魏志倭人伝 卑弥呼 古事記 日本書記 万葉集 甲骨文字 以音 五経基軸文法による解読

漢文史記は五経文法が採用されています、この五経文法は殷時代の甲骨文字(漢字変換)でも採用されており、古代中国は唐時代の末期で消滅、日本では奈良時代(西暦720年)頃で消滅して現在に至っています、この漢文史記を一字一句解読したブログになります。

16 魏志倭人伝 邪馬壹(臺)國、徒跣(借字)=とせん=徒專(仕官の道を学ぶ所=学校、卑弥呼女王の設立)教育文化の真実解読、通説の虚偽誤訳の大罪 Ⅱ

吉野ヶ里遺跡の出土品の中から見つかった弥生時代中期の硯と研石とみられる石板。

魏志倭人伝、漢文特殊文法の解読

 

倭地温暖 冬夏食生菜 皆徒跣 有屋室 父母兄弟卧息異處 以朱丹塗其身體 如中國用粉也食飲用籩豆手食 倭國の地は温暖である、冬夏に関わらず生野菜を食す。

皆、徒專(仕官の道を学ぶ所=学校)の屋室(おくしつ)に入室する際は跣=はだしになる。

 

<注釈>

この時代で土間ではないということです、現在生活空間にある通常の板の間。

 

父母兄弟卧=父母兄弟が屋室の外の處=こしかけで眺めている様は異様である。

以朱丹塗其身體=辰砂=朱丹粉=伊勢白粉に似ている粉を身体に付けている。

如中國用粉也=中国産の白粉のようである。

食飲用籩豆手食=食飲用の籩=たかつき竹製の容器にへんとう豆(そらまめ)手で食している ここまでが、仮名表音漢字の意で深層漢文は下記になります。

卑弥呼女王に恩を感じて感謝しているであろう、徒專は下士と段等(段階や等級)別で皆、生彩である。

屋室(おくしつ)に入室する際は跣=はだしになる、父母兄弟が屋室の外の處=こしかけで眺めている様は異様である、辰砂=朱丹粉=伊勢白粉に似ている粉を身体に付けている。

中国産の白粉のようである。

職員が説明し、徒專を指名すると、手燭=手に持つあかりの様子である。

徒專数  =700人

父母兄弟 =200人

屋室面積 =10畝=現在の建坪面積=300坪(14室に区画されている。)

一室=50(息=人)=14室(漢文の特殊文法による積数)

<注釈>

明治時代、戦前の学校教室面積規格は約20坪で卑弥呼の学校面積と同等

積数(徒專数=700人、父母兄弟 =200人)は漢文の特殊文法で記載されています。