魏志倭人伝 卑弥呼 古事記 日本書記 万葉集 甲骨文字 以音 五経基軸文法による解読

漢文史記は五経文法が採用されています、この五経文法は殷時代の甲骨文字(漢字変換)でも採用されており、古代中国は唐時代の末期で消滅、日本では奈良時代(西暦720年)頃で消滅して現在に至っています、この漢文史記を一字一句解読したブログになります。

野馬台詩 吉備 真備(きび の まきび) 五経文法で解読。

野馬台詩は西暦479年 宝誌記述 六十一歳、漢文特殊文法で表れる積数になります。

【野馬台詩】

難読詩とされている史記です。

野馬臺詩耶馬台詩やまいつし、やまたいし)は、平安時代から室町時代に掛けて流行した予言史記の説。

 

平安時代末期に成立した『江談抄』によれば、遣唐使吉備真備が唐の玄宗に謁見した際に解読を命じられたが。史記文、漢文配列が乱れている思い思案していると、そこに蜘蛛が落ちて、その蜘蛛の這った後を追うと無事読むことができたと言われています。

吉備真備(きび の まきび)は、奈良時代の公卿、学者。

 

<注釈>

吉備 真備は全漢文の解読は果たせなかったと推察します、一部に天子を批判、風刺する一章節が有り、解読されると当時の状況では許されないことだと判断し、解読できないように導いたと思われます。

解読するために、色々調べた結果、原文以外は誤字があり、解読不能と判断いたしました。

ネットで掲載されている野馬台詩の写本は誤字が2文字あります。

喰=誤字、原本=

鷄=誤字 原本=

誤字で写本すると、解読不可能になります。

 

宝誌(ほうし)西暦418年(義熙14年) -西暦 514年(天監13年))は、中国の南朝時代の僧。

 

宝誌の史記は古代中国の時代を超え、歴史史実の論評も記述しているので、情報を知りえない吉備 真備には理解できなかったと思われます。

【蜘蛛の這った後を追うと、無事読むことができたという。】

この解読手法では解読不可能です。

 

【漢文特殊文法による筆者解読  】

 

(巳未年 西暦 479年 宝誌 記 六十一才・二十七宿・八卦

始 定 壤 天 本 宗 初 功 元 建

師 弟 常 典 本 宗 諸 侯 源 賢 常典本(本筮法)

終 臣 君 周 枝 祖 興 治 法 主

周 仁 君 宗 旨 祖 司 法 守 周國

谷 孫 走 生 羽 祭 成 終 事 衡

八 巽 相 承 波 才 城 終 事 皇 波 才(八卦・巽)

塡 田 魚 膾 翔 世 代 天 工 翼

伝 伝 御 皆 象 世 代 天 公 翼 十翼(道 教・易)

孫 子 動 戈 葛 百 國 氏 右 輔

孫 子 動 戈 葛 百 石 氏 禹 歩 孫子

昌 微 中 干 後 東 海 姫 司 爲

昌 微 中 間 後 東 三 姫 死 爲 武昌

白 失 水 寄 胡 空 爲 遂 國 喧

白 溢 酔 気 虚 空 井 水 國  論語=滅びる⇔幸福)

龍 游 窘 急 城 土 茫 茫 中 鼓

劉 裕 窘 急 譲 渡 茫 茫 中 古 劉 裕

牛 飡 食 人 黄 赤 與 丘 靑 鐘

五 山 食 人 黄 石 公 九 星 象 黄石公

10

膓 鼠 黑 代 雞 流 畢 竭 猿 外

鼂 錯 黑 代 景 劉 畢 竭 掩 蓋 呉楚七国の乱

11

丹 盡 後 在 三 王 英 称 犬 野

二 審 五 罪 三 王 永 昌 懸 也 永昌懸

12

水 流 天 命 公 百 雄 星 流 飛

水 流 天 命 百 行 悠 清 流 飛 八卦・太極

 

上記の右側に参照項目(キーワード)が記載してあります、掘り下げて追及される方は参考にしてください。