魏志倭人伝 卑弥呼 古事記 日本書記 万葉集 甲骨文字 以音 五経基軸文法による解読

漢文史記は五経文法が採用されています、この五経文法は殷時代の甲骨文字(漢字変換)でも採用されており、古代中国は唐時代の末期で消滅、日本では奈良時代(西暦720年)頃で消滅して現在に至っています、この漢文史記を一字一句解読したブログになります。

2019-10-01から1ヶ月間の記事一覧

08 魏志倭人伝、東行至不彌國 百里 官日多模 副日卑奴母離 有千餘家 百里 露田 里は面積 Ⅲ。

ランキング参加中歴史 東行至不彌國 百里 官日多模 副日卑奴母離 有千餘家 <所在地> 陳寿の記述で実測距離は経典(四書五経)の漢文(借字)特殊文法活用で実測距離は積算算出して表れます。 東行至不彌國の所在地は現在の朝倉市(小石原川東側)、うきは…

07 魏志倭人伝、東南至奴国 百里 官日兕馬觚 副日卑奴母離 有二萬餘戸 百里 露田 里は面積 Ⅱ。

ランキング参加中歴史 07 東南至奴国 百里 官日兕馬觚 副日卑奴母離 有二萬餘戸 <所在地> 陳寿の記述で実測距離は経典(四書五経)の漢文(借字)特殊文法活用で実測距離は積算算出して表れます。 神埼郡から東南の國境が筑紫川支流の宝満川合流地点(福岡…

06 魏志倭人伝、東南陸行 五百里 到伊都國官日爾支副日泄謨觚柄渠觚有千餘戸 丗有王皆統屬女王國郡使往來常所駐 五百里  露田 里は面積 Ⅰ。

ランキング参加中歴史 魏志倭人伝、長里、短理の論争は馬鹿げている、東南陸行 東南陸行 五百里 到伊都國到伊都國の 五百里 露田(田んぼ)の面積で距離ではない。 魏志倭人伝は単なる紀行記述ではない、魏國による倭國(属國)に対して税を課すための国税調…

05 魏志倭人伝 又渡一海 千餘里 至末盧國 長崎県平戸市 港 着岸。

ランキング参加中歴史 約37万字に及ぶ『三国志』(それに付けられている裴松之〔372~451年〕の注は、本文に匹敵する約36万字)のすべてに目を通すだけではなく、陳寿の世界観を形成している儒教の経典(四書五経)に通じなければ分からない)と述べている。…

04 魏志倭人伝 又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國 甲骨文字の殷の時代から漢文記述の際に採用されている漢文特殊文法により記述されている。

ランキング参加中歴史 東京大学、京都大学の歴代大学教授、その他の大学研究者等の浅知恵による解釈、読み下しは日本古代史の大罪であり、読む価値はない。 唐時代以後、この文法は中国においても時代の背景が影響し消滅したと思われる。 近代の漢文解釈では…

01 魏志倭人 (1 伝倭人在帶方東南大海之中)(2 從郡至倭 循海岸水行 歴韓国)(3 始度一海 千餘里 至對海國) 国税調査検分報告の記述書である。

ランキング参加中歴史 歴史学者、魏志倭人伝を誤訳する大学教授、研究者の浅い誤訳著作物が氾濫は目に余る、古事記、日本書記、万葉集、甲骨文字も同様である。 倭人在帶方東南大海之中 依山㠀為國邑 舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國 <誤訳定説> …