魏志倭人伝 卑弥呼 古事記 日本書記 万葉集 甲骨文字 以音 五経基軸文法による解読

漢文史記は五経文法が採用されています、この五経文法は殷時代の甲骨文字(漢字変換)でも採用されており、古代中国は唐時代の末期で消滅、日本では奈良時代(西暦720年)頃で消滅して現在に至っています、この漢文史記を一字一句解読したブログになります。

聖徳太子の身長。日本書紀 推古天皇【立厩戸豐聰耳皇子爲皇太子、仍錄攝政、】⇒りつきゅうこそうしんじこうしいこうたいしじょうろくせつ(しょう)しょう。

『九章算術』を文節で採用しています、仮借(仍=X)×【攝⇒華甲】×【(隋⇒尺⇒29,5cm)・(唐⇒尺⇒31,1cm)・(倭⇒尺⇒30,syousyou3cm)】=170.0cm・179.1cm・174.5cm

 

1 【仍錄攝政】⇒×(隋⇒尺⇒29,5cm)=170.0cm

2 【仍錄攝政】⇒×(唐⇒尺⇒31,1cm)=179.1cm

3 【仍錄攝政】⇒×(倭⇒尺⇒30,3cm)=174.5cm

 

※ 聖徳太子の身長。隋寸法なのか、唐寸法なのかは不明。

 

※ 法隆寺金堂釈迦三尊は用明天皇で【法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘⇒如願敬造釋迦尊像并侠侍及荘嚴】⇒荘嚴⇒聖徳太子 身長は参考になりません。

 

維摩経義疏 : 3巻. 5 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

P42-40

薬王如来應供遍知明行足善逝世間解無上士調御丈夫天人師佛世尊世界名大荘巌劫名荘巌佛壽二十劫其聲聞僧三十六億那由他菩薩僧有十ニ億天帝是時轉輪聖王名曰【眷】

聖徳太子】⇒聖徳太子⇒佛世尊世界名 大荘巌 劫名荘巌 佛壽

 

法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘 - Wikipedia

でたらめの誤訳

癸未年三月中、如願敬造釋迦尊像并侠侍及荘嚴具竟。⇒そして、推古天皇31年(623年)3月に、発願のごとく謹んで釈迦像と脇侍、また荘厳の具(光背と台座)を造りおえた。

聖徳太子⇒劫名荘巌】⇒でたらめ口語訳⇒荘厳の具

<閲覧してくださる皆様へ>

 

魏志倭人伝古事記日本書紀史記には漢字を用いて『九章算術』が使われています、解読できないだけなのです。

 

漢字、一字一句は深い意味を持っています、理論的な正しい計算式を導き出してください。

 

<下記の記述も同様です。>

 

法隆寺伽藍縁起并流記資財帳】

 

【法隆寺伽藍縁起并流記資財帳】 (nijl.ac.jp)

 

【合金𡬺力士形貳躯在中門】

 

【合金𡬺力士形貳躯在中門】⇒資財帳に記述されているのに解読できないので、現在は【金剛力士】名称を変更、⇒寸法が記述されていますが解読できないのと、【𡬺】漢表音が不明なのかわかりませんが、金𡬺力士も怒っています。

 

※ 九章算術で記述されています。※ 当方は九章算術の数式で解読しています。

 

𡬺⇒華甲】×【𡬺⇒漢表音】=160

 

【合金𡬺力士形貳躯在中門】⇒深い意味があって建立されているにも関わらず全ての学者、法隆寺の関係者も解読できないお粗末な状況です。

 

※ ついでに。

 

【中門】も意味があって真ん中に柱が立っています、解読できない学者、建築学者は理解できないのです。

 

※ 今回は短めの投稿です。

<追記>

聖徳太子の【聖】は古代中国では聖人に許されている漢字で不文律なのです、属國も倭に於いては天皇であろうと、皇族であろうと使ってはならない漢字なのです。

 

古代中国の史記、日本(倭)古事記日本書紀には仮名【與】を記述しています、唐が滅び、中国に朝貢しなくなってから【聖】を使いはじめ聖徳太子になりました。

 

説文解字の【聖】に記述してありますが、解読できなければ理解できません。