推古天皇。⇒ 【寶蓋⇒豈異人乎⇒號寶焰⇒如來號曰樓王月蓋 】
推古天皇。⇒ 【寶蓋⇒豈異人乎⇒號寶焰⇒如來號曰樓王月蓋 】
<漢字が無いのにこじつけ訓読?【つ】【の】について納得する思考はいかなるものか?>
上宮之厩戸豊聡耳命(かみつみやのうまやとのとよとみみのみこ)⇒【つ、の】⇒漢字無し。
厩戸豊聡耳皇子命(うまやとのとよとみみのみこのみこ)」⇒【の】⇒漢字無し。【命】⇒百位の英霊。⇒現在の法名、戒名。
豊耳聡聖徳(とよみみさとしょうとく)⇒【聖徳】⇒呉音。おかしくないですか。⇒【聖徳】⇒【ひじり、なる、のり、ゆき、よし、あつ】⇒納得するのですが?
<聖徳太子の身長の解読>
【立厩戸豐聰耳皇子爲皇太子、仍錄攝政、】
仍錄借字表音(仮名表音)⇒じょうろく=丈六=160寸【仍=じょう=丈・乗=掛算】
攝借字表音(仮名表音)⇒漢音 : ショウ(セフ)・慣用音 : セツ。
政⇒借字表音(仮名表音)⇒漢音 : セイ
【扌】⇒し【×咫】
字書 - 咫 - 中國哲學書電子化計劃 (ctext.org)
し【×咫】
咫:中婦人手長八寸,謂之咫。周尺也。从尺只聲。
【周・春秋】⇒【寸=2.25cm】⇒【八寸】⇒18cm
中国周代の長さの単位。約一八センチ。わずかの距離。「咫尺(しせき)」⇒8寸
〘名〙 (「あた(咫)」の略) 上代の、長さを測る単位の一つ。
古代中国発祥の単位.手を広げて物に当てたときの親指から中指の先端まで。
倉頡輸入法(そうけつゆにゅうほう)⇒真逆文法⇒【華甲⇒声符⇒偏旁⇒字根】
攝⇒【華甲⇒扌聶】⇒【扌】【耳・耳・耳】⇒公比積算⇒耳⇒6⇒八卦⇒6【聶⇒じょう=乗】=6×3=18
說文解字 - 耳 - 中國哲學書電子化計劃 (ctext.org)
聶:附耳私小語也。从三耳。
<この記述の文法算術>
※ 人間の耳は2つ。⇒攝⇒【華甲⇒扌聶】⇒【扌】⇒6寸。【耳・耳・耳】2×3=6寸=1尺2寸=36cm=0.36m
耳⇒6⇒八卦⇒六(6)【聶⇒耳・耳・耳×’じょう=乗=乗法】=6×3=18
攝⇒【華甲⇒扌聶】⇒【扌】⇒し【×咫】=あた。「咫尺(しせき)」⇒6寸
攝⇒【華甲⇒扌聶】⇒【聶】⇒【耳・耳・耳】⇒耳⇒2個+耳⇒2個+耳⇒2個=6個
攝⇒【華甲⇒扌聶】⇒【聶】⇒【耳・耳・耳】⇒耳⇒2+耳⇒2+耳⇒2=6
1丈6尺⇒16(乗)×36cm(華甲⇒扌⇒18cm=6寸 聶⇒6cm⇒2寸×3=6寸=18cm=36cm=0.36m
隋時代【度量衡】⇒0.295m×1丈6尺×0.36m=1.699m
唐時代【度量衡】⇒0.311m×1丈6尺×0.36m=1.791m
倭 【度量衡】⇒0.303m×1丈6尺×0.36m=1.754m
隋時代【度量衡】、唐時代【度量衡】、倭 【度量衡】
結論としては、五経算術で記述されていますが詳細は不明。
聖徳太子の身長⇒1.754m~1.791m。
聖徳太子の体重⇒公比積算数⇒110斤×0.6kg=66kg
【聖】⇒【輿】。【聖】⇒古代中國では【聖人】のみ許される【號】⇒不文律⇒正史には許されない⇒紀元前1000年~唐が滅ぶまで倭は属國。
觀五年,遣使獻方物。太宗矜其道遠,敕所司無令歲貢,又遣新州刺史高表仁持節往撫之。表仁無綏遠之才,與王子爭禮,不宣朝命而還。至二十二年,又附新羅奉表,以通起居。
中国の正史、漢音。
【太宗】⇒遠縁⇒八等血族。
【乃當廐戸而不勞忽産之生而能言有聖智及壯一聞十人訴以勿失能辨兼知未然】
漢音、呉音(百済音)
【太宗】⇒遠縁⇒八等血族⇒【祖意】⇒【蘇 威】⇒【聖徳太子】
日本書紀 ⇒【蘇我稲目=そかとうもく】⇒【隋】しん‐し【進士】= 中国で、科挙の試験科目の名称。のちに、その合格者をいった。【OB】
日本書紀 ⇒【隋、唐の進士OB(宰相血族子孫。⇒唐人、毛唐、】⇒【蘇我蝦夷=そががい=がまがえる蛮人。】
倭、日本が入手した隋書の記録。⇒俀=たい。【倭】王姓阿每⇒【姓阿=せいあ=井蛙】⇒俀=たい。=弱い王の井戸の中にいるカエル。見識の狭いこと。その他、虫、鶏(雞)などに例えて記述しています。
日本書紀 ⇒古代中国の正史に対抗して仕返し的な中国血族、子孫の氏を魚、動物銘にしています。
<参考>
立蘇我大臣稻目宿禰女石寸名爲嬪、是生田目皇子更名豐浦皇子。葛城直磐村女廣子、生一男一女、男曰麻呂子皇子、此當麻公之先也、女曰酢香手姬皇女、歷三代以奉日神。
【歷三代以奉日神。⇒歴代3代天皇に(蘇)の血筋、血族を婚姻により注入。】
血筋、血族を婚姻により注入は神武天皇以前、ニニギから行われています。【唐⇒藤原氏=とうげん】
<古代中国の政権から派遣された官僚が属國の倭、日本に於いて天皇の血筋(血族)に婚姻で血筋を注入するのか。>
確固たる根拠があるのです、現在の当方の考えでは封印しておきます。
<通説、誤訳>
ゆいまぎょうぎしょ ユイマギャウギショ【維摩経義疏】⇒この段階で誤訳、これでは解読できない。
<検証>
【維摩經義疏巻之上】⇒【しりんきょうようしょかんしじょう】
し‐りん【四輪】し‐りん【緇林】きょう‐よう〔‐ヤウ〕【供養】しょ‐かん〔‐クワン〕【書巻】し‐じょう【史乗】
<資料>
維摩経義疏 : 3巻. 5 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)
P42⇒⇒40⇒41 ⇒【聖徳太子⇒荘巌⇒世界名大荘巌】⇒【薬王如来】
薬王如来應供遍知明行足善逝世間解無上士調御丈夫天人師佛世尊世界名大荘巌劫名荘巌佛壽二十劫其聲聞僧三十六億那由他菩薩僧有十ニ億天帝是時轉輪聖王名曰【眷】
維摩経義疏 : 3巻. 5 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)
P-47⇒P-46 【推古天皇⇒寶蓋⇒豈異人乎⇒號寶焰⇒如來號曰樓王月蓋 】⇒【彌勒菩薩】
天帝時王寶蓋豈異人乎今得佛號寶焰佇如來王千子郎賢劫千佛是也従加羅鳩孫駄為始得佛最後如來號曰樓王月蓋比丘則我身是
<補足>
<通説、誤訳>
【如願敬造釋迦尊像并侠侍及荘嚴】⇒願の如く敬(つつし)みて釈迦の尊像ならびに侠侍、及び荘厳の具を造り竟(おわ)りぬ。
【浅学菲才的】な学者が解読できないので誤読による連座が生じる。
<検証>
法興元丗⇒ほうこうげんせい⇒用明天皇⇒ 劫名⇒【法興元丗】
丗一年歳次⇒【第31第天皇 】
辛巳十二月鬼⇒【辛巳⇒西暦621年】辛巳十二月鬼⇒【辛巳⇒西暦621年】
【法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘⇒法興元丗一年歳次辛巳十二月鬼】⇒西暦 622年02月05日 金曜日 旧暦 621年12月20日 先勝 日干支 壬申 日家九星六白金星 十二直 破 二十八宿鬼 二十七宿亢
法興元丗一年歳次辛巳十二月鬼⇒6月11日木曜日⇒成劫(じょうこう)・住劫・壊劫(えこう)・空劫。⇒6月12日⇒金曜日⇒鬼宿日
【如願敬造釋迦尊像并侠侍及荘嚴】⇒像の2体を一対⇒【聖徳太子】⇒ 【劫名】⇒【荘嚴 】。
『伊呂波字類抄』
P-939⇒361
善光寺縁起
<通説、誤訳>
善光寺はおよそ千四百年前(西暦五五ニ年)、百済かの聖明王から献上された一光三尊阿弥陀如来が廃仏派の手によって難波の堀江に投じられていたのを、信濃の本田善光が背負って招来し、皇極天皇の発願により創建(六四ニ年)されました。
今から二千五百年もの昔の、天竺いまのインドのお話でございます。ここに、月蓋(がっかい)長者という長者が住んでおりました。
<検証>
月蓋(がっかい)長者という長者
月蓋【假借⇒長者=じょうこう】
【長】⇒呉音 : ジョウ、チョウ。漢音 : チョウ。【者】⇒声符は𣥏(説文解字)⇒ショ。⇒偏旁(漢字構成⇒中国⇒耂日(エツ)。⇒日本⇒耂丶日(ジツ)⇒从(従)囗一。⇒囗=コウ。
現代人は周礼五経の漢字【説文解字】を【浅学菲才的】に読むことに差支えはありませんが、解読できません。
【月蓋長者=べつがいじょうこう】⇒推古天皇⇒【月蓋成劫】
じょう‐こう〔ジヤウコフ〕【成×劫】
《「じょうごう」とも》仏語。四劫(しこう)の第一。この世界に、山河などの自然と生物とが生まれ出る時期。最初の劫。
詔曰「灼然、宜斷佛法。」丙戌、物部弓削守屋大連自詣於寺、踞坐胡床、斫倒其塔、縱火燔之、幷燒佛像與佛殿。既而取所燒餘佛像、令棄難波堀江。
詔曰「灼然、宜斷佛法。」丙戌、物部弓削守屋大連自詣於寺、】⇒金アマルガム法による鍍金法を【物部弓削守屋大連】⇒自詣於寺⇒假借⇒し‐しょう【師承】ほう‐し〔ハウ‐〕【方士】
【踞坐胡床、斫倒其塔、縱火燔之、幷燒佛像與佛殿。既而取所燒餘佛像、令棄難波堀江。】⇒假借⇒金糸、朱金⇒小火、損傷、仏像 【症例】、
【佛像令棄難波堀江】⇒假借⇒【佛像】【麗姿】【至難】【繊指】【施工】【指甲】【施工】【堀江】⇒【華甲=声符⇒偏旁⇒字根】⇒【堀⇒漢音 : クツ(表外)、コツ(表外) 呉音 : コチ(表外)、ゴチ(表外)慣用音 : クツ(表外)】⇒【堀⇒土屈⇒尸出⇒屮凵。】
【堀】⇒【堀⇒土屈⇒尸出⇒屮凵。】⇒【堀=くつ。⇒土=と、ど。屈=くつ。⇒尸=し。出=しゅつ、すい⇒屮=てつ、そう。凵=けん、こん、かん。】【江】⇒【江⇒氵⇒工 】⇒⇒【江=こう。⇒氵=せん、すい。⇒工=こう。 】
上記の漢字の声符、偏旁で組み合わせた表音が熟語(駢字)となり、表記されている漢字としては假借になります。
古代、中国、倭、日本の中枢を担っていた人々は現代人の歴史学者、国文学者が考えているより、漢字の知識においては、想像を超えたものです。
『伊呂波字類抄』
P-939⇒361
<周礼五経文法による解読>
『伊呂波字類抄』は周礼五経で記述されています、正しい解釈は善光寺の創建に至る歴史、厨子に納められた秘仏、免田(6000畝)を賜り、起寺、善光寺。
善光寺⇒創建時の規模⇒とう‐じ【東寺】、さい‐じ【西寺】⇒きょうおうごこく‐じ〔ケウワウゴコク‐〕【教王護国寺】⇒善光寺⇒免田(6000畝)
現在の善光寺⇒【約5万9000平方メートルと広大な境内⇒約100万坪】⇔【善光寺⇒免田(6000畝)⇒約100万坪】
【秘仏=厨子(ずし)などに納められ、普段は拝観を許していない仏像】⇒信州善光寺本尊 阿弥陀三尊像
【荘巌⇒還俗⇒聖人⇒聖徳太子とは記述されていません。】
記述者は最後の文節で文法構成を説明しています。
ひっ‐せき【筆跡/筆×蹟/筆×迹】、たい‐ほう〔‐ハフ〕【大法】、けん‐きゅう〔‐キウ〕【研究】きゅう‐けい〔キウ‐〕、じ‐げん【字源】、【九経】、ひ‐けん【秘鍵】ひ‐じ【秘事】
じ‐げん【字源】
1 個々の文字の起源。
2 個々の漢字の構成原理。「地」が「土」と「也」とから構成されるとする類。
3 仮名などのもとになった漢字。平仮名「あ」のもとの漢字は「安」であるという類。
<補足>
当方も、初めて五経文法の説明をしている記述に出会いました、詳細に注釈しているので、当方の解読の参考になりました。
<通説、誤訳>
漢数字⇒大数
日本では、1627年(寛永4年)の『塵劫記』の初版において初めて大きな数が登場するが、極以下が下数、恒河沙以上を万万進の中数(恒河沙=1023、阿僧祇=1031、那由他=1039、不可思議=1047)としていた。
1631年(寛永8年)の版では極以下が万進(恒河沙以上は万万進のまま)に改められ、それとともに算学啓蒙・算法統宗にあった不可思議の上の無量数も無量大数という名称として組み込まれた。
そして1634年(寛永11年)の版ではすべて万進に統一された。今日でも万進だけが使用されている。
<通説、誤訳>
字としては、𥝱(じょ)が正しい。似た文字で秭(し)と書かれることもあるが、これは実際には全く違う意味の字である。
寛永 20 年版から「秭し」が誤って「𥝱」と印刷され、読みも「序」や「舒」につられて「じょ」になった。「秭」に含まれる「𠂔」という字は日本では全く使われないため、間違えられたのも無理はない。
<検証>
【維摩經義疏巻之上】⇒【那由他⇒公比積算数⇒60⇒那由他⇒1060 】
【𥝱(じょ)および秭 (し)】
(じょ)⇒假借⇒【𥝱(じょ)】⇒表音として用いています、公比積算数=【1024】に欠かせない【表音⇒漢音、呉音】