魏志倭人伝 卑弥呼 古事記 日本書記 万葉集 甲骨文字 以音 五経基軸文法による解読

漢文史記は五経文法が採用されています、この五経文法は殷時代の甲骨文字(漢字変換)でも採用されており、古代中国は唐時代の末期で消滅、日本では奈良時代(西暦720年)頃で消滅して現在に至っています、この漢文史記を一字一句解読したブログになります。

第二弾、無知蒙昧の歴史学者、国文学者さまへ、漢字の根本的な考え方が間違っている。

1「卑弥呼」はいなかった? 【卑彌呼は存在していました。】【卑弥呼は存在しない。簡体字の號は存在しない】 簡体字での解読は不可能、【卑弥呼】漢字に対する考えが【浅学菲才的】 【卑】⇒[常用漢字] [音]ヒ(呉)(漢) [訓]いやしい いやしむ いや…

無知蒙昧の歴史学者、国文学者さまへ、漢字の根本的な考え方が間違っている。

【日本書紀】西暦721年から【日本紀講筵⇒『日本書紀』の講義・研究】⇒講師には紀伝道などの歴史に通じた学者が博士・都講・尚復などに任命されて、数年かけて全30巻の講義を行った。 博士ら講義担当者は講義にあたって予めテキストに相当する覚書である『日…

白村江の戦いで倭國は敗戦、北九州、筑紫國は大唐、新羅の占領下となる。

無知蒙昧の歴史学者、国文学者、科学者等は【説文解字】【声訓】【釈名】を真面に解読できていない論文を発表し、横行氾濫しているものを妄信しているのが、現在の通説歴史観。 倭国の防衛の筑紫國築大野及椽二城は破壊され、強奪、虐殺がなされ極悪非道の行…

白村江の戦いの総動員兵【率】、軍事用語を理解できず、推測、憶測で論ずる【浅学菲才的】学者のみなさまへ。

三軍とは - コトバンク (kotobank.jp) 【上軍、中軍、下軍⇔前軍、中軍、後軍】【兵⇔率=スイ】、※、敵軍⇔新羅軍⇒【率二萬七千人打新羅⇒殲滅】⇒前文の文脈を理解することです。 日本書紀 巻第二十七 天智天皇紀 (seisaku.bz) 漢字の解読が苦手でも調べれば理…

聖徳太子の劫名 【荘巌】【世界名、大荘巌】⇒【薬王如来】

聖徳太子の劫名 【荘巌】【世界名、大荘巌】⇒【薬王如来】 推古天皇。⇒ 【寶蓋⇒豈異人乎⇒號寶焰⇒如來號曰樓王月蓋 】 聖徳太子の劫名 【荘巌】【世界名、大荘巌】⇒【薬王如来】 推古天皇。⇒ 【寶蓋⇒豈異人乎⇒號寶焰⇒如來號曰樓王月蓋 】 <漢字が無いのにこ…

古事記、日本書紀、万葉集等の通説誤訳を妄信している皆様へ。

訓読では記述文脈を解読できないのです、漢文は周礼五経を基軸に文法法則で構成されています。 皆さまがご使用の【PC、ipad】も漢字検索する場合、【倉頡輸入法】のアプリがインストールしてあります、周礼五経文法の真逆で【声符・字根⇒偏旁⇒組立検索⇒画面…

聖徳太子の身長。日本書紀 推古天皇【立厩戸豐聰耳皇子爲皇太子、仍錄攝政、】⇒りつきゅうこそうしんじこうしいこうたいしじょうろくせつ(しょう)しょう。

『九章算術』を文節で採用しています、仮借(仍=X)×【攝⇒華甲】×【(隋⇒尺⇒29,5cm)・(唐⇒尺⇒31,1cm)・(倭⇒尺⇒30,syousyou3cm)】=170.0cm・179.1cm・174.5cm 1 【仍錄攝政】⇒×(隋⇒尺⇒29,5cm)=170.0cm 2 【仍錄攝政】⇒×(唐⇒尺⇒31,…

周初青铜器铭文中的易卦 ⇒【一六一一一六,曰鼎趾顚顚鼎黃耳奠趾五六一一五八尤】⇒蒙訟師需坤訟干(乾)曰鼑趾顚鼑黃耳奠趾需訟剝屯需比尤。

<簡体字?漢字数が足りない?納得にいかない解読 Ⅰ> 【一六一一一六、曰、鼑止眞。鼑黃耳、奠止。五六一一五八。】 五経(易)を基軸の解読法を採用しています、この文法は公比という表音の道しるべ的な公比の和(積算)が、ある積算数にならないと仮借表…

無文字を盲信している方へ、鯨⇒入れ墨と誤訳する学者、研究者様へ。

樂有五弦、琴、笛。男女多黥臂點面文身,沒水捕魚。無文字,唯刻木結繩。敬佛法,於百濟求得佛經,始有文字。 <解読> 樂有五弦琴笛男女多黥臂點。⇒仮借⇒【樂=雅楽】【五弦琴】【笛=笙】【笛男⇒華甲⇒田力】⇒てきでん=てき‐でん【▽嫡伝/的伝】正統を受け…

日本書紀・書名、解明されてないのに、本文の通説解釈に疑問を持ちませんか。 Ⅰ

<注釈> 国史大系. 第2巻 続日本紀 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp) 続日本書紀⇒記述⇒P67⇒ P122 養老4年(720年)5月癸酉条に次のようにある。 【先是一品舎人親王奉勅修日本紀 至是功成奏上 紀卅卷系圖一卷】⇒せん しいちひんしゃじん…

【聖徳太子研究の最前線 梅原猛の珍説(2):救世観音の頭に打ち込まれた呪いの釘】 解読できない学者の批判論。

「聖徳太子1400年遠忌 虚構? 実在? 論争巻き起こすミステリアスな人物像に迫る」 聖徳太子研究の最前線 (goo.ne.jp) 学問的にはと論じながら一文節すら解読できない研究者、学者が権威を振りかざし論じていることの方が滑稽である。 「非実在論の発表以降、…

隋書/卷81 倭王姓阿每,字多利思比孤 【こじつけ・でたらめ表音の解読呪縛から解放してみては?】※倭(わ)⇔俀(漢音=たい)・ 聖徳太子 序文。

現在の中華人民去倭国は日本をどのように思っているか?大国、小国?先端技術立国か?少なくとも夏・殷の時代から朝貢していた記述が随書に書かれています。 倭(わ)⇔俀(漢音=たい)・夏、殷之代,時或來王。 紀元前1500年~西暦800年頃までは中国、日本…

八俣遠呂智 此三字以音 日本書記⇒八岐大蛇來呑。弖・氐・弖爾遠波・天爾遠波 五経基軸文法 以音 前編。

<古事記、以音についての考察> 古事記は漢音表音仮名で記述しています、現在の呉音(百済音)が以音の基軸になっています時代背景が白村江の戦で敗戦し、唐の占領下で天智天皇が苦肉の策で二都市を実行。 歴代古代中国の属國倭国は重い租税を徴収され、天…

古事記上卷 幷序 稗田阿禮(音読み=はいでんあらい)⇒(注 ひえだのあれ⇒訓読みでは解読できません。)

年齢は二十八歳ではありません、四十八歳。 稗田阿禮の文節の解読は改めて投稿いたします。 時有舍人姓稗田名阿禮年是廿八爲人聰明度目誦口拂耳勒心 <解読> 時有舍人(表音仮名・借字)=時有=しう=為得=することができる。成し遂げる。舍人=しゃじん…

古事記上卷 幷序 記述内容は編纂の指針、音・訓読み⇒神僊(日本の十二律の一),行筆⇒勒⇒永字八法を用いること。

歴史史記に五経文法を基軸にした解読をしています、古事記の上巻并序に解読方法の末(末尾)記述の文節に記述されているのは以前から理解していましたが、改めて詳細解読してみました。 <魏志倭人伝の解読について> 裴松之〔372~451年〕 「『三国志』の著…

卑弥呼の葬儀礼に弔問するために、魏国の公使を含め使節300人が海を渡ってやって来た。 18

東夷伝・魏志倭人伝の全体の記述からして通説現代訳はおかしいと思いませんか。だれともわからない封土作冢の記述訳、今回は倭国(邪馬台国)の朝貢と解釈。 陳寿⇒西晋に仕えた。司馬炎(武帝)にその才能を買われ、実績を踏まえ『三国志』を編纂。陳寿の死…

邪馬台国 卑弥呼  西暦239年6月死す。 魏志倭人伝の後記述で正始八年の翌年だと、でたらめ根拠で西暦248年、卑弥呼死す。17

つまみ食い歴史学者、愛好家のでたらめ解釈で持論をあたかも正統だと論じ続けている姿は知識が乏しいことで、自身を防御する行為は愚かである。 其死有棺無槨 封土作冢 始死停喪十餘日 當時不食肉 喪主哭泣 他人就歌舞飲酒 已葬 擧家詣水中澡浴 以如練沐 <…

魏志倭人伝  牛馬虎豹羊鵲はいない。馬鹿げた解読。一軍を率いる将軍の綿甲冑(貫頭衣)の背中の刺繡模様と邪馬壹国連合の負け戦の予感記述。

<デタラメ記述> 古代の日本には、もともとカササギは生息しなかったと考えられる。「魏志倭人伝」も「日本にはカササギがいない」と記述している。 種禾稻紵麻 蠶桑 緝績出細紵縑緜 其地無牛馬虎豹羊鵲 兵用矛盾木弓 木弓短下長上 竹箭或鐵鏃或骨鏃 所有無…

魏志倭人伝 貫頭衣 日本歴史の文明を後退させた学者(親鴨)の刷り込みで、(小鴨)の歴史愛好家が、その解釈を疑わない愚かなこと。

今から2000年以上も前の秦の始皇帝や、諸葛孔明らが活躍した三国時代、古代中国の人口は2000万人。古代中国の最盛期といわれる唐王朝時代でも、人口は5000万人。 陳寿は2000万人から選ばれた逸材。西晋に仕えた。司馬炎(武帝)にその才能を買われて、三国志…

魏志倭人伝 里を何が何でも距離にする学者・研究者・小説家・愛好家にはあきれ果てる。(里⇒距離×大誤訳)・面積。

著名な歴史学者・研究者ほど、自己防衛本能が働き、異論を唱えたがる現状は見苦しい。 12 其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 自郡至女王國 萬二千餘里 其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 自郡至女王國 萬二千餘里は狗奴國の領…

邪馬台国は幾内、奈良だと論じる学者、研究者、叉、四国と言い張る研究者はこの羅列した国々はどこにあるのか?

<注釈> 西晋が古代からの習わしで、前朝廷の魏國の記述を正史として陳寿が記述したものである。 浅知恵学者、研究者、小説家も含めたんなる紀行文的に捉えでたらめ論法をとなえている方がおかしい。 ここまでの記述が魏志倭人伝の前編部分と陳寿は捉えてい…

魏志倭人伝から古事記、日本書記へ移行する神武天皇及び、歴代天皇との整合性記述の検証

【制詔 親魏倭王卑弥呼】を賜る以前は邪馬壹國 <注釈> それ以後、卑弥呼、仮政権=イザナギ、壹與、イザナギ~鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)~神武天皇)古事記、日本書記へ記述されるが、原文は正史なので正しいいが、読下しは大罪誤訳であ…

10 南至邪馬壹國 女王之所都は福岡県八女市が卑弥呼女王國の中心部。

南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳鞮 可七萬餘戸 <邪馬壹國への到着日と歓迎行事日> 壬子(みずのえね、じんし)=西暦232年4月29日~5月4日 4 月 29 日 邪馬壹國、到着日 <注釈> 東洋の太陰太陽暦…

09 南行至投馬國の所在地、現在は久留米市大善寺駅、実測測定着地点の積算算出距離。

南至投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸 <所在地> 陳寿の記述で実測距離は経典(四書五経)の漢文(借字)特殊文法活用で実測距離は積算算出して表れます。 <当方のブログを閲覧してくださるみなさまへ> 現在に於いても、政権を担う公…

08 魏志倭人伝、東行至不彌國 百里 官日多模 副日卑奴母離 有千餘家 百里 露田 里は面積 Ⅲ。

東行至不彌國 百里 官日多模 副日卑奴母離 有千餘家 <所在地> 陳寿の記述で実測距離は経典(四書五経)の漢文(借字)特殊文法活用で実測距離は積算算出して表れます。 東行至不彌國の所在地は現在の朝倉市(小石原川東側)、うきは市、日田市、久留米市 …

07 魏志倭人伝、東南至奴国 百里 官日兕馬觚 副日卑奴母離 有二萬餘戸 百里 露田 里は面積 Ⅱ。

07 東南至奴国 百里 官日兕馬觚 副日卑奴母離 有二萬餘戸 <所在地> 陳寿の記述で実測距離は経典(四書五経)の漢文(借字)特殊文法活用で実測距離は積算算出して表れます。 神埼郡から東南の國境が筑紫川支流の宝満川合流地点(福岡県久留米市小森野と佐…

06 魏志倭人伝、東南陸行 五百里 到伊都國官日爾支副日泄謨觚柄渠觚有千餘戸 丗有王皆統屬女王國郡使往來常所駐 五百里  露田 里は面積 Ⅰ。

魏志倭人伝、長里、短理の論争は馬鹿げている、東南陸行 東南陸行 五百里 到伊都國到伊都國の 五百里 露田(田んぼ)の面積で距離ではない。 魏志倭人伝は単なる紀行記述ではない、魏國による倭國(属國)に対して税を課すための国税調査検分記述。 東南陸行…

05 魏志倭人伝 又渡一海 千餘里 至末盧國 長崎県平戸市 港 着岸。

約37万字に及ぶ『三国志』(それに付けられている裴松之〔372~451年〕の注は、本文に匹敵する約36万字)のすべてに目を通すだけではなく、陳寿の世界観を形成している儒教の経典(四書五経)に通じなければ分からない)と述べている。 魏志倭人伝の陳寿の記…

04 魏志倭人伝 又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國 甲骨文字の殷の時代から漢文記述の際に採用されている漢文特殊文法により記述されている。

東京大学、京都大学の歴代大学教授、その他の大学研究者等の浅知恵による解釈、読み下しは日本古代史の大罪であり、読む価値はない。 唐時代以後、この文法は中国においても時代の背景が影響し消滅したと思われる。 近代の漢文解釈では永遠に解き明かすこと…

01 魏志倭人 (1 伝倭人在帶方東南大海之中)(2 從郡至倭 循海岸水行 歴韓国)(3 始度一海 千餘里 至對海國) 国税調査検分報告の記述書である。

歴史学者、魏志倭人伝を誤訳する大学教授、研究者の浅い誤訳著作物が氾濫は目に余る、古事記、日本書記、万葉集、甲骨文字も同様である。 倭人在帶方東南大海之中 依山㠀為國邑 舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國 <誤訳定説> 倭人は在中していた大国…