魏志倭人伝 卑弥呼 古事記 日本書記 万葉集 甲骨文字 以音 五経基軸文法による解読

漢文史記は五経文法が採用されています、この五経文法は殷時代の甲骨文字(漢字変換)でも採用されており、古代中国は唐時代の末期で消滅、日本では奈良時代(西暦720年)頃で消滅して現在に至っています、この漢文史記を一字一句解読したブログになります。

白村江の戦いの総動員兵【率】、軍事用語を理解できず、推測、憶測で論ずる【浅学菲才的】学者のみなさまへ。

白村江の戦いの総動員兵【率】、軍事用語を理解できず、

推測、憶測で論ずる【浅学菲才的】学者のみなさまへ。

 

三軍とは - コトバンク (kotobank.jp)

 

【上軍、中軍、下軍⇔前軍、中軍、後軍】【兵⇔率=スイ】、※、敵軍⇔新羅軍⇒【率二萬七千人打新羅⇒殲滅】⇒前文の文脈を理解することです。

日本書紀 巻第二十七 天智天皇紀 (seisaku.bz)

漢字の解読が苦手でも調べれば理解できます。

 

白村江の戦いで、大唐の属國の倭國が滅亡の危機に瀕して、倭国の都【筑紫】を占領され、幾内に遷都したのが天武天皇です。

北九州、筑紫國は占領させたのです、奪還するのは100年後、続日本書紀に記述、安碌山の乱に乗じて闘って勝ち取ります。

 

軍事用語⇒【大将軍⇒三軍⇒(前・中・後⇒三軍】【一軍⇒1,2500兵=率=すい】【大将軍⇒3,7500率】【前・中・後⇒37,500率】

1【率=兵】、2 【率⇒3200兵数】⇒2種類の軍事用語、

西暦661年、倭國軍出兵数【率軍五千餘衞⇒5000率、大将軍、37500率、】【前・中・後⇒三軍、将軍、3,7500率】⇒【率二萬七千人打新羅⇒殲滅】【大日本國之救將~率健兒萬餘⇒10,000率】

百済國への倭國軍の出兵数、90,000兵【率】

西暦663年、白村江の戦い、【大唐軍、十萬率、100,000率】VS【倭國軍、六萬二千五百率=6,2500率】

白村江の戦い【倭國軍、6,2500率】

西暦665年、秋八月、遣達率答㶱春初、築城於長門國。遣達率憶禮福留・達率四比福夫、於筑紫國築大野及椽二城。

長門國、於筑紫國築大野及椽二城⇒倭国防衛軍⇒【51,200率】

倭國軍、総動員兵【率】⇒【203,700兵=率】、敗戦。⇒大唐、新羅、北九州占領。国家存亡危機。

追加事項

日本書紀天智天皇記⇒軍、大将軍、前、中、後将軍の兵数(率)を理解していないことで過小兵数が通説です、【率】にいたっては無知に等しい。

 

通説⇒【倭と百済の計47000人の兵力】、当方の解読⇒【百済の乱⇔名称⇔藤氏家傳、日本書紀⇒白村江、総兵力⇒203,700動員兵力】⇒軍事用語を解読。

【戦国時代の部隊編成⇒司馬穰苴の軍編成図⇒軍(将軍・副将軍)⇒3200兵】⇔参照⇔当方の周礼五経、公比積算文法、解読⇒【魏志倭人伝で率を検証】

 

【率=声符⇒スイ】⇒【率】⇒率の漢字用法は2パターン。1 【単なる兵⇔軍事用語⇔率】2【率=軍(将軍・副将軍)⇒3200兵】⇔【率=3200兵】

 

魏志倭人伝は【率=3200兵】を基軸単位として公比積算して総兵数を記述しています、【戦の場合⇒自衛軍・敵軍と各兵数を積算算出】⇒【一段(層)~5段(層)目と別々に公比積算を行います】

【公比積算】をする場合は假借、声符で【四則、乗法、除法、加法、減法】の注釈がなされています。

日本書紀天智天皇記⇒軍、大将軍、前、中、後将軍の兵数(率)【率=3200兵】なのか?

【秋八月遣達率答㶱春初築城於長門國。遣達率憶禮福留達率四比福夫於筑紫國築大野及椽二城耽羅遣使來朝。】

【答㶱春初】⇒通説⇒デタラメ誤訳⇒百済の官吏、武人⇒【㶱⇒ホン⇒デタラメ漢音】⇒【㶱=ホ⇒漢音】

 

周礼五経、公比積算⇒【率】⇒計算式⇒假借、声符、字根、倒語⇒【答㶱=トウカ⇒答㶱⇒火本⇒答火⇔倒語⇔か‐とう クヮ‥【火頭】⇒職名。一〇人ごとに火頭一人】

【火頭=10率】【㶱=ホ=10進数】⇒【城於=ジョウホウ⇒じょう‐ほう〔‐ハフ〕【乗法】】⇒【福⇒八=8】【留⇒四=4】=10×10×8×4=3,200兵(率)

抜粋解読⇒卒:兵⇒率⇒3,200兵×4【福=復⇒2、夫⇒説文解字⇒夫=二人】⇒12800兵【率】×4=51200兵【率】

現在の中国歴史学者漢文学者、日本の学者は周礼五経を用いた漢字解読をしていないので表層の記述漢字のみ解読しているだけになります。

【率=3200兵】の兵数根拠を周礼五経基軸文法【九章算術=公比積算】で検証できました。

すべて、現代辞書を引用しているだけで、自己の憶測、考えは含まれていません。