魏志倭人伝 卑弥呼 古事記 日本書記 万葉集 甲骨文字 以音 五経基軸文法による解読

漢文史記は五経文法が採用されています、この五経文法は殷時代の甲骨文字(漢字変換)でも採用されており、古代中国は唐時代の末期で消滅、日本では奈良時代(西暦720年)頃で消滅して現在に至っています、この漢文史記を一字一句解読したブログになります。

10 南至邪馬壹國 女王之所都は福岡県八女市が卑弥呼女王國の中心部。

南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳鞮 可七萬餘戸

 

<邪馬壹國への到着日と歓迎行事日>

壬子(みずのえね、じんし)=西暦232年4月29日~5月4日

4 月 29 日 邪馬壹國、到着日

 

<注釈>

東洋の太陰太陽暦では月の日数である大小(大月30日、小月29日)が年により異なるため、4月29日までで4月30日は存在しない年もある。

 

5 月 1 日 官有伊支馬、2 日 次日彌馬升、3 日 次日彌馬獲支、4 日 次日奴佳鞮。

 

<邪馬壹國の所在地>

北側は筑後市九州新幹線の東側、(現)八女市みやま市大牟田市の北側。(堂面川以北)

金、銀鉱山=星野鉱山(八女市)が存在した。

※投馬國の役割が都護府とすると大牟田市の北側は狗奴國と隣接しているので、投馬國の領地と想定する。

※邪馬壹國は自衛防衛軍兵で防御すると考えると、邪馬壹國の領地

 

南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳鞮 可七萬餘戸

 

<解読>

南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月官有=南に至ると邪馬壹國で卑弥呼女王の所都有、水行10日、陸行一ケ月間。

<注釈>

前節の投馬國の(水行(借字)二十日=遂行二十日、国税調査機関)、(水行十日、陸行一月=魏國、都=洛陽~狗邪韓國~邪馬壹國までの行程期間の記述。

今までの通説読み下しは、五経文法が理解できないのでチンプンカンプンになり、大罪誤訳となる。

<注釈>

伊支馬=(狗奴國王=イザナギ)が馬術を披露、卑弥呼女王の血縁、叔父?。卑弥呼亡き後、(禅譲=帝王がその位を世襲せず、有徳者に譲ること。)迫り、イザナギ人間性を魏国の検使に問われています。

イザナギ倭国を自分の政権打ち立てようと、大戦を引き起こします、記述は後にします。

 

<注釈>

(狗奴國王=イザナギ)が馬術を披露、疑問を抱きませんか、次の次の記述の一章節で狗奴國は卑弥呼女王國に属さないと記載されています。

(狗奴國王=イザナギ)が魏國の使節団の歓迎の宴に馬術を披露をしています、邪馬壹(臺)國(那國)と対等’同等)と考えていたと思われます。

制詔 親魏倭王卑弥呼を正式に授与されていないことと、魏國に威厳を示すためですが、魏國の使者に嫌われます。

 

<解読>

有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳鞮 可七萬餘戸

初日、イザナギによる馬術披露、

有伊支馬=(注 1 有=ゆう=しめす、伊=い=イザナギの略字、支(借字)=し=差=し、(差馬=差し馬=馬術

 

次、2日目、馬頭琴、笙による演奏宴会、次日彌馬升=(注 2 次日=次日=次に日、彌=び=A意味=ひさしい。B(借字)美=び=うつくしい=美女による、馬=馬琴、升(借字)笙=ふえ。しょうのふえ。管楽器の一つ。 雅楽

中国の伝統音楽・楽器 【図説】

http://chugokugo-script.net/chugoku-bunka/ongaku-gakki.html

三国・魏・晋・南北朝時代の音楽

魏志倭人伝古事記、日本書記をまともに解読できないことで、おかしな歴史論法になる。

日本には奈良時代ごろに雅楽とともに伝わってきたと考えられている。

 

次、3日目、次日彌馬獲支=(注 3次日=次日=次に日、彌=び=A意味=ひさしい。B(借字)美=び=うつくしい、馬で、獲支(借字)=かくし=獲之=鳥獣を捕らえる。=猟にゆく。 

 

次、4日目、次日奴佳鞮可=(注 4 次日=次日=次に日、奴=妓生 (きしょう)(佳=顔かたちが美しい。よい。美しい。立派。すぐれている。すばらしい。(鞮=鞮鼓の舞い)可=よい。よろしい。 

<注釈>

鼗鼓(とうこ、ふりつづみ)は、雅楽に使われる打楽器の一つです。

『文献通考』には、鼗として、麻・鞞・鞮とあり、料として鞀があり、同類の楽器のようです。

http://houteki.blog106.fc2.com/blog-entry-2595.html

<注釈>

妓女(ぎじょ)は、中国における遊女もしくは芸妓のこと[1]。娼妓、娼女という呼称もある[2]。歌や舞、数々の技芸で人々を喜ばせ、時には宴席の接待を取り持つこともあった。娼婦を指すこともある。

 

YouTube 動画参照>

黃真伊--ファンジニ

https://www.youtube.com/watch?v=ffk37mnfmI0&list=RD9BSpIvRiLHA&index=2

Hwang Jin-Yi

https://www.youtube.com/watch?v=4pOdvR6jaiM

 

<日本の古代史の大罪誤訳、すべての漢文史記も同様です。>

南すると邪馬台国(邪馬壹国)に至る。女王が都する所である。水行10日、陸行1月。官は伊支馬(いきま)が有る。

次いで弥馬升(みましょう)という。次いで弥馬獲支(みまかくき)という。次いで奴佳鞮(なかてい)という。推計7万余戸である。

浅知恵な歴史大学教授、研究者、講演会で勝手な論法を講演している研究者はこの程度調べてみてはいかがですか。

史記漢文の区切り(スペース区分の間違い。次日奴佳鞮 可七萬餘戸=次日奴佳鞮(区切り)可七萬餘戸⇒次日奴佳鞮可 七萬餘戸=次日奴佳鞮可(区切り)七萬餘戸。

原文には無い区切り、スペスを勝手に入れ通説解読しているので、正しい解読ができない。

 

<注釈>

A 七萬餘戸=戸主で人口数ではありません。戸主(男夫)=1人・婦人(多妻=1人~2人)・子供(2人)・奴婢(下僕、侍女、2人)=合計人数 6人

 

B 七萬餘戸=戸主で人口数ではありません。戸主(男夫)=1人・婦人(多妻=2人~3人)・子供(2人)・奴婢(下僕、侍女2人)=合計人数 8人

 

※ 邪馬壹國の人口は40萬人~56萬人、ブログ閲覧してくださる読者様も考えてみてください。食の観点から広大な露田(田んぼ)耕作地が無いと居住できません。 

※ 現在の地域では九州、筑紫平野、3世紀の奈良(幾内)では耕作面積が少なくむずかしい。離れた地域では関東平野

※ 寒冷地域で農耕できる品種米は3世紀(古代)にはありません。

※ 古代中国の魏國(黄河流域)は寒冷なので稲作ができないので倭國(邪馬壹國)属國から税として難升米(借字)なんしょうまい=南春米=なんしょうまい。を治めさせた。

春米=しょうまいPC辞書で検索してください。

※ 古代中国の南部(揚子江流域)は稲作をしていましたが、東シナ海の運搬は困難で揚子江黄河までの運河が完成して米の運搬が可能。

 

<まとめ、総合検証>

邪馬壹國の露田面積=七百里(700町歩=7000反(収穫量=現在は平均=7俵(玄米60kg×7俵)、古代の収穫量を6俵で計算すると42萬俵となります。

邪馬壹國の戸主の戸数を考慮して想定計算をする必要があります、、叉、計算上で3分類に分けてみました。

A 邪馬壹國(對海國、 一大國、 末慮國=自給自足國=8000戸主)

B 邪馬壹國(投馬國=20000戸主=邪馬壹國の都護をするために8州又は十三國で賄う。)都護府徳川時代の江戸詰めで江戸屋敷を築いて防護を行う行政と同じ仕組み。

C 邪馬壹國(伊都國、 奴国、 不彌國 、 邪馬壹國=那國=92000戸主)※ 奴國=奴婢を優遇しないと、反乱を起こすおそれがありますので、ここの分類に入れました。

※ 中国,漢の地方統治制度。前漢の高祖は初め一族や功臣を諸侯王国に封じて,封建制と郡県制と併用したが,これを郡国制という。

※ 邪馬壹國=那國も統治制度として、郡国制を実施して刺史(官大夫、大夫を派遣、率=3200兵、裨将=1600兵、校尉=800兵、)したのではないかと想定。

※ 上記のように想定しないと、米の収穫自給量では不足する、叉、邪馬壹國の属國、羈縻政策(きびせいさく)=吉備國から税(米)徴収を行ったと思われる。同様の政策が魏國から強要されている。

 

<邪馬壹國・邪馬臺國の記述名称の表音読み論争>

【実に馬鹿げている】

陳寿東夷伝魏志倭人伝)に記述した邪馬壹國=やまいちこく。(注 1 やまいこく、ブー、でたらめ表音読み、いと表音読みをすると五経解読が成立しません。)

 

五経表表音仮名の解読のヒント>

【事例】

音声認識(表内表音=+番号認識+積算算術で解読前提にたどりつきます。

New YORK,史 Goole Around 100里東京離旅乗人本社到→(通説の読下し=ニュウダブリュ、ヨーク、ゴオオレイ、これでは、音声認識ができません。

 

多くの学者、研究者の解釈は東京を離れニューヨークの本社まで100里、旅に乗人で到るとなります。

一般社会の報告書でも通用しません、ましてや正史ですよ。

 

【ニューヨーク・グーグル】と読下しすると、積数が表れ、加算すると100(里=表音仮名=離)

積算 1 が距離=100里で仮名表音が正しいことが証明されます。

積算 2 が実測距離の解読=ローマ字の大文字のみ積算=50×(乗=和算用語)(旅=軍事用語単位=500兵)=25000(数)×戯國の長里=0.43=10750km

N=10,E=0,W=0, Y=10,O=1O,R=10,K=10,,G=10,o=10,o=10,o=0,g=10,l=10,e=0,

ここまでの解読ですと、単にニューヨークのグーグル本社まで10750kmまでの解読で正史には適しません。

陳寿史記はこのように読み解きます、N=北、Go=行く。

人数は?=史表音仮名(注 今回は(止=止める)(N=10,E=0,W=0, Y=10,O=1O,R=10,K=10)=の積数は乗人数から除外。残り=10で10人の史=ふびと。記録をつかさどる役人。

 

 

<要約>

北回りで距離10750kmの旅でオビトが10人ニューヨーク本社に出航に到る。

 

<まとめ>

この五経を基軸と解読に到達した歴史学者(中国、日本を含め古代漢文史記)は皆無で、解読できず、我が国ではテニヲハ、オコト点、等で誤訳をして現在に至っています。

漢文史記のすべてが誤訳で原文は正確に記述されています。、

疑問、古代中国の正史は仮名表音が日本と異なる疑問が湧き、甲骨文字(漢文変換)で解読、その他の古代中国正史で解読をしてみました。

中国の表音と日本の表音はことなりますが、現在の中国人が中国語仮名表音でこの五経基軸文法活用の手法を使えば同じ解読ができると確信しています。

そこで、陳寿魏志倭人伝の解読に挑戦して、判明したことは、とても難解で五経の他に古代中国の歴史を紐解かないと、どうしてこの漢字が割り当てられているのか理解できませんでした。

ちなみに山海経はもっと難解。黒歯國の所在地を検証するために解読、通説とは全く異なる解読でした。ペルシャ國、距離検証、マングローブの大木記述有り。

 

邪馬壹國の四文字の漢字に陳寿武帝の記述、三国志以前の著作名称、益州の地方史である『益部耆旧伝』略歴等、倭國=九州の国々の名称等が凝縮されています。

通説で馬鹿げた論争がつづいているので邪馬壹國という名称をなぜ陳寿は記述したのか疑問をもちました、倭國と単に記述しなかったのか。

 

邪馬壹國の四文字に五経文法活用で記述され、現在ならば、デープランニング構成に、なっています。

國(表音仮名活用=こく=國・刻・玉・哭、(事例記述、乙丑(西暦245年)イザナギの仮政権時代、倭国より朝貢。【若者乍八卦藉写】=若者が八卦の書籍を写して哭=泣いて喜んだ。ということが隠れています。)

【制詔 親魏倭王卑弥呼】を賜る以前は邪馬壹國

 

※ 次、次 は後半記述になります、自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳 次有斯馬國~次有奴國 此女王境界所盡。戯國による税の徴収のための国税調査報告書。

 

※ 後半は格言、論語がちりばめられ、さらに難解になります。