魏志倭人伝 卑弥呼 古事記 日本書記 万葉集 甲骨文字 以音 五経基軸文法による解読

漢文史記は五経文法が採用されています、この五経文法は殷時代の甲骨文字(漢字変換)でも採用されており、古代中国は唐時代の末期で消滅、日本では奈良時代(西暦720年)頃で消滅して現在に至っています、この漢文史記を一字一句解読したブログになります。

魏志倭人伝の前文として解読。 東夷伝 周・漢時代の倭人・倭國の中国史記 三角縁神獣鏡 

周時天下太平 越裳獻白雉 倭人貢鬯草 食白雉服鬯草 不能除凶

<仮説注釈>

周の都、洛陽に朝貢するには帆走船が不可欠で400名と朝貢の献上品を含めると5艘(そう)が必要と思われる。

現在に於いても、韓国、北朝鮮を経由して通過するには多くの問題が上げれます。

著名な歴史学者が唱える先進国の古代韓国(百済新羅)に朝貢したという史実は見つかりません。

この時代は現在のソウル(諸説有)までは倭國の領土でその後属國(百済新羅等)、白村江の戦いで滅亡。

倭國、百済連合が高句麗新羅に敗れ倭國皇族の血縁(百済)王族、豪族の難民が幾内、近江、全国に散らばる。

<借字解読>

周時天下太平=周時代、天下泰平

越裳獻白雉=越國人の衣(裳=も。もすそ。したばかま。腰から下にまとう衣服で白い絹糸で織った布で(重)重ね着である。

倭人貢鬯草食白雉服=倭人朝貢時の服装は(鬯=うこん。鬱金(うっこん)色の絹糸で織った布(草=そまつな衣帛地服である。

鬯草不能除凶=(鬯草不能=朝宗譜代=天子に代々拝謁していることで誌経を与える。

倭國の朝貢遣使数四百名(人)(四百=古代中国では四百は中国全州の意で、倭國全州の代表の意

 

建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬

四百余州(中国全土のこと。四百州。)古代中国に習い、倭奴国倭国の代表として四百人で光武帝朝貢したことに喜び、倭国大夫の称号を授け極難南海で理解できないが頂点の証として印を授けた。

倭國の朝貢遣使数四百名(人)(四百=古代中国では四百は中国全州の意で、倭國全州の代表の意

 

安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見

安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見=(安帝永初元年=西暦107年)倭國王が朝貢の際に天子に倭國の刀の師匠を百六十人献上することを願いでた。

 

<注釈>

倭國は属国でありながら、先端技術・交易國で漢に技術人材を献上している記述。

倭國の朝貢遣使数四百名(人)(四百=古代中国では四百は中国全州の意で、倭國全州の代表の意

(帥=すい=刀を鍛えつくる職人。刀鍛冶(かたなかじ、刀工、職人。)

(生=生きている人間、人物)(口=本来は刀の積数、工人=職人の意)

 

生の解読の確認、古事記、日本書記に記述があります、歴代天皇のすべてではないですが、天皇が即位した際に多くの記述があります、

□□夫人、生□□媛、生□□皇女、□男、女の記述があります、この記述で奴隷、鮮卑ではないと説明ができます。

即位した天皇に戦等で亡くなり功績があった皇族や豪族遺族の扶持を付けての養子縁組や未亡人の引き取りになります。

 

青龍三年顔氏作竟成文章左龍右虎辟不詳朱爵玄武順陰陽八子九孫治中央寿如金石宜侯王

<注釈 1>

三角縁神獣鏡 銘文

三角縁神獣鏡命名した鏡の説明文で倭國及び中国(漢)に献上した刀匠・職人の製作鏡

青龍三年顔氏作竟成文章=(青龍三年=西暦235年)(成文=上聞=天皇や君主に申し上げること)の鏡は(竟=連なる)(顔=色彩)文、模様。

左龍右虎辟不詳朱爵玄武順=左に龍、右に虎(辟不=秘符=神の加護がこもり)(不詳=ふよう=芙蓉)(朱爵=朱雀、玄武)の四神

陰陽八子九孫治=陰陽、(八=八卦、子=十二支、九=九星、(孫治=遜辞=へりくだっていう言葉)

中央寿如金石宜侯王=(中央=太極、寿如=寿序=寿を祝う、金石=金文刻、)(宜=魏、侯王=五等級の爵位(公・侯・伯・子・男)の二番目)

<注釈 2>

鈕孔の向き=(堪輿=風水)により紐をとおして飾る際の星宿の違い。