魏志倭人伝 卑弥呼 古事記 日本書記 万葉集 甲骨文字 以音 五経基軸文法による解読

漢文史記は五経文法が採用されています、この五経文法は殷時代の甲骨文字(漢字変換)でも採用されており、古代中国は唐時代の末期で消滅、日本では奈良時代(西暦720年)頃で消滅して現在に至っています、この漢文史記を一字一句解読したブログになります。

00 魏志倭人伝 補足、中国の記述正史は倭國の批判が多いので、古事記、日本書記には引用しない編纂を行う。特にイザナギ、スサノオを強烈に批判している。

古事記、日本書記の編纂時に三国志魏志倭人伝の写本を入手していたと考えられる、日本書記の記述で氣長足尊 神功皇后の章で魏志云として記述。

 

陳寿魏志倭人伝ではイザナギスサノオの人格、人間性を強く批判している、狗奴國のイザナギにたいしては臆病で奴婢を扇動して戦をしかけている。

スサノオと同調して同盟を組み、人格については生まれ変わった方が良いとまで記述しています。

日本書記の記述で氣長足姬尊 神功皇后の章で魏志云として記述は批判されていない3章節。

<注釈>

魏國の時代、安東大将軍、司馬 昭にイザナミスサノオが頼って沖の島で公使を迎える(国産み)、西晋司馬炎、その後東晋時代の司馬一族の時代。

神功皇后(西暦366年~370年)

<原文>

宿禰爲太子答歌之曰

許能彌企塢 伽彌鶏武比等破 曾能菟豆彌 于輸珥多氐々 于多比菟々 伽彌鶏梅伽墓 許能彌企能 阿椰珥 于多娜濃芝作 沙

<通説誤訳>

読下 このみきを かみけむひとは そのつづみ うすにたてて うたひつつ かみけめかも このみきの あやにうただぬし ささ

解釈 此の御酒を 釀みけむ人は 其の鼓 臼に立てて 歌ひつつ 釀みけめかも 此の御酒の あやに 歌樂し 酒

上記の解釈では文脈からしておかしいい、魏志云として記述が突然記述されることが理解できない。

<解釈>

許能彌企塢 伽彌鶏武比等破 曾能菟豆彌 于輸珥多氐々 于多比菟々 伽彌鶏梅伽墓 許能彌企能 阿椰珥 于多娜濃芝作 沙

許能彌企塢=(注1許能=こどう=古道=古代の道義・学問・文化、彌=び=遠い)

伽彌鶏武比等破=(注1伽彌=かみ=加味=あるものに、別の要素を付け加えること)(注2鶏武=けいぶ=軽侮=人を見下してばかにすること)(注3等=とう=たぐい、破=は=やぶる。やぶれる。こわす)

曾能菟豆彌=(注1曾=そう=天子に申し上げること、また、その文書=正史)(注2曾能=そどう=祖道=祖師の示した教え、旅立ち)(注3菟豆=ととう=渡唐=唐土すなわち中国へ渡ること、入唐 (にっとう) =昔、日本から中国を呼んだ名。)(彌=じ=月日を経る=昔)

<要約>

倭國の遠い古代の道義・学問・文化を軽侮のたぐいでこわしている(批判)を付け加えた正史である、祖師の示した教えで旅立ちで渡唐し入手したが、昔の書で月日を経ている。

 

<解釈>

于輸珥多氐々=(注1于=う=ここに、輸=しゅ=輸入=正史)(注2珥多=じた=自他=自分と自分以外の者)(注3氐々=ていてい=亭々=はるかに遠いさま)

于多比菟々=(注1于=う=ここに、多=た=多くを)(注2比=ひ=くみする。えこひいきする。)(注3菟々=とと=とっと=状態や程度を強調する意を表す、まったく、まことに。)

<要約>

ここに、中国から自分と自分以外の者が持ち帰った中国の正史は、はるか昔のもので、えこひいきするものである。

 

<解釈>

伽彌鶏梅伽墓=(注1伽彌=かみ=加味=あるものに、別の要素を付け加えること)(注2鶏梅=けいばい=啓培=知識を得させ,教え導くこと。教養ある人間に育てること)(注3梅伽=ばいか=倍加=増し加わること、また、増し加えること。)(注4墓=ぼ=橅=のっとる。手本にしたがって書く。)

許能彌企能=(注1許能=こどう=古道=古代の道義・学問・文化、彌=び=遠い)(注2企能=きどう=詭道=人を欺くやり方、不正な手段。)

阿椰珥=(注1阿椰=あや=史=あや=正史)(注2椰珥=やじ=野次=他人の出来事を無責任に騒ぎ立てる人や物見高く集まって囃し立てる人を指し示す意味で使われるようになった。)

 

<要約>

正史は本来知識を得させ、その教養が増すことを手本として要素にしたものである、遠い古代の道義・学問・文化を欺く正史にしてはならないが野次の正史である。

 

<注釈>

=漢字の意味=おか、大きい丘。おもねる、こびる、へつらう。よる、よりかかる、もたれる。椰=漢字の意味=やし、ヤシ科の常緑高木の総称。珥=みみだま、耳に飾る玉。さしはさむ。漢字を接続しても意味をなさない。

<解読>

于多娜濃芝作 沙=(注1于=う=ここに、多=た=多くを)(注2多娜=ただ=正史を濃芝=じょうし=上梓=正史をまとめて上梓する)(注3濃芝=じょうし=上巳=陰暦3月初の巳の日,のちに3月3日に行われた)(注4作=さ=書物などを書く。)(注5沙=しゃ=良いものと悪いものを選り分ける。(注6沙=しゃ=写=写す)

<要約>

ここに、多くの正史をまとめて上梓するに当たり、良いものと悪いものを選り分け写す、上巳=陰暦3月初の巳の日,3月3日。

 

<まとめ>

古事記

凡此神倭伊波禮毘古天皇御年、壹佰參拾漆歲。(壹=1=10、佰=2=20、參拾=30、漆=7歲=67歳

日本書記

太歲甲寅。自天祖降跡以逮于今一百七十九萬二千四百七十餘歲。(太歲甲寅=西暦294年)(一=1、百=2、七=7、十=1、九=9、萬=4、二=2、千=3、四=4、百=2、七=7、十=1、餘歲=43(餘=約)

天皇崩于橿原宮、時年一百廿七歲=(漢文特殊文法による積数=67歳

 

古事記、日本書記で解読する際に歴代天皇崩御年齢の誤訳により史実に大きな影響を及ぼし問題を引き起こしています。

初歩の年齢の解読もできない大学教授、歴史研究者の解読に問題があるのです。