東行至不彌國 百里 官日多模 副日卑奴母離 有千餘家
<所在地>
陳寿の記述で実測距離は経典(四書五経)の漢文(借字)特殊文法活用で実測距離は積算算出して表れます。
東行至不彌國の所在地は現在の朝倉市(小石原川東側)、うきは市、日田市、久留米市 東櫛原町(久留米大橋下河川敷グランド近郊、反対河川(筑紫川本流域に合流する宝満川、陣屋川地点の反対側(筑紫川南側(久留米市)が國境で南側が投馬國。
南側境、投馬國との國境は高良大社~東に筑紫川に直線を引いた線上が領土(以北が伊都國)
<解読>
東行至不彌國=東行、不彌國に至る。
百里=露田(田んぼ)、百里=現在の18ホールゴルフ1施設(30萬坪)
<誤解読>
官曰多模、副曰卑奴母離=官は多模(たも)という。副は卑奴母離(ひなもり)という。=官職ではありません、
この後も通説では官職としていますが、でたらめ解読で日本史の計り知れない汚点です。
<解読 積数算出日時 1>
4月20日、4月22日
<解読 漢文(借字)読下し 2>
多模=多くの(模=ぼ=捺染(なっせん)
卑=自分をへりくだっていうことば。
奴=(表音借字)=ど=土=領地。(注=漢字の(表音借字)は特殊文法活用で積算算出に影響します、
漢字一句の場合の意味、熟語として記述されている場合で奴の場合(音読み=ぬ、ど)2種の音読みがあり、文脈をよみとり解読します。
母=も(借字)=莫=くれ。夕暮れ。日暮れ。夜。
離=り=はなれる。
<注釈>
(家=卑弥呼の一族を表しています)不彌國は背後に現在の日田郡に存在した金鉱山を有していました、北西に向かうと伊都國(都)の領地と思われる(現=武雄市=波佐見水銀鉱山)
後の記述ででてきますが、(辰砂=朱=顔料)(金=金絲)等を生産し、奴婢を使い養蚕、絹織物を産業として魏國の朝貢献上品、裸國=シャム國、黒歯國ペルシャ國等に輸出していたものと思われます。
有黑齒之國 帝俊生黑齒 姜姓 黍食 使四鳥
殷時代の帝俊=諡号=丁旬の記述。
黑齒國在其北 爲人黑 食稻啖蛇 一赤一青 在其旁 一曰 在豎亥北 爲人黑首 食稻使蛇 其一蛇赤 下有湯谷 湯谷上有扶桑 十日所浴 在黑齒北 居水中 有大木 九日居下枝 一日居上枝
山海経の記述実測距離は経典(四書五経)の漢文(借字)特殊文法活用で実測距離は積算算出して方位を確認して解読。
東行至不彌國 百里 官日多模 副日卑奴母離 有千餘家
<解読>
東行至不彌國百里官日多模副日卑奴母離有千餘家=東行、不彌國に至る百里、4月20日、4月22日夕暮れに離れる。(一族なので戸ではなく家になり、千餘家。)
多模=多くの(模=捺染(なっせん)などに使うための、模様を彫りぬいた木。)麻、正絹の染色版木を奴婢が彫刻していた。
<鉱山>
鯛生金山(たいお)…金・銀・銅・鉛
白水晶=玉=古くは玻璃(はり)と呼ばれて珍重された。
璧(へき)は古代中国で祭祀用あるいは威信財として使われた玉器。 多くは軟玉から作られた。 形状は円盤状で、中心に円孔を持つ。
<邪馬壹(臺)國の所在地論争>
五百里、伊都國、百里 奴國、百里、不彌國=露田(田んぼ)の面積で距離ではありません。
露田(田んぼ)面積合計は七百里
魏國に対して邪馬壹(臺)國の自己上申は=露田(田んぼ)面積合計は七百里、伊都國、奴國、不彌國で実測検分した後に(自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶、記述)
次有巳百支國~次有奴國 此女王境界所盡まで21ケ國の記述は魏國の天子に上納する倭國の国税調査報告書の記述。
邪馬壹(臺)國の自己上申に間違いはないと記述しています、詳細は、この一小節の記述を投稿した際に述べます。
魏志倭人伝の陳寿の記述は表音漢字(借字)特殊文法で表音漢字活用や論語活用の引用を用いた記述で成り立っている。
積算算術もその中に含まれ七百里を表すためにこの文法を手法として採用しています。
陳寿が記述した時代は魏國→晋國時代ですが、いずれも属國からの税を取る國なので重要な記述と思われます。
安易に解読できないような漢文記述になっています。
現在に置き換えると、PCにパスワードを入力しないと開かないようになっています。
<注釈>
後世の奈良時代以前、奈良時代に朝廷の部として馬飼部=諜報機関の存在があり、手紙(重要文)送り解読するにはこの手法がつかわれたと思われる。
<部民制>
王権への従属・奉仕、朝廷の仕事分掌の体制である。名称は中国の部曲に由来するともいう。
例としては語部・馬飼部などがある。語部は、伴造(とものみやつこ)である語造(かたりべのみやつこ)氏に率いられ、古伝承を語り伝え、宮廷の儀式の場で奏上することをその職掌とした。
例としては王族・額田部女王に属した額田部、豪族・蘇我臣や大伴連・尾張連に属した蘇我部や大伴部・尾張部などがある。
ただし後述のように、朝廷に対する奉仕を媒介として設定される点では職業系の部と通底している。
<重要秘密文書の解読係>
陰陽師(おんみょうじ、おんようじ)は、古代日本の律令制下において中務省の陰陽寮に属した官職の1つで、陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)及び地相などを職掌とする方技(技術系の官人。技官)として配置された者を指すが、陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)及び地相などを職掌とする方技(技術系の官人。技官)として配置された者を指す。
<まとめ>
陳寿は倭國の地理を知らない、誤字記述、方位がでたらめ、浅い研究を広める学者、解読できない研究者、きりがない。
自己解釈に都合の良いでたらめ研究論文を引用して講演している現状は滑稽である、漢字の一字一句を解読できない学者、研究者たちの馬鹿げた論争。
再度のブログ投稿記述の抜粋
01 魏志倭人 (1 伝倭人在帶方東南大海之中)(2 從郡至倭 循海岸水行 歴韓国)(3 始度一海 千餘里 至對海國) 国税調査検分報告の記述書である。
日本書記
氣長足姬尊 神功皇后
武內宿禰爲太子答歌之曰、
許能彌企塢 伽彌鶏武比等破 曾能菟豆彌 于輸珥多氐々 于多比菟々 伽彌鶏梅伽墓 許能彌企能 阿椰珥 于多娜濃芝作 沙
<概略解読>
<要約>
倭國の遠い古代の道義・学問・文化を軽侮のたぐいでこわしている(批判)を付け加えた正史である、祖師の示した教えで旅立ちで渡唐し入手したが、昔の書で月日を経ている。
<要約>
ここに、中国から自分と自分以外の者が持ち帰った正史はるか昔でこれはえこひいきするものである。
<要約>
正史は本来知識を得させ、その教養が増すことを手本として要素にしたものである、遠い古代の道義・学問・文化を欺く正史にしてはならないが野次の正史である。
<要約>
ここに、多くの正史をまとめて上梓するに当たり、良いものと悪いものを選り分け写す、上巳=陰暦3月初の巳の日,3月3日。
<注釈>
魏志倭人伝はイザナギ神、神スサノオを強烈に批判、どうしようもない、生まれ変わった方が良いとこき下ろしているので古事記、日本書記の編纂に際し記述できない。
古事記、日本書記の編纂に際し,安萬侶,稗田阿禮 獻上
<通説>
神功皇后(二十七)此の御酒は 吾が神酒ならず
現代語通説、記述に与えしない
<当方のブログを閲覧してくれるみなさまへ。>
江戸時代から解釈されている読下し文に疑問を抱きませんか、中国、日本でも重要書類、議事録、手紙でも年月日を記述しないと常識がないと問われます。
陳寿が記述した正史(魏志倭人伝)の多く記述節には年月日が明確な記載ありません、それを認めた魏國、晋國の天子が馬鹿なのか、極楽トンボなのか。
それとも、江戸時代から解釈されている読下し文が誤訳なのか、記述に年月日が隠されて居るのか、深く掘り下げて研究することが学問と思うのですがどうでしょうか。
通説の読下しは正しいのか疑問をもちました。額田王の詩を漢字一文字の意味を羅列してから熟語の意味も検索し、当確する漢字では見当たらないので、PCにひらがな入力を行い当確する(仮借)漢字を引用して徐々に解読がすすみました。
額田王のある詩に(漏刻=水時計)の記述があり、解読しましたが文脈理論として刻の知らせ方と、一日に何回(太皷、鐘)を鳴らすのかと疑問をもちました。
試行錯誤を繰り返し、一定の文法を当てはめると48刻(積算算出)が現れました。
<漏刻 コトバンク参照>
https://kotobank.jp/word/%E6%BC%8F%E5%88%BB-152387
記述解読を進めていくと、額田王は詳細に漏刻製作説明を記述していました、現存している天智天皇の漏刻の図を精査して漢文(仮借)文字が当てはまるか確認しました。
余りのも綿密に記述されているので大変驚きました。
天智天皇の漏刻の図
http://www.kodokei.com/la_011_3.html
<当方が漏刻図の画像検分としての疑問が湧く>
通常、日本では昼(日)、夜といいます、夜、昼(日)とは言いません。漏刻の落差を付けた水箱名称(夜天地→日天地)となっています、(日天地→夜天地)にしなかったのか。
理由が判明いたしました、(夜天地→日天地)に命名しないと詳細寸法が積算算出できないのです。
倭国、日本の史記ではこの特殊文法で多くの史記を解読して納得ができました。
本家の古代中国ではこの文法が通用するのかと思い、多くの古代中国(殷)甲骨文字(漢文変換)史記にあてはめると少し異なりましたが解読できました。
御多分に漏れず、解読している大学教授、研究者の解釈は?魏志倭人伝と同様。
陳寿の魏志倭人伝ではと挑戦、まったく解読不可能、(四書五経=仮借、論語)が使われていることに気が付きました、これは野馬台詩が西暦479年、宝誌記述 六十一歳。
漢文特殊文法の一章節が短文詩なので解読ができました、解読で判明したことは論語を織り交ぜていることでした。
異論、反論、疑問がありましたら、コメントをいただければ幸いです。