魏志倭人伝 卑弥呼 古事記 日本書記 万葉集 甲骨文字 以音 五経基軸文法による解読

漢文史記は五経文法が採用されています、この五経文法は殷時代の甲骨文字(漢字変換)でも採用されており、古代中国は唐時代の末期で消滅、日本では奈良時代(西暦720年)頃で消滅して現在に至っています、この漢文史記を一字一句解読したブログになります。

厩戸 廐戸 廏戸 𡳅戸 味噌糞の学会、学者の研究、論文について、その1

石井公成

聖徳太子最前線 ブログ

2022年11月23日 | 聖徳太子法隆寺研究の関連情報

聖徳太子という呼称を最初に用いたのは誰か、「厩戸王」と呼ぶのはなぜまずいのか。

聖徳太子 最近の説」と入力してあれこれ検索していたら

 

聖徳太子研究の最前線】⇒論文・研究書紹介もいいですが、【日本書紀】の漢文【漢語】解読の原点に戻ってからにしてみては?

厩戸王⇒うまやどおう】【厩戸皇子⇔うまやど‐の‐おうじ〔‐ワウジ〕】【厩戸王(読み)うまやどのおう】⇒日本書紀には【の・ノ⇔之】は記述、編纂されていません。

上記は訓読+漢音・呉音【呉】?【呉音=百済】日本独自の文法構成?

 

聖徳太子⇒しょうとくたいし】⇒漢音・呉音【呉】?【呉音=百済】?

 

<閲覧者の皆様に向けての頭の体操>

漢語、漢字は甲骨文字の時代から受け継がれた文法法則で記述されています。

現代に例えれば漢語、漢字積層チップ階層構造【一次記憶装置・二次記憶装置・三次記憶装置】と認識してください。

漢語、漢字は「旧字体」「正字体」階層構造【倉頡⇔説文解字】で構成されています。

 

<事例 1

漢委 奴國王

官印 - Wikipedia

五行思想に基づき文字数を5文字にまとめるということも行われた。

漢⇔「旧字体」「正字体」

【漢⇔「旧字体」】⇒1 氵+廿口火土⇒2 氵+廿口土火⇒⇒【注隸字從從□作。】⇒【

】⇒土が上部、火が下部は天子が𤁉の國土を授けるので、【土】が上部。⇔注隸字從從□作。

<補足、当方の憶測、考えはありません、すべて中国の史記説文解字(注)に記述されたことを記載しています。

先秦兩漢 - 璽 - 中國哲學書電子化計劃 (ctext.org)

先秦兩漢 - 印 - 中國哲學書電子化計劃 (ctext.org)

金部:鈕:印鼻也。从金丑聲。⇒鈕(ちゅう、「つまみ」)⇒蛇鈕⇒蛇⇔巳部:巳:巳也。四月,陽气巳出,陰气巳藏,萬物見,成文章,故巳為蛇,象形。凡巳之屬皆从巳。

等齊:  天子之相,號為丞相,黃金之印;諸侯之相,號為丞相,黃金之印

 

建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬

西暦57年⇔建武中元二年、諸侯王を授かり、属國の道を歩みはじめました。属国なので、宰相は歴代中國王朝から進士が派遣され血族も追従、【大伴・物部・蘇我⇔假借】

 

先秦兩漢 - 倭人 - 中國哲學書電子化計劃 (ctext.org)

倭國の歴代朝廷は漢語文法、【訓読⇔日本語の起源】不明。

倭人

周時天下太平,越裳獻白雉,倭人貢鬯草。⇔或言有益者,九鼎之語也。

 

唐⇔大唐⇔倭、西暦663年、白村江の戦いで敗戦、幾内遷都、天武天皇時、独立に歩み、【大唐⇔毛唐⇔進士・神郷】を排除、古代中國より学んできた漢語、漢文文法の衰退。

【弘仁四年/日本紀私記序/承平六年/日本紀私記零本】 (nijl.ac.jp)

日本書紀私記 - Wikipedia

日本書紀』については、平安時代に、養老5年(721年)、弘仁3年(812年)、承和10年(843年)、元慶2年(878年)、延喜4年(904年)、承平6年(936年)、康保2年(965年)の7回の講書「日本紀講筵」が行われたとされる。

鎌倉時代に成立した『釈日本紀』にも、元慶や承平の私記が引用されており、『日本書紀私記』は『日本書紀』を解釈する上で重要な史料である。

【補足】

弘仁私記』の内容は【古事記、上巻】【日本書紀、上・下巻】に於いては解読ができないことを記述しています、いずれも、編集作者を批判しています。

日本紀私記序⇒⇒6 コマ/全31コマ⇒【異端小説恠力乱神】⇒【古事記、上巻】【日本書紀、上・下巻】

日本紀私記零本⇒⇒裴松之三国志注例也弘仁三巻異端私記序云異端小説恠力乱神為【俑〇】多聞不莫不詠博一書戓節為異端及語及諺日為小説也者此意尤叶三國志之注也

【大唐⇔毛唐⇔進士・神郷】を排除、近代に例えれば、戦前の日本と同様、敵国の英語、禁止【鬼畜米英⇔大唐⇔毛唐】⇔漢語、表音を排除⇔和訓表音の字句に拘泥した結果、真実の歴史を見失った。

 

日本紀私記零本⇒19 コマ/全31コマ⇒【鶏卵云云】⇒日本書紀⇒神代上⇒古、天地未剖、陰陽不分、渾沌如鶏子、溟涬而含牙。

【鶏子之文讀云鳥兒不明】⇒鶏卵⇒鳥兒⇔師説、先師も、皆、【鳥兒】不可輙改。

日本紀私記序、日本紀私記零本は【古事記、上巻】【日本書紀、上・下巻】の記述は解読できていません、結論は【異端小説恠力乱神】で済ませています。

 

大唐、毛唐を敵国として漢語、漢音を否定しながら、故事成語を交えて【異端小説恠力乱神】と記述しています。

 

養老4年(720年)から漢語、漢文の解釈の衰退がはじまりました、ただし、【正統な血族⇔楚・呉・蜀⇔進士・神郷】【北方王朝の血族⇔晋・隋・大唐⇔毛唐⇔進士・神郷】の在日子孫に漢語、漢文の文法法則は受け継がれました。

何時の世も大国は恐ろしく、現在は米国に朝貢し、倭から日本に歩み初めても歴代中国王朝は強大な権力を行使していました。

 

属國への租税徴収、歴代中国王朝の防衛のために5万派兵、【稟化=臨夏】⇒【寧=寧夏】⇒寧、境,恭修貢職。万里の長城 防備修復,河北、治水工事、その結果【安東大將軍、倭國王】

【聖⇔聖人】については厳格で正史には用いられませんでした【五帝、三王、皋陶、孔子,人之聖也。十二聖相各不同,】【聖神號不等,故謂聖者不神,神者不聖】

 

子曰:「舜其大孝也與!德為聖人,尊為天子,富有四海之。」

 

歴代中国王朝の代表的な強要例【遵守/順守】1 漢語・漢字の制約【聖⇒與】【天子】、【属國⇔諸侯王の独自の元号】※ 倭、日本では倭の限定で【元号】が許されました。【大化⇔日本最初の公式の年号。】

 

日本書紀⇒孝德天皇⇒【聖】⇒白雉元年⇒詔曰「聖王出世治天下時、天則應之示其祥瑞。曩者、西土之君周成王世與漢明帝時白雉爰見。

 

【補足 1

白雉元年⇔制約が多く【白雉⇔中国王朝への公式元号⇔大化】二重の元号

【補足 2

百済】は中国の属国か?⇒白村江の戦いの敗戦以前【倭⇔属国⇔百済

倭國,在百濟、新羅東南,水陸三千里,於大海之中依山島而居。魏時,譯通中國。三十餘國,皆自稱王。夷人不知里數,但計以日。其國境東西五月行,南北三月行,各至於海。其地勢東高西下。

都於邪靡堆,則魏志所謂邪馬臺者也。古云去樂浪郡境及帶方郡並一萬二千里,在會稽之東,與儋耳相近。漢光武時,遣使入朝,自稱大夫。安帝時,又遣使朝貢,謂之倭奴國。

※ 在百濟、新羅東南⇒双方も【國と認められていません】百濟、新羅は歴代中国王朝文化の窓口の役目をはたしていました。

 

では、古代歴代中国王朝に、なぜ重用されたのか、それは倭、日本の地理的位置に起因します、海流【親潮】の影響で、遠くはペルシャ、【羅國⇔ベトナム⇔越⇔蘇州】から優れた技術を学び最先端技術を習得していた。

 

京杭大運河⇒⇒隋の文帝と煬帝がこれを整備した。完成は610年。これにより、倭の諸侯王としての役割は低下、大唐は強大な力で朝鮮半島を殲滅、【倭・日本】をのみ込もうと白村江の戦いになりました。

 

西魏北周王朝時、【進士】が宰相として派遣されてきました。宇文泰の腹心であった蘇綽の血族。⇒【敵国、毛唐】⇔【日本書紀蘇我稲目⇔假借⇔下等、頭目】【蘇我稲目の侍従、養子⇔蘇我入鹿(じゅうか)⇔重科⇒ 重い罪科。重罪。】

 

蘇我馬子⇔馬⇒説文解字⇒馬⇔虫者,屈中也⇔委曲的心意。子=人⇔仮子、養子】

 

【補足 3

古事記親中派、血族の編纂、日本書紀は倭、日本の独立推進派の最高機密正史、【周禮、倉頡・説文解字】を基軸にしていますが、独自の変形活用を採用しているので、当時も【進士・神郷】でも解読されないように編纂されました。

 

このような変形文法法則を【隋書⇒史臣曰:⇒故孔子曰:「言忠信,行篤敬,雖蠻貊之邦行矣。」誠哉斯言。其俗之可採者,豈徒楛矢之貢而已乎?】

 

中國の【言⇔漢語・漢文】に敬意が無く、もて遊び懲罰、裁断、断言。⇒前文節⇒隋は国費を投じて倭のために留学費用を負担している。隋の下級史臣は倭が重い租税を徴収されていることは知らないのか?

 

【国字⇔日本独自の漢字】⇒古事記では【弖】【俣】が記述され、解読不可になります、日本書紀は独自の変形文法法則で構成【弖】と【倭の独自の説文解字の漢語】で構成。

 

【古代、倭、日本が招いた国防の失敗 1

事の発端は日本書紀推古天皇記に琉球の高官曰く、倭の始祖は會稽の子孫、琉球は會稽の【其氏】、倭は【太伯・虞仲、姫氏】では?

当方の解読によれば、推古天皇記に天皇自ら宣旨で【倭の始祖、歴史を調べ】正当な正史を編纂作成するように命じた。

 

それによると、漢王朝の血族子孫で正統な王朝【中原・中華】だと唱える倭の朝廷血族、北狄の王朝【魏・晋・北周・隋・唐】の血脈を天皇、朝廷に強制婚姻により注入され、属国として従来とどうように、服属するのか?

 

日本書紀敏達天皇紀⇒【穴穗部皇子欲取天下】⇔【密策⇔国家機密⇔倒語⇔正字⇔自国、漢人、皇統系統、系血皇子】⇒⇒独立派血族。⇔穴穗部皇子、卽天皇庶弟引豐國法師闕名也

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