魏志倭人伝 卑弥呼 古事記 日本書記 万葉集 甲骨文字 以音 五経基軸文法による解読

漢文史記は五経文法が採用されています、この五経文法は殷時代の甲骨文字(漢字変換)でも採用されており、古代中国は唐時代の末期で消滅、日本では奈良時代(西暦720年)頃で消滅して現在に至っています、この漢文史記を一字一句解読したブログになります。

隋書/卷81 倭王姓阿每,字多利思比孤 【こじつけ・でたらめ表音の解読呪縛から解放してみては?】※倭(わ)⇔俀(漢音=たい)・ 聖徳太子 序文。

現在の中華人民去倭国は日本をどのように思っているか?大国、小国?先端技術立国か?少なくとも夏・殷の時代から朝貢していた記述が随書に書かれています。

倭(わ)⇔俀(漢音=たい)・夏、殷之代,時或來王。

紀元前1500年~西暦800年頃までは中国、日本の史記に存在します、2300年間余り属國として租税を納め朝貢していたということです。対等の立場ではないのです。

古代中国の歴代王朝は非文明国の小国(倭國)・小国(俀=たい=弱い國)⇒隋書では鮮卑、奴婢同様の國ということです。

 

<お勉強>

問題 1 白寿⇒漢音=はくじゅ、(呉音=百済音=びゃくじゅ)、訓音⇒しろことぶき⇔馬鹿学者は史記を訓音で解読⇒無理でしょう。

※ 白寿⇒99歳⇒百の字から一を引くと「白」になる。⇒何も前提が無いのに、突然、一を引くと言われても、納得できますか。

  • 解読⇒百⇒大数⇒大きさ102という決まり、⇒十=101・千=103・萬=104。漢音=はく⇔白⇒プラス(十)すれば同表音で百となります。白は【伏羲八卦次序】で一という番号を持っています。

問題 2 卒の字の略字「卆」が九十と読めることに由来。卒寿(そつじゅ) 90歳⇒卒の字の略字「卆」が九十と読めることに由来。⇔字根の一種。

 

※ 古事記⇒注釈⇒以音⇒ 1 (呉音=百済音) 2 字根の一種⇒弖⇒きゅう⇒や。⇒(哉=「か」「や」と読み、「~か」「~であろうか」などの疑問・反語の意をあらわす。・也=「なり」と読み、「~である」の意。)

 

※ 弖⇒馬鹿学者の学問的表音⇒て。 ※ 弖一を引くと「九⇒八」になる。⇒や=訓音

⇒日本書記は解読できないように注釈はありません。公比積算に使います。

※ 追記⇒武宿禰爲太子答歌之曰、⇒節文⇒【于輸珥多氐々】⇒氐⇒甲=1・乙=2・丙=3・丁=4。※ 氐(てい)⇒借字表音(仮名表音)⇒丁(てい)⇒の字から一を引くと⇒三(3)

 

※ 弖・氐⇔倭国、日本国の独自の漢字⇒基本文法は中国と同等なので解読させないための漢字。氐々(踊り字=日本語の表記で使用される約物(特殊記号)⇒3+3=6

 

※ 公比積算⇒武宿禰爲太子答歌之曰、⇒長文節なので⇒公比積算=200⇒これにより、借字表音(仮名表音)で記述されていた漢文を適正漢字に導き、熟語、故事成語⇒解読⇒漢字数も同数。

※ 1300年の時が経過した文法の残骸。

  • 百の字から百の字から一を引くと「白」になる。⇒故事成語99歳。馬鹿学者の学問的な論法⇒一大率(いちだいそつ、いちたいすい)は、『魏志倭人伝に記された倭国の官名。

 

魏志倭人伝は、当ブログで文節に番号を付けました⇒NO 18まで投稿⇒下記の文節はNO26になります、投稿前の原稿です。>

 

自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史 王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國 皆臨津捜露 傳送文書賜遺之物詣女王 不得差錯

 

<解読>

自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之=(注1自=宣旨、女王卑弥呼は那国の以北)(注2特置=特地=「とくに」「とりわけて」の意を表わす。)(注3一大率檢察=大人(率=兵)一人に付き、細かく調べること。)

諸國畏憚之=(注1諸國=しょこく)(注2畏憚=いたん=おそれはばかること。)(注3之=し=これ。この。人や物、事を指し示す。)

 

宣旨、女王卑弥呼は那国の以北に於ける帯方郡、諸韓国を含む大人(率=兵)一人に付き、六十歩の田を増加するので、皆、包み隠さず現状を測量記録官(史=ふひと)報告し、王にもうでること。

 

都がある伊都国が常に治めているので一族(遺)のこし伝えよ、皆、上申することで、露田の富みを得るのだから混乱しないように、女王卑弥呼賜れる田なので検察官が送文書をしたためるので、心して差し控えよ。

 

皆臨津捜露 傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯=皆、上申することで、露田の富みを得るのだから混乱しないように、女王卑弥呼賜れる田なので検察官が送文書をしたためるので、心して差し控えよ。

 

<注釈>

一大率=通説誤訳、このような官職はありません。

一、大人(率=兵、軍事用語)・(前後の文脈で意味が違う場合もあります、率=3200兵数

倭國は帯方郡まで属國領土なのです、卑弥呼の時代は九州及び現在のソウルめでが倭國で、およそ五千里。

西暦239年移行白村江の戦いまで領土の拡大縮小を繰り返した時代となります。

 

漢文史記の解読できない学者がいつまで大陸から稲作、鉄文化が渡来したと言い続けるのでしょうか。

 

武器等の名称及び軍事用語 兵数単位

古代中国の戦争 | 三国志、春秋戦国、英雄豪傑、    兵器・兵法、経済・地理、      戦争に関することなら何でも御座れ (paulbeauchamp.org)

 

<解読前提>

※ 古事記古事記上卷 幷序⇒最下段⇒隨本不改。※ 隨本不改⇒借字表音(仮名表音)⇒不快、改=改める。

 

※ 日本書記⇒氣長足 神功皇后⇒中段⇒武宿禰爲太子答歌之曰、⇒【許能彌企塢 伽彌鶏武比等破 曾能菟豆彌 于輸珥多氐々 于多比菟々 伽彌鶏梅伽墓 許能彌企能 阿椰珥 于多娜濃芝作 沙】

 

 卅九年、是年也太己未。魏志云「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守鄧夏、遣吏將送詣京都也。」

卌年。魏志云「正始元年、遣建忠校尉梯携等、奉詔書印綬、詣倭國也。」

 卌三年。魏志云「正始四年、倭王復遣使大夫伊聲者掖耶約等八人上獻。」

 

日本書紀 歌謡三三

宿禰爲太子答歌之曰、

【許能彌企塢 伽彌鶏武比等破 曾能菟豆彌 于輸珥多氐々 于多比菟々 伽彌鶏梅伽墓 許能彌企能 阿椰珥 于多娜濃芝作 沙】

 

極楽トンボの馬鹿学者の解釈>

読下 このみきを かみけむひとは そのつづみ うすにたてて うたひつつ かみけめかも このみきの あやにうただぬし ささ

解釈 此の御酒を 釀みけむ人は 其の鼓 臼に立てて 歌ひつつ 釀みけめかも 此の御酒の あやに 歌樂し

※ 倭國から日本に生まれ変わる国家の威信をかけた正史が日本書記、正史に宴会記録を記述しますか。奈良時代の朝廷は大馬鹿か、現在のすべての学者が馬鹿なのか。

 

※ 古代の朝廷は明治までの律令体制や律令国家作り上げた人々ですよ。

 

【許能彌企塢 伽彌鶏武比等破 曾能菟豆彌 于輸珥多氐々 于多比菟々 伽彌鶏梅伽墓 許能彌企能 阿椰珥 于多娜濃芝作 沙】

<要約>

倭國の遠い古代の道義・学問・文化を軽侮のたぐいでこわしている(批判)を付け加えた正史である、祖師の示した教えで、旅立ちで渡唐し入手したが、昔の書で月日を経ている。

※ 当方がでたらめ誤訳をしていたら ※鶏武=けいぶ=借字表音(仮名表音)軽侮=名](スル)軽んじあなどること。人を見下してばかにすること。「軽侮の念」 通常、このような熟語は知りえません。

 

<要約>

 

ここに、中国から自分と自分以外の者が持ち帰った正史はるか昔で、これはえこひいきするものである。

 

<要約>

正史は本来知識を得させ、その教養が増すことを手本として要素にしたものである、(氐々=亭々⇒はるかに遠いさま)遠い古代の道義・学問・文化を欺く正史にしてはならないが野次の正史である。

<要約>

ここに、多くの正史をまとめて上梓するに当たり、良いものと悪いものを選り分け写す、上巳=陰暦3月初の巳の日,33日。

 

<まとめ>

  • 適正な漢字熟語をインターネット辞書でひらがな検索して並べてつなげただけです。接続詞⇒于⇒ここ-に、ああ、おい-て、よ-り、を、に、いは-く、ゆ-く。

 

古事記、日本書記、古代中国の正史も正確に記述されています、2300年間養われた五経基軸文法にたかだか300年間のでたらめ誤訳で解読できるはずが無い。

 

当方も漢文史記の表層解読にいたったばかりで、深層文章の意味まで到達していません。

 

漢字圏の古代史記に、運も幸いし到達できたのです、漢字圏で研究されている研究者、学者はこのような文法の存在が理解できず、中国の古代史記に呉音(百済音)を採用して意味不明、ひどい解釈では訓音も採用、古代の日本人を愚弄している。

 

※ 要約が三つに分かれているのは、漢字一字一句を詳細に解読し、借字表音(仮名表音)を適正な熟語、故事成語に当てはめています、漢字の字数の増減はありません。

 

※ 接続用語は借字表音(仮名表音)の近くに存在し節文の文頭の接続詞を採用することは有りません。熟語、故事成語を採用する場合にも、接続された漢字を検索して適正な節文に導きます。

 

※ 句点から句点が一文節になり、読点は外します。ご教授できれば良いのですが、ブログでは全体を記述できません。

 

※ご興味のある閲覧者様がおられたらコメントをください。

 

※ 一節文の一部分を取り出して解読はできません、公比積算が借字表音(仮名表音)から適正な文章にするために不可欠なので、できません。

 

聖徳太子1400年遠忌 虚構? 実在? 論争巻き起こすミステリアスな人物像に迫る」

学問的にはと論じながら一文節すら解読できない研究者、学者が権威を振りかざし論じていることの方が滑稽である。

 

<学問的に解読できないでこじつけ解釈している学者様>

非実在論の発表以降、多くの批判もありましたが、学問的に納得できる反論はありません。改めて、聖徳太子は架空の人物であると断言します。

 

法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘(ほうりゅうじ こんどう しゃかさんぞんぞう こうはいめい)】

 法隆寺金堂薬師如来像光背銘 - Wikipedia

1 堓⇒学者様が表音解読できない漢字⇒つちへん+岸⇒がん⇔でたらめ表音。

 

大学教授、学者が、銘文の一文節をズタズタに切り刻み文頭に語尾(熟語・漢字を移動すると解読不可になり、公比積算もできません。

でたらめ解読のパレードあきれ返るばかりです、上記のような解釈を悪びれず公表することは罪悪である

 

 

以上

 

額田王⇒がくでんおう。の解読ブログは遠のくばかりですが、聖徳太子⇒せいとくたいし。を題材に解読します。