魏志倭人伝 卑弥呼 古事記 日本書記 万葉集 甲骨文字 以音 五経基軸文法による解読

漢文史記は五経文法が採用されています、この五経文法は殷時代の甲骨文字(漢字変換)でも採用されており、古代中国は唐時代の末期で消滅、日本では奈良時代(西暦720年)頃で消滅して現在に至っています、この漢文史記を一字一句解読したブログになります。

魏志倭人伝 卑弥呼女王の死(其死有棺無槨 封土作冢 始死停喪十餘日)と三角縁神獣鏡について

景初三年陳是作鏡自有経述本是京師杜□□出吏人□□□(位)□(至)三公母人?之保子宜孫寿如金石

景初三年陳是作鏡自有経述本是京師杜地命出吏人銘之位至三公母人銘之保子宜孫寿如金石

最悪は「陳是作鏡」陳是が個人名、鏡を作った師=職人だと解釈する学者、研究者、時の権力があったと思われる皇族、豪族が神聖な墳墓や古墳に埋葬品として納棺するわけがない。

古代漢文史記は特殊文法で成り立っています、読みが違うと、現在の音声パスワードと同様で解読ができません、鍵が合わないので扉は開きません。

叉、積数も現れないような文法になっています。

三角縁神獣鏡の解読 Ⅰ

景初三年陳是作鏡自有経述本是京師杜□□出吏人□□□(位)□(至)三公母人?之保子宜孫寿如金石

景初三年陳是作鏡自有経述本是京師杜地命出吏人銘之位至三公母人銘之保子宜孫寿如金石

<注釈 >

邪馬壹國製造鏡

邪馬壹國から魏國に対しての嘆願書文、理由は狗奴國が戦を仕掛けてくることは魏志倭人伝の記述にもあります。

<補足>

其死有棺無槨 封土作冢 始死停喪十餘日 當時不食肉 喪主哭泣 他人就歌舞飲酒 已葬 擧家詣水中澡浴 以如練沐

邪馬壹國の女王卑弥呼は(己未年=西暦239年6月)に亡くなりました。通説は誤訳

嘆願書文の漢字の一字一句に意味があります、この時代は表音借字文法となります。

□□□の漢字は埋めています

<解読 >

景初三年陳是作鏡自有経述本是=景初三年(陳是=戦闘の備え。軍隊の配置。)している、(作鏡自有経=左京=内裏から南を向いて左側の意、右京=内裏から南を向いて右側の意)

この鏡に(述本是=受け継ぎ記録して伝える)

京師杜地命出吏人銘之位至=京の史都は(師=兵)で防ぎ止めています、(命=天の定め、地の定め)、(出吏人銘之位至=魏國の吏人名詞、次の官位、次席人も中央からはなれることは行き渡っております。

三公母人銘之保子宜孫寿如金石=(三公=三人の公=朝廷の母人=防人=魏國防人、(銘之=名詞=人物=人物を具体的な対象を指示する品詞)

(保子=奉伺=目上の人の機嫌をおうかがい申し上げること)(孫=遜=へりくだる。控えめにする。自分を低くする)

(宜=魏國に懇願いたします、邪馬壹國は魏國を寿=需=必要とする、もとめ)います、金石=金文(鏡)刻む。

師=兵数用語

積数による兵数=二萬五千兵

羈縻政策(きびせいさく)中国の王朝によっておこなわれた周辺の異民族に対する統御政策の呼称

邪馬壹國は製造した銅鏡(魏國への嘆願、邪馬壹國の属國に対し羈縻政策(きびせいさく)の吉備國、(侏儒国(しゅじゅこく)=四国の女王等に送っている可能性があります。