魏志倭人伝 卑弥呼 古事記 日本書記 万葉集 甲骨文字 以音 五経基軸文法による解読

漢文史記は五経文法が採用されています、この五経文法は殷時代の甲骨文字(漢字変換)でも採用されており、古代中国は唐時代の末期で消滅、日本では奈良時代(西暦720年)頃で消滅して現在に至っています、この漢文史記を一字一句解読したブログになります。

白村江の戦いで倭國は敗戦、北九州、筑紫國は大唐、新羅の占領下となる。

無知蒙昧の歴史学者、国文学者、科学者等は【説文解字】【声訓】【釈名】を真面に解読できていない論文を発表し、横行氾濫しているものを妄信しているのが、現在の通説歴史観

 

倭国の防衛の筑紫國築大野及椽二城は破壊され、強奪、虐殺がなされ極悪非道の行為が繰り返されていた、日本書紀、記述検証解読。

ウクライナのドンパス、マリウポリ同様の行為がなされました、占領下の筑紫國、筑前で天変地異の巨大地震が起き、都は崩壊全滅。

古代中国、夏、殷、周に朝貢、漢、倭國の建国、紀元前37年、諸侯となり、属國、西暦57年【漢委 奴國王】、西暦663年、白村江の戦いで大敗。

天皇、皇族、朝廷は属國のままで存続を図る親中派、独立を推進する天武天皇及び【正当な血族】で万世一系を託す一族ですが、現代の日本の政治と同様で派閥が存在し、激烈な争いが繰り広げられていた。憶測ではありません、無知蒙昧の学者が解読できないだけで、その誤訳を妄信する人々がすべてです。

 

<無知蒙昧の学者の論理>

弥生時代⇒紀元前10世紀または紀元前5世紀、紀元前4世紀頃から、紀元後3世紀中頃までにあたる時代の名称。

倭・倭人関連の中国文献 - Wikipedia

中国正史で倭人の文字の初出は『漢書』地理志である。倭人について有の文字で記されるのは『漢書』が初にして唯一であり、その後の全ての正史では「在」の文字が用いられるので、有の文字は「発見」の意味で用いられ、「在」の文字は所在の意味で用いられたことが示唆される。

 

【浅学菲才的】な学者の論法。

先秦兩漢 - 倭人 - 中國哲學書電子化計劃 (ctext.org)

【周時天下太平】⇒【天下泰平⇒成王の後を継いだのが康王(在位:前1020年 - 前996年)である。】⇒【甲子】

周時天下太平,越裳獻白雉,倭人貢鬯草。食白雉,服鬯草,不能除凶,金鼎之器,安能辟姦?且九鼎之來,德盛之瑞也。

服瑞應之物,不能致福。男子服玉,女子服珠,珠、玉於人,無能辟除,寶奇之物,使為蘭服,作牙身,或言有益者,九鼎之語也。

夫九鼎無能辟除,《傳》言能辟神姦,是則書增其文也。

<要約>

越裳⇒えつしょう、獻白雉⇒献上、白地⇔正絹、倭人貢鬯草⇒倭人、【朝宗】、拝謁、ウコン色の裳。【字彙】⇒漢字を類別して集め、字義・用法などを解説した書物。字引。字書。⇒【貢調】⇒みつぎものを奉ること。

 

<途中詳細は省きますが、解読できない皆様へ>

現在の我が国の技術はどのように思いますか?

自動車産業トヨタ】【ニッサン】【ホンダ】中国より劣っていますか?【半導体】【半導体製造装置】はどうでしょう。

基礎技術は米国から学び、移転、応用技術立国が、現在の立ち位置です、強大な米国、中国の戦力にはかなわない。

古代も同様で、縄文時代からの独自の技術なのか、古代ペルシャ黒歯國】との交易で会得した技術なのかは不明で、文献は存在しません。

ただし、陳寿の【魏志倭人伝】では【裸國⇔ベトナム】【黒歯國⇔古代ペルシャ⇔サーサーン朝】の交易が記述されています。

【金鼎之器】は倭人が【譜代/譜第】制作している。【金鼎之器⇔度量衡⇔金有六齊 青銅幾製造方法⇔五金⇔銅 80:錫 20、しょう‐こう【昇×汞】塩化水銀(Ⅱ)のこと。】

製造方法も詳細に記述されていて、周で記録し、し‐しょう【師承】するようにと記述されています。

当方も、解読検証していて【まさか、本当なのか、真実】ここまで、詳細記述されているなら、真実と捉えるべきである。

現在の漢字に対する【浅学菲才的】な知識では解読できません、では、当方がなぜ、解読できるのか、【周礼五経基軸文法】を理解したので到達に到ったのです。

 

倭人⇒或言有益者,九鼎之語也。⇒【下臣】、有益者、九鼎之語也。きゅうていしごや。⇒どのような言語なのかは不明。

 

筑紫國、筑後國、筑前国豊前國、豊後國、ほぼ崩壊、法隆寺は崩壊を免れます、その後、幾内、奈良に遷都してから大唐との和平交渉【令】で法興寺法隆寺、五寺は移築されます。

 

斉明天皇は国家存亡の中、失意で崩御天智天皇天武天皇は二都制を発布【宣旨】これが俗に論じられている【九州王朝】【淡海王朝】になります。

日本書紀を詳細に読んでください、天智天皇天武天皇は母親が異なります、天智天皇の母親は大唐の血筋なので天皇になります、天武天皇は異母兄になります。

日本書紀では天智天皇崩御、死については明確に記述されていません、解読検証、筑紫から讚岐國山田郡に逃避、けい‐し【経死】首をくくって死ぬこと。縊死(いし)。

 

藤氏家伝(藤氏家傳、とうしかでん)

摂政六年春三月遷都于近江国七年正月即天皇位是為天命開別天皇朝廷無事

遊覧是好人無菜色家有余蓄民咸称大平之代帝召群臣置酒濱楼酒酣極歓於是

大皇弟以長槍刺貫敷板帝驚大怒以将執害太臣固諫帝即止之大皇弟初忌太臣

所遇之高自茲以後殊親重之後値壬申之乱従芳野向東土歎曰若使太臣生存吾

豈至於此困哉人之所思略此類也七年秋九月新羅進調太臣即付使金東厳賜

 

大友皇子弘文天皇⇒無事に近江國で天皇即位して群臣置酒濱楼酒酣極歓於是、大怒した東宮天武天皇】⇒大皇弟以長槍刺貫敷板⇒長槍で刺貫。

その後、壬申之乱のため東國【幾内】に向かう、天武天皇はなぜ戦勝できたか、天武天皇の血筋(血族)にあります、神武天皇以前、

その後、壬申之乱のため東國【幾内】に向かう、天武天皇はなぜ戦勝できたか、天武天皇の血筋(血族)にあります、神武天皇以前、伊弉諾尊に国替えさせられた天照大日孁尊の正統な血族子孫が伊勢、奈良【日本】、京都、吉備、出雲に基盤をきずいていました。近江は百済の難民(王族、群臣)

 

天武天皇壬申の乱に戦勝、西暦672年壬申 長月, 十月二十四日、長潮⇒満潮時⇒【17:00、18:00、19:00⇔初刻、正刻(酉刻) 終】

 

額田王持統天皇、珂瑠、三種の神器斉明天皇天智天皇の御遺体を同船、現在の宗像大社、勅使殿から脱出、遷都。

 

額田王】【熟田津尓船乗世武登月待者潮毛可奈比沼今者許藝乞菜】

 

寧波船⇒五十船⇒同船武者⇒上毛野君稚子大将、三輪君根麻呂副大将、三輪君根麻呂副大将、壹萬率【10,000兵】

周礼五経基軸文法、公比積算四則の解読で上記の文脈が判明しますが、表層文脈に過ぎません、深層文脈は不明。

当方の憶測だけでは上記の事柄を記述できません、現在、額田王の詩が万葉集に分類されていますが、朝廷の法令の骨子の漢文手記になります。

 

斉明天皇天智天皇は京都山階の陵墓に埋葬、この地に漏刻を築きます。

牽牛子塚古墳は斉明天皇の陵墓ではありません。

 

額田王⇒【国務長官⇒額田部⇒CIA.。五幾七道、八色の性、骨子立案】、天武天皇より払い下げ婚姻⇒藤原朝臣大嶋⇒隠居【鏡女王】⇒諡号【牽牛子】

現代人の思考⇒英語: Central Intelligence Agency, 略称:CIA)⇒中央情報局。は理解するが、下記は理解できない。

古代の天皇、皇族、進士、郷神等の科挙の合格同等の知識は【言、ごん⇒説文解字⇒申、しん】⇒【答言⇒現代辞書⇒返答】古代人⇒【答言⇔答申⇒。上申、具申すること。】

 

東⇒東,動也。——《說文》、『說文解字注』⇒(東)動也。見漢律曆志。從木。官溥說:從日在木中。理解できない方へ。東は同本義⇒動、東は木、中も含まれる、

CIA同様に漢字一字一句に周礼五経の意味が存在するので理解できないと古代中国の正史、古事記日本書紀の解読はできない。

 

牽牛子塚古墳⇒八角墳⇒【額田王⇔牽牛子】古墳の正式名称⇒【周禮冢人⇒太極図、八卦高墳】

 

筑紫國、筑後國、筑前国豊前國、豊後國の奪還は100年後の大唐が安碌山の役(乱)に乗じて、渤海国の協力で成し遂げますが、属國の位置は続きます。

すべて、周礼五経基軸文法で解読しています、憶測、持論ではありません、藤氏家伝の漢字文節で解読できると思います。

 

日本書紀は解読できないように編纂されているので周礼五経を理解しないと解読できない文節になっています。

 

 

【無知蒙昧】の学者さまへ。

ご自身が正史、史記を解読できず、【歴史学会】【古代史研究の世界】ではと論じ、ご自身がデタラメ解読しておいて、他者んp批判を繰り返すお粗末さは嘆かわしい。