魏志倭人伝 卑弥呼 古事記 日本書記 万葉集 甲骨文字 以音 五経基軸文法による解読

漢文史記は五経文法が採用されています、この五経文法は殷時代の甲骨文字(漢字変換)でも採用されており、古代中国は唐時代の末期で消滅、日本では奈良時代(西暦720年)頃で消滅して現在に至っています、この漢文史記を一字一句解読したブログになります。

閲覧される皆様へ、漢字の解釈の思い違い知識について。

閲覧される皆様へ、漢字の解釈の思い違い知識について。

【災⇒漢音 : サイ・呉音 : サイ】⇒《文解字》⇒⇒(文解字未收“災”字参考“烖”字:)()天火曰烖。⇒()籒文从。亦會意。亦形聲。

さい【災】⇒読み方:さい⇒[音]サイ(呉)(漢) [訓]わざわい。⇒自然に起こる悪い出来事。生活を損なう出来事。わざわい。「災害・災難・災厄/火災・震災・人災・戦災・息災・天災・被災・防災」

 

日本書紀⇒記述の【災】⇒【災⇒漢字数⇒23

下記の天命開別天皇 天智天皇の記述で【災】をなぜ火災と断定するのか。

日本書紀 巻第二十七 天智天皇紀 (seisaku.bz)

夏四月癸卯朔壬申夜半之後、災法隆寺、一屋無餘。大雨雷震。五月、童謠曰

 

于知波志能 都梅能阿素弭爾 伊提麻栖古 多麻提能伊鞞能 野鞞古能度珥

伊提麻志能 倶伊播阿羅珥茹 伊提麻西古 多麻提能鞞能 野鞞古能度珥

 

多くの歴史学者、国文学者、歴史愛好家が【災】⇒⇒火災⇒⇒消失と誤訳断定している。

同、前文では

三月辛酉朔己卯、遷都于近江。是時、天下百姓不願遷都、諷諫者多、童謠亦衆、日々夜々失火處多。六月、葛野郡獻白

【火災】⇒⇒【日々夜々失火處多】

【災法隆寺】⇒⇒【わざわい、法隆寺⇔災法隆寺

【一屋⇔建屋】

【無餘⇒餘⇒漢字、華甲、偏旁⇒飠余⇒飠⇒呉音 : ジキ、ジ(表外)、イ(表外)】⇒⇒表音假借⇒⇒無事。

【大雨】⇒⇒大雨雷震

【雷震】⇒⇒【地震地震光】

地震光 - Wikipedia

 

日本書紀の假借文法、倒語

【夏四月癸卯朔=漢音、倒語⇒⇒かしげつ、きぼう・ぼうき⇔ぼうさく、さくぼう】⇒⇒き‐ぼう【奇謀】傍記】傍わきに記すこと。ぼう‐さく【謀策】

 

異論、反論を唱える方は下記の【童謠】を解読してからにしてください。

于知波志能 都梅能阿素弭爾 伊提麻栖古 多麻提能伊鞞能 野鞞古能度珥

伊提麻志能 倶伊播阿羅珥茹 伊提麻西古 多麻提能鞞能 野鞞古能度珥

 

【浅学非才の脈絡のない現代語訳】

打ち橋の 集落(ツメ)の遊(アソビ)に 出でませ子 玉手(タマデ)の家の 八重子の刀自(トジ) 出でましの 悔(クイ)はあらじぞ 出でませ子 玉手の家の 八重子の刀自

【論評】

これでは、昨今の中条きよし参議院の代表質問よりひどい、編纂の舎人親王も浮かばれない、正史も地に落ちた。

 

【正しい要約】

法隆寺】の大雨雷震時の生々しい状況が記述された居ます、法隆寺以外の大きな建屋は倒壊、路は飛動し地震光がはしり、祠堂は大きく揺れ動き、味噌樽はひっくり返り、鳳声【提婆達多】と拝んでいてもむだなこと、うんぬん。

【結論】

法隆寺は火災、地震で消滅、倒壊していません。法隆寺の火災は解読できない方の論法です。

日本書紀を誤読、漢音、訓音読みしていても、未来永劫、解読できません。

法隆寺】⇒⇒読み⇒⇒現代辞辞書⇒⇒【法隆寺】=ほうりゅうじ⇒⇒日本書紀の表音

法隆寺】⇒⇒読み⇒⇒説文解字⇒⇒豐大也。从生降聲。力中切〖注〗徐鍇曰:“生而不已,益高大也。

法隆寺】⇒【隆】⇒説文解字⇒【从生降聲】⇒从=従う、生=せい。降=こう。日本書紀の表音⇒⇒【隆⇒生⇒せい】⇒⇒【法隆寺=ほうせいし】

法隆寺=ほうせいし】が正しい表音。