魏志倭人伝 卑弥呼 古事記 日本書記 万葉集 甲骨文字 以音 五経基軸文法による解読

漢文史記は五経文法が採用されています、この五経文法は殷時代の甲骨文字(漢字変換)でも採用されており、古代中国は唐時代の末期で消滅、日本では奈良時代(西暦720年)頃で消滅して現在に至っています、この漢文史記を一字一句解読したブログになります。

魏志倭人伝

卑弥呼の葬儀礼に弔問するために、魏国の公使を含め使節300人が海を渡ってやって来た。 18

東夷伝・魏志倭人伝の全体の記述からして通説現代訳はおかしいと思いませんか。だれともわからない封土作冢の記述訳、今回は倭国(邪馬台国)の朝貢と解釈。 陳寿⇒西晋に仕えた。司馬炎(武帝)にその才能を買われ、実績を踏まえ『三国志』を編纂。陳寿の死…

邪馬台国 卑弥呼  西暦239年6月死す。 魏志倭人伝の後記述で正始八年の翌年だと、でたらめ根拠で西暦248年、卑弥呼死す。17

つまみ食い歴史学者、愛好家のでたらめ解釈で持論をあたかも正統だと論じ続けている姿は知識が乏しいことで、自身を防御する行為は愚かである。 其死有棺無槨 封土作冢 始死停喪十餘日 當時不食肉 喪主哭泣 他人就歌舞飲酒 已葬 擧家詣水中澡浴 以如練沐 <…

魏志倭人伝  牛馬虎豹羊鵲はいない。馬鹿げた解読。一軍を率いる将軍の綿甲冑(貫頭衣)の背中の刺繡模様と邪馬壹国連合の負け戦の予感記述。

<デタラメ記述> 古代の日本には、もともとカササギは生息しなかったと考えられる。「魏志倭人伝」も「日本にはカササギがいない」と記述している。 種禾稻紵麻 蠶桑 緝績出細紵縑緜 其地無牛馬虎豹羊鵲 兵用矛盾木弓 木弓短下長上 竹箭或鐵鏃或骨鏃 所有無…

魏志倭人伝 貫頭衣 日本歴史の文明を後退させた学者(親鴨)の刷り込みで、(小鴨)の歴史愛好家が、その解釈を疑わない愚かなこと。

今から2000年以上も前の秦の始皇帝や、諸葛孔明らが活躍した三国時代、古代中国の人口は2000万人。古代中国の最盛期といわれる唐王朝時代でも、人口は5000万人。 陳寿は2000万人から選ばれた逸材。西晋に仕えた。司馬炎(武帝)にその才能を買われて、三国志…

魏志倭人伝 里を何が何でも距離にする学者・研究者・小説家・愛好家にはあきれ果てる。(里⇒距離×大誤訳)・面積。

著名な歴史学者・研究者ほど、自己防衛本能が働き、異論を唱えたがる現状は見苦しい。 12 其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 自郡至女王國 萬二千餘里 其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 自郡至女王國 萬二千餘里は狗奴國の領…

邪馬台国は幾内、奈良だと論じる学者、研究者、叉、四国と言い張る研究者はこの羅列した国々はどこにあるのか?

<注釈> 西晋が古代からの習わしで、前朝廷の魏國の記述を正史として陳寿が記述したものである。 浅知恵学者、研究者、小説家も含めたんなる紀行文的に捉えでたらめ論法をとなえている方がおかしい。 ここまでの記述が魏志倭人伝の前編部分と陳寿は捉えてい…

魏志倭人伝から古事記、日本書記へ移行する神武天皇及び、歴代天皇との整合性記述の検証

【制詔 親魏倭王卑弥呼】を賜る以前は邪馬壹國 <注釈> それ以後、卑弥呼、仮政権=イザナギ、壹與、イザナギ~鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)~神武天皇)古事記、日本書記へ記述されるが、原文は正史なので正しいいが、読下しは大罪誤訳であ…

10 南至邪馬壹國 女王之所都は福岡県八女市が卑弥呼女王國の中心部。

南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳鞮 可七萬餘戸 <邪馬壹國への到着日と歓迎行事日> 壬子(みずのえね、じんし)=西暦232年4月29日~5月4日 4 月 29 日 邪馬壹國、到着日 <注釈> 東洋の太陰太陽暦…

09 南行至投馬國の所在地、現在は久留米市大善寺駅、実測測定着地点の積算算出距離。

南至投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸 <所在地> 陳寿の記述で実測距離は経典(四書五経)の漢文(借字)特殊文法活用で実測距離は積算算出して表れます。 <当方のブログを閲覧してくださるみなさまへ> 現在に於いても、政権を担う公…

08 魏志倭人伝、東行至不彌國 百里 官日多模 副日卑奴母離 有千餘家 百里 露田 里は面積 Ⅲ。

東行至不彌國 百里 官日多模 副日卑奴母離 有千餘家 <所在地> 陳寿の記述で実測距離は経典(四書五経)の漢文(借字)特殊文法活用で実測距離は積算算出して表れます。 東行至不彌國の所在地は現在の朝倉市(小石原川東側)、うきは市、日田市、久留米市 …

07 魏志倭人伝、東南至奴国 百里 官日兕馬觚 副日卑奴母離 有二萬餘戸 百里 露田 里は面積 Ⅱ。

07 東南至奴国 百里 官日兕馬觚 副日卑奴母離 有二萬餘戸 <所在地> 陳寿の記述で実測距離は経典(四書五経)の漢文(借字)特殊文法活用で実測距離は積算算出して表れます。 神埼郡から東南の國境が筑紫川支流の宝満川合流地点(福岡県久留米市小森野と佐…

06 魏志倭人伝、東南陸行 五百里 到伊都國官日爾支副日泄謨觚柄渠觚有千餘戸 丗有王皆統屬女王國郡使往來常所駐 五百里  露田 里は面積 Ⅰ。

魏志倭人伝、長里、短理の論争は馬鹿げている、東南陸行 東南陸行 五百里 到伊都國到伊都國の 五百里 露田(田んぼ)の面積で距離ではない。 魏志倭人伝は単なる紀行記述ではない、魏國による倭國(属國)に対して税を課すための国税調査検分記述。 東南陸行…

05 魏志倭人伝 又渡一海 千餘里 至末盧國 長崎県平戸市 港 着岸。

約37万字に及ぶ『三国志』(それに付けられている裴松之〔372~451年〕の注は、本文に匹敵する約36万字)のすべてに目を通すだけではなく、陳寿の世界観を形成している儒教の経典(四書五経)に通じなければ分からない)と述べている。 魏志倭人伝の陳寿の記…

04 魏志倭人伝 又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國 甲骨文字の殷の時代から漢文記述の際に採用されている漢文特殊文法により記述されている。

東京大学、京都大学の歴代大学教授、その他の大学研究者等の浅知恵による解釈、読み下しは日本古代史の大罪であり、読む価値はない。 唐時代以後、この文法は中国においても時代の背景が影響し消滅したと思われる。 近代の漢文解釈では永遠に解き明かすこと…

01 魏志倭人 (1 伝倭人在帶方東南大海之中)(2 從郡至倭 循海岸水行 歴韓国)(3 始度一海 千餘里 至對海國) 国税調査検分報告の記述書である。

歴史学者、魏志倭人伝を誤訳する大学教授、研究者の浅い誤訳著作物が氾濫は目に余る、古事記、日本書記、万葉集、甲骨文字も同様である。 倭人在帶方東南大海之中 依山㠀為國邑 舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國 <誤訳定説> 倭人は在中していた大国…

00 魏志倭人伝 補足、中国の記述正史は倭國の批判が多いので、古事記、日本書記には引用しない編纂を行う。特にイザナギ、スサノオを強烈に批判している。

古事記、日本書記の編纂時に三国志、魏志倭人伝の写本を入手していたと考えられる、日本書記の記述で氣長足姬尊 神功皇后の章で魏志云として記述。 陳寿の魏志倭人伝ではイザナギ、スサノオの人格、人間性を強く批判している、狗奴國のイザナギにたいしては…

16 魏志倭人伝 邪馬壹(臺)國、徒跣(借字)=とせん=徒專(仕官の道を学ぶ所=学校、卑弥呼女王の設立)教育文化の真実解読、通説の虚偽誤訳の大罪 Ⅱ

吉野ヶ里遺跡の出土品の中から見つかった弥生時代中期の硯と研石とみられる石板。 魏志倭人伝、漢文特殊文法の解読 倭地温暖 冬夏食生菜 皆徒跣 有屋室 父母兄弟卧息異處 以朱丹塗其身體 如中國用粉也食飲用籩豆手食 倭國の地は温暖である、冬夏に関わらず生…

13 魏志倭人伝 邪馬壹(臺)國の農耕文化(稲作、害獣駆除の光景)真実解読、通説の虚偽誤訳の大罪 Ⅰ

古代史記は魏志倭人伝も含め表音文字(借字)文法 漢文史記には漢文特殊文法が採用されています、この漢字特殊文法は殷時代の甲骨文字(漢字変換)でも採用されており、古代中国は唐時代の末期で消滅、日本では奈良時代(西暦720年)頃で消滅して現在に至っ…