王。姓阿=せいあ=井蛙=井戸の中にいるカエル。見識の狭いこと。每字=まいし=昧死=死をかえりみず、あえて申しあげること。中国で古来、上奏文に用いられる語。

多利思北孤(表音仮名/借字)=多=た=多くの。利=り=吏。思=し=之。北孤=はいこ=這子=幼児の這い歩く姿をかたどった人形。

孤號阿輩(表音仮名/借字)=孤號=ここう=股肱=「股肱」で手足の意》主君の手足となって働く。阿=あ=おもねる。こびる。へつらう。輩=はい=やから。ともがら。仲間。同類。群れ。

雞彌遣使詣闕(表音仮名/借字)=雞=けい=鶏。彌=み=見=みる。みえる。遣使=けんし。詣=けい=いたる。おとずれる。ゆく。到着する。闕=けつ=宮殿。宮城。天子のいる所。

 

隋書/卷81 参照

https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%9A%8B%E6%9B%B8/%E5%8D%B781?uselang=ja

12↑ 多利思比孤 「比」原作「北」,據北史倭國傳、通典一八五、通鑑大業四年改。下同。

※ 比=ひ=解読できません。

<通説>

「俀王姓阿毎字多利思北孤 號阿輩雞彌」とあり、姓は阿毎、字は多利思北孤、号は阿輩雞彌という

姓は阿毎(あめ)、(毎=まい・ばい)としか音読みしない、めとは読まない。字は多利思比孤(たりしひこ)。

※ 解読できないと、王の名前・官職等にこじつける通説を納得しているのか疑問を呈す。

 

<要約>

倭國の王は井の中の蛙である、多くの吏は幼児のように這いつくばる人形のようである。

倭國の王に手足となって働きへつらうやからは、鶏に見える遣使が宮殿に到着する。

 

※ 日本書記から第一回の遣隋使の記述を抹消。

※ 奈良時代の初期までは五経文法を解読できたが、それ以後は消滅のため解読不可。

 

<通説による刷り込みに毒されている閲覧者の皆様へ>

伊勢王(いせおう)⇒どこの王なのか、永遠に探しつづけるのもいいかもしれない。辞書では?-? 飛鳥(あすか)時代の官吏。

 

<解読>

伊勢王表音仮名(借字)プラス再音読文字=伊勢=いせい=為政=政治を行うこと。勢王=せいおう=聖王=徳があり立派な政治を行う王・君主を意味する。

伊勢王の次にくる漢字(王薨=おうこう=王公。薨=皇族または三位以上の貴族の死去をいう語。)誄=るい=日本古代以来、貴人の死を哀悼し、生前の功績・徳行をたとえ、

追憶する弔辞。 誄詞(るいじ)とも呼ばれる。 大王(天皇)には殯宮で奏され、功臣の棺前にも賜ったものである。

與=よ=あたえる。(王大=おうだい=王代=帝王が治めている時代。

※ 何時の世も同じである。