神武天皇の年齢と欠史八代説、古事記、日本書記の誤解釈で提唱する学者、研究者に問題があると考えられます。
そもそも学者、研究者が誤解釈して論争すること自体が滑稽に思えます、20文字にも満たない漢文を解読できず、現在に至っています。
古事記では137歳、日本書紀では127歳、もろもろの条件結果が紀元660年(辛酉年春正月庚辰朔、天皇卽帝位於橿原宮)結論とされています。
漢文史記には特殊文法があり、積数解読もその一つになります。
日本の歴史史記も解読できないのに、魏志倭人伝の記述を解読できるはずがない。
魏志倭人伝の解読はほぼ終了しています。
<解読 >
辛酉年春正月庚辰朔=(西暦301年1月1日)この年、神武天皇が即位した年になります。
原文
七十有六年春三月甲午朔甲辰、天皇崩于橿原宮、時年一百廿七歲。明年秋九月乙卯朔丙寅、葬畝傍山東北陵。
七十有六年春三月甲午朔甲辰=二つの意味があります、1は赤烏元年=西暦240年で西暦320年=積数合計80年が西暦320年になります。
七十有六年春三月甲午朔甲辰=もう一つは在位年数=20年(西暦320年)
原文
凡此神倭伊波禮毘古天皇御年、壹佰參拾漆歲。御陵在畝火山之北方白檮尾上也。
凡此神倭伊波禮毘古天皇御年、壹佰參拾漆歲=積数=70歳
この積数が解読できないことで欠史八代論が唱えられるようになりました。
歴代天皇の崩御を年代順に並べると現在の天皇の順番が変わります、西暦320年(元年)~(百二年春正月)西暦403年まで13代の天皇。
卅三年夏五月、天皇不豫。癸酉、崩。時年八十四。
百二年春正月戊戌朔丙午、天皇崩。
元年春正月庚寅朔庚子、太子卽天皇位
九年春二月癸卯朔丁未、天皇、忽有痛身而明日崩
上記は元号が元年春正月庚寅朔庚子、太子卽天皇位ない記述されているので不明。