魏志倭人伝 卑弥呼 古事記 日本書記 万葉集 甲骨文字 以音 五経基軸文法による解読

漢文史記は五経文法が採用されています、この五経文法は殷時代の甲骨文字(漢字変換)でも採用されており、古代中国は唐時代の末期で消滅、日本では奈良時代(西暦720年)頃で消滅して現在に至っています、この漢文史記を一字一句解読したブログになります。

邪馬台国 卑弥呼  西暦239年6月死す。 魏志倭人伝の後記述で正始八年の翌年だと、でたらめ根拠で西暦248年、卑弥呼死す。17

つまみ食い歴史学者、愛好家のでたらめ解釈で持論をあたかも正統だと論じ続けている姿は知識が乏しいことで、自身を防御する行為は愚かである。

 

其死有棺無槨 封土作冢 始死停喪十餘日 當時不食肉 喪主哭泣 他人就歌舞飲酒 已葬 擧家詣水中澡浴 以如練沐

<解読>

1 其死有棺無槨封(表音仮名・借字)=其=き=その。それ。人や物事を指ししめす。其死=きし=気死=憤死すること。有=ゆう=叉。棺=かん=ひつぎ。無=む=無し。槨 =かく=ひつぎ。うわひつぎ。棺を納める外箱。無槨=むかく=確報=たしかなしらせ。

2 其死有棺(表音仮名・借字)=其死=きし=奇士=並はずれた器量の人。有棺=ゆうかん=勇敢=物事を恐れることなく積極的にしようとすること。勇気をもって事にあたること。また,そのさま。

3 死有棺(表音仮名・借字)=死有=しゆう=子游。棺=かん=観=目に映った印象。物事の様子・状態。目に映った印象。物事の様子・状態。

子游孔門十哲の一人。姓は言,名は偃(えん)。文学にすぐれ,武城(山東省)の長官となって礼楽を盛んにし,政治の刷新をはかったという。

論語』では魯の武城(現在の山東省臨沂市平邑県)の邑の長官を務め、礼楽を以て民を教化していたという記載がある(雍也第六)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E6%B8%B8

4 死有棺(表音仮名・借字)=死有=しゆう=蚩尤。棺=かん=観=目に映った印象。物事の様子・状態。目に映った印象。物事の様子・状態。

 

蚩尤(しゆう)中国の神話にみえる英雄神

 

封土作冢(表音仮名・借字)=封土=ほうど=古墳などの盛り土。作=さ=つくる。新たにこしらえる。冢=ちょう=墓。土を盛って作った墓。

<注釈>

儒教五経典に『易経』『書経』『詩経』『儀礼』『春秋』がある、この五経典を基軸に記述され、西暦239年6月卑弥女王死すも文法で隠されているが記述されています、解読されてみてはいかがですか。

喪礼⇒卑弥呼女王が崩御した際の葬送儀礼の記述。

喪礼⇒『儀礼』は周王朝(前1100頃~前256)の創始者であった周公が制定したものとされている。

<解読>

(冢)始死停喪十餘日(表音仮名・借字)=(冢)始=ちょうし=弔詞=死者を弔うことば。弔詞。始=し=始まり。死=し。停=てい=とどまる。とまる。喪=そう=服喪⇐ふくもの略語。十餘日=じゅうよじつ=十四日。

 

(死)停喪十餘日(表音仮名・借字)=西暦239年6月14日⇒五経文法(表音仮名・借字)で記述されています。

※ 停(表音仮名・借字)=てい=丁⇒丁憂 (憂は略字)⇒釈詁に「丁とは、当なり」とある。丁憂あわせて、憂(悲しみ)に遭うこと。服喪⇔丁憂

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%81%E6%86%82

※ 始死⇒荘子の生死観⇒魏・晋時代の文人の礼教道徳及び、後文節の(他人就歌舞飲酒)の狂は達に通じ儒教の概念の道理であると述べた記述。

當時不食肉喪主哭泣(表音仮名・借字)=當=とう=「当然~しなければならない」の意を表わす。當時=とうじ=悼辞=人の死を悲しみいたむ言葉。弔辞 (ちょうじ) 。

  • 葬送儀礼⇒布衣⇒植物繊維で織った布で作った衣服。昔、中国で、庶民は布 (ふ) の衣を身に着けた。死者にそれを着せ掛ける。

 

  • 不食肉喪主哭泣(表音仮名・借字)=不食=ふい=布衣。食肉=いじく=干した肉と塩辛と酒を死者の右側に供える。喪主=そうしゅ=遺族の代表として葬儀を執り行い、故人に代わって弔問を受ける人のことです。

哭(表音仮名・借字)=泣(表音仮名・借字)=哭=こく=哭礼の略⇒遺族は早朝と宵ごとに哭(こく)の礼を行なう。この礼は毎日行なう。婦人たちは、堂の上の定められた位置に並んで哭(こく)の礼を始める。喪主は、西側と南側と東側にならんだ弔問客たちに対して3度ずつお辞儀をし、右にまわって門を入りそのまま哭(こく)の礼を始める。婦人たちは、ふたたび哭(こく)の礼をはじめ、足ぶみをする。弔問客たちが退出すると、婦人たちは堂の上で足ぶみをする。喪主は彼らを見送ってお辞儀をする。喪主は弔問客たちにお辞儀をして見送り終ると、近親者たちに会釈する。おのおの、そこで定められた服喪の仮小屋に帰る。

哭泣(表音仮名・借字)=泣(表音仮名・借字)=哭泣⇒(注 倒語⇒崩御、歿の際に使われる文法)⇐泣哭=泣き叫ぶこと。

【中国古代の葬送儀礼

魂呼び・死亡通知と弔問・死者に衣服を贈る・死装束の準備・湯灌(第1日)・死者へ食べ物を捧げる・死者へ食べ物を捧げる・死装束の着衣と依代(よりしろ)・小斂(死者を衣服でくるむ)の用意・死者を衣服でくるみ縛ること・死者への供物。

 

柩を仮埋葬する・大斂 だいれん・柩を穴に納めること・大斂の供物・弔問客たちの退出・答礼・哭(こく)の礼・埋葬のための土地を占う。・埋葬のための土地を占う。・椁の準備・埋葬日を占う・柩を穴から出す。

 

柩を宗廟に移し、先祖の霊とまみえさせる・魂車と馬とを廟に引き入れる・贈物をする際の儀礼・埋葬の当日、出柩に先だって供物を供える・依代(よりしろ)を門外に運び出し、車馬と飲食物と副葬品とを並べる。

 贈物と副葬品のリストを読み上げる・埋葬。

<でたらめ通説解釈>

殯(かりもがり)する期間は十余日(かりもがり)する期間は十餘日、殯(かりもがり)の漢字・熟語はどこにも記述が無い。

一読して十餘日の殯期間で納得するが、短期間の殯はありえない。

練沐⇒通説造語 【注釈 練沐は存在しない熟語⇒格言・複合詞・合成詞・俚諺(ことわざ)・中国「2字の並び」という意味の「駢字(べんじ)】もありません。

 

其死有棺無槨 封土作冢 始死停喪十餘日 當時不食肉 喪主哭泣 他人就歌舞飲酒 已葬 擧家詣水中澡浴 以如練沐

<解読>

1 他人就(表音仮名・借字)=他人=た=ほか。別の。自分以外の。人=にん=ひと。就=じゅ=つく。つける。仕事や任務につく。

2 他人就歌(表音仮名・借字)=他人=たにん=親族でない人。人就=にんじゅ=忍受=耐え忍んで受け入れること。就歌=じゅか=樹下=樹木の下。じゅげ。

(歌)舞飲酒已葬(表音仮名・借字)=(歌)=か=うたう。節をつけてうたう。音楽にあわせてうたう。舞=ぶ=踊るのは「体を動かして心を落ちつかせ、気持ちを鎮めるため」

※ 『礼記』には、踊るのは「体を動かして心を落ちつかせ、気持ちを鎮めるため」とあり、また度数を決めるのはそれが過度にならないためとある。つまり儀式によって、抑えられた感情を発散する機会が与えられるが、それが行きすぎないように回数が決められたのである。

 

(舞)飲酒已葬(表音仮名・借字)=(舞)飲=ぶいん=音がしないこと。音が聞こえないこと。⇔無言。飲酒=いんしゅ=酒を飲むこと。已葬=いそう=埋葬。

 

擧家(表音仮名・借字)=きょか=炬火=たいまつ。かがり火。こか。

擧家詣(表音仮名・借字)=擧=きょ=あげて。こぞる。こぞって。みな。全部。家=か=一族。同じ血筋の人たち。詣=けい=もうでる 。神社・寺・墓などにお参りする。

 

(詣)水中澡浴(表音仮名・借字)=(詣)水=けいすい=渓水=谷川の水。谷川。水中=すいちゅう=水のなか。澡浴=そうよく=からだを洗い清めること。

 

(浴)以(表音仮名・借字)=(浴)以=よくい=浴衣=入浴の際、また、入浴後に身につける衣服。以=い=もちいる。使う。使用する。

 

如練沐(表音仮名・借字)=如練=じょれん=鋤簾=土砂・ごみなどをかき寄せる用具。長い柄の先に、竹で編んだ箕 (み) 、または歯をきざんだ鉄板を取り付けたもの。⇒櫛。

<注釈>

世界大百科事典内の箕の言及

み【箕】⇒【呪】より

…まじないはいわば目に見えない世界との交渉であるから,それを可視的なものに転換するために呪物がよく用いられる。民俗信仰においては,箕,ほうき,櫛,草履,臼,石,豆,米,針などの日常生活に深いかかわりをもつものが,その機能や形などの一部を抽象化して象徴的に利用されることが多い。穀物と塵芥をふり分ける箕は,この世と異界をふり分けるものであり,また塵芥を掃き出すほうきは赤子をこの世に出す呪物や長居の客を家の外へ出す呪物として使われ,さらに魔よけにも使われる。…

 

日本では古来、櫛は別れを招く呪力を持っているとされている。

 

<解読>

練沐(表音仮名・借字)=練=れん=喪服。一周忌のときに着る白い喪服。沐=ぼく=あらう。髪の毛を洗う。

<要約>

卑弥呼女王の死(崩御)、確かな知らせである。新たに陵墓を作っている、棺はあるが無槨である、並はずれた器量で物事を恐れることなく積極的にしようとする女王で、目に映った印象は(子游・蚩尤)のようだった。生は始で死に繋がり生となる。葬送儀礼(服喪⇔丁憂)西暦239年6月14日。死者に布衣を着せ、した肉と塩辛と酒を死者の右側に供え、哭(こく)の礼を行なう。魂呼び。

  • 子游・蚩尤⇐どちらの人・神を指しているのかはわかりません。已葬=いそう=埋葬にかがり火を焚く。一族。同じ血筋の人たちは、渓水でからだを洗い清める際に、浴衣を使用して髪の毛を洗い櫛で鋤いて白い喪服である。※ 古代中国の葬送儀礼で婦人は服喪、丁憂(ていゆう)⇒白い喪服で約2年間過ごすことが定められていた。弔問者20萬人魏志倭人伝「『三国志』の著者である陳寿(233~297年)の世界観や政治状況は、約37万字に及ぶ『三国志』(それに付けられている裴松之〔372~451年〕の注は、本文に匹敵する約36万字)のすべてに目を通すだけではなく、陳寿の世界観を形成している儒教の経典(けいてん)に通じなければ分からない」と述べている。

 

  • 裴松之〔372~451年〕
  • 供養(弔問儀礼者⇒他人就歌舞飲酒)⇒1萬人
  • 五経文法積算算出>
  •  
  • 自衛の任務以外の親族でない人は樹木の下で女王の崩御を耐え忍んで受け入れ歌舞飲酒している人や、無言で酒を飲んでいる人もいる。

新井白石本居宣長による誤解釈の功罪では済ませられない、でたらめ解釈を連々と引きずる歴史学者・研究者・愛好家等の知識が浅い著作書、講演会は愚かである。