魏志倭人伝 卑弥呼 古事記 日本書記 万葉集 甲骨文字 以音 五経基軸文法による解読

漢文史記は五経文法が採用されています、この五経文法は殷時代の甲骨文字(漢字変換)でも採用されており、古代中国は唐時代の末期で消滅、日本では奈良時代(西暦720年)頃で消滅して現在に至っています、この漢文史記を一字一句解読したブログになります。

無知蒙昧の歴史学者、国文学者さまへ、漢字の根本的な考え方が間違っている。

日本書紀】西暦721年から【日本紀講筵⇒『日本書紀』の講義・研究】⇒講師には紀伝道などの歴史に通じた学者が博士・都講・尚復などに任命されて、数年かけて全30巻の講義を行った。

博士ら講義担当者は講義にあたって予めテキストに相当する覚書である『日本紀私記』を作成した。甲本は弘仁、丁本は承平の講書の私記であると考えられており、甲本は『弘仁私記』とも呼ばれる

いずれの【日本紀私記】も解読、解釈に至っていない、【周礼五経、易、説文解字】を熟知していないことで【漢字、一字一句の聲、声符⇒偏旁、字根の活用】で【日本紀私記】は編纂記述されているが、根本的な漢字の理解が欠落している。

 

日本紀私記序(弘仁私記序)においては注釈が編纂記述されている古事記の説が多く、【師説】【博士説】の文章記述には【日本書紀はなぜこのような文法で編纂されているのか。】

 

日本書紀】を【毛唐】にじ‐かい【字解】、【どく‐しょう=読誦】、どく‐し【読史】をさせない為、と記述されているが、日本書紀の詳細な編纂記述の解読はなされていない。

【師説古事記上宮紀大和夲紀等皆久良介奈湏太々与倍止云云然則具説為先太々与倍利止云乎可為淩説】

上記に日本書紀の文法について記述されていていますが、解読、解釈できますか?

1300年間、誤読、誤訳、誤読、誤訳が連々と拡大解釈になってしまった。

その後、【浅学菲才的】な江戸時代の本居頼長、近年【上代特殊仮名遣】の橋本進吉氏、大野晋氏、西宮一民氏、森博達氏等のデタラメ解字が定説化しているのが現状である。

 

天動説的な【でたらめ解字】が起点となっているので救いようがない。

 

偉そうに権威を振りかざしているが、古事記日本書紀等の文法法則が成り立たない表音仮名【万葉仮名】では永遠に解読ができない。

 

橋本進吉の論文、抜粋。⇒上代特殊仮名遣(じょうだいとくしゅかなづかい)とは、上代日本語における『古事記』・『日本書紀』・『万葉集』など上代奈良時代頃)の万葉仮名文献に用いられた、古典期以降には存在しない仮名の使いわけのことである。 

 

【浅学菲才的】な学者は以下のように論じる、「日本書紀等の文章は漢文体を意図して書かれている、 即ち漢文体であると把握 してよいであろう、漢文を目鬣しながらも誤ることはある。」森博達氏 (1991 ・1999 ・2011)が 論じる日本書紀

 

森博達氏 (1991 ・1999 ・2011)が 論じる日本書紀のα群とβ群のうち、森 ま た 瀬 間正之氏 (1999)等 が説くように、と くに β群 にその誤 りが 見られると論じている 。

 

【漢文体】【和文体】【変体漢文(和化漢文)】【倭文体】で【上代特殊仮名遣】音仮名を漢字に当てたことが幼稚な手法で、あたかも正論のようになっている。

 

国文学会の論が正論なら、古事記日本書紀等【暦年代整合の判定、歴代天皇の年齢】を含め、史記の完全解読ができないのは、何故なのか。

 

国文学会の学者は講釈を並べ立てるが、肝心な漢文解読ができていない、恥ずべき論法を唱えている現状は嘆かわしい。

 

【周礼五経基軸文法⇒アルゴリズム構成文法⇒「漢字⇔倉頡⇔易⇔説文解字⇔聲・声符⇔偏旁、字源⇔公比」⇒「算法」】⇒【 乱択アルゴリズム(確率的アルゴリズム)】⇒【 近似アルゴリズム】⇒【選択アルゴリズム

 

倉頡輸入法 - Wikipedia

 

国文学会の学者が論じる、【字音仮字】は周礼五経、拙文解字から逸脱しているので論争する気にならない。

【デタラメな訓用指示、解釈】

轤然、此云乎謀苦留留爾。瑲瑲乎、此云奴儺等母母由羅爾。⇒訓用指示⇒片仮名⇒誤読⇒誤表音。

 

讄轤然を乎謀苦留留爾(をもくるるに)と読みます。瑲瑲乎を奴儺等母母由羅爾(ぬなとももゆらに)と云う。

どのような意味、文脈の事柄を記述しているのか、意味不明。当方は正しく、【周礼五経、易、説文解字、聲、声符⇒偏旁、字根】一字一句解読検証しています。

 

【出題、下記の文節を解読していただけますか?】

 

日本書紀】⇒【日本書紀巻第四、神渟名川耳天皇 綏靖天皇

下記の編纂文節があります、【己卯】⇒【西暦259年】【西暦319年】【西暦379年】⇔【目くらまし⇔神謀⇒神わざかと思うほどすぐれた計略。】

【浅学菲才的】な知識でどのように読もうと差支えありませんが、同時に解読もできません。

 

西暦〇〇〇年を解読してみては、いかがですか?

神渟名川耳天皇 綏靖天皇

 

【圖害二弟干時也太己卯。】

正しい西暦〇〇〇年を回答してください。

【浅学菲才的】な知識の解読は【太歲己卯】を干支年表で検索する、【神渟名川耳天皇 綏靖天皇】の当確年代は⇒【西暦259年】【西暦319年】【西暦379年】

 

日本書紀には【太歲〇〇】が多様な記述編纂が存在します、【日本書紀⇒神代上~持統天皇】の時代考証すると、整合性が取れなくなり、その結果、都合の良い時だけ【中国の讖緯説・陰陽五行説】を持ち出す愚かさ。

 

日本書紀は多様な謀略編纂で記述されています、【大唐、中国、親中派皇族】に解読されないような文法活用、漢字の記述例⇒【神謀・神謀・密策・其謀】

 

【神謀・神謀・密策・其謀】⇒【漢字、熟語の実例】

 

【一書曰】⇒【無知蒙昧⇔「(いっしょいわく)⇔一書曰⇔(あるふみにいわく)」】

【古代中國⇒朝廷進貢,並參見皇上】⇒【書⇒【說文】作,著也。从聿从者。隷省作書。⇒參見「六書 」條。⇔けんじょう‐ご〔ケンジヤウ‐〕【謙譲語】】

 

日本書紀】⇒【漢字⇒書⇒聲・声符⇒しょ・偏旁、字根⇒じつ⇔日】⇔【古代中國⇒曰⇔エツ】【日本書紀⇒日⇔ジツ】

【一書曰⇒いちじつえつ】⇒假借⇒【一書⇒日⇒ジツ】⇒いち‐じつ【一実】⇒仏語。絶対平等の真実。真如。また、一乗法をいう。

【曰⇒聲、声符⇒假借⇒えつ【閲】⇒1 改め調べる。2 経過する。】

無知蒙昧の歴史学者、国文学者は天皇の絶対年代と寿命の不自然記述【春秋二倍暦説】を仮説を論じるお粗末さ。

 

【愚かさの実例】

【紀年論】

歴代天皇の在位期間の問題は、初期の天皇の不自然な長寿についてである(神武天皇崩御時127歳、崇神天皇は120歳、応神天皇は110歳)。そして彼らに関わる紀年を西暦に置き換えると到底史実とはみなし難い年代が得られる。

 

【正しい回答を導き出す文法】

【大数の命数法⇒下数・乗】⇒【四則⇒加法⇔周礼五経基軸文法。プラス⇒説文解字

 

A⇒【自天祖降跡以逮于今一百七十九萬二千四百七十餘。】⇒【大数の命数法⇒下数・乗】⇒【四則⇒加法⇔周礼五経基軸文法。プラス⇒説文解字】⇒【回答⇒43歳】

 

B⇒【自天祖降跡以逮于今一百七十九萬二千四百七十餘。】⇒【大数の命数法⇒下数・乗】⇒【四則⇒加法⇔周礼五経基軸文法。プラス⇒説文解字。プラス⇒公比積算数⇒】⇒【回答⇒39歳】

 

正しい回答解読。⇒【回答⇒39歳】

当方は日本書紀の紀年を特定し、年表を作成しています、すべて検証しています。

 

 

 

 

白村江の戦いで倭國は敗戦、北九州、筑紫國は大唐、新羅の占領下となる。

無知蒙昧の歴史学者、国文学者、科学者等は【説文解字】【声訓】【釈名】を真面に解読できていない論文を発表し、横行氾濫しているものを妄信しているのが、現在の通説歴史観

 

倭国の防衛の筑紫國築大野及椽二城は破壊され、強奪、虐殺がなされ極悪非道の行為が繰り返されていた、日本書紀、記述検証解読。

ウクライナのドンパス、マリウポリ同様の行為がなされました、占領下の筑紫國、筑前で天変地異の巨大地震が起き、都は崩壊全滅。

古代中国、夏、殷、周に朝貢、漢、倭國の建国、紀元前37年、諸侯となり、属國、西暦57年【漢委 奴國王】、西暦663年、白村江の戦いで大敗。

天皇、皇族、朝廷は属國のままで存続を図る親中派、独立を推進する天武天皇及び【正当な血族】で万世一系を託す一族ですが、現代の日本の政治と同様で派閥が存在し、激烈な争いが繰り広げられていた。憶測ではありません、無知蒙昧の学者が解読できないだけで、その誤訳を妄信する人々がすべてです。

 

<無知蒙昧の学者の論理>

弥生時代⇒紀元前10世紀または紀元前5世紀、紀元前4世紀頃から、紀元後3世紀中頃までにあたる時代の名称。

倭・倭人関連の中国文献 - Wikipedia

中国正史で倭人の文字の初出は『漢書』地理志である。倭人について有の文字で記されるのは『漢書』が初にして唯一であり、その後の全ての正史では「在」の文字が用いられるので、有の文字は「発見」の意味で用いられ、「在」の文字は所在の意味で用いられたことが示唆される。

 

【浅学菲才的】な学者の論法。

先秦兩漢 - 倭人 - 中國哲學書電子化計劃 (ctext.org)

【周時天下太平】⇒【天下泰平⇒成王の後を継いだのが康王(在位:前1020年 - 前996年)である。】⇒【甲子】

周時天下太平,越裳獻白雉,倭人貢鬯草。食白雉,服鬯草,不能除凶,金鼎之器,安能辟姦?且九鼎之來,德盛之瑞也。

服瑞應之物,不能致福。男子服玉,女子服珠,珠、玉於人,無能辟除,寶奇之物,使為蘭服,作牙身,或言有益者,九鼎之語也。

夫九鼎無能辟除,《傳》言能辟神姦,是則書增其文也。

<要約>

越裳⇒えつしょう、獻白雉⇒献上、白地⇔正絹、倭人貢鬯草⇒倭人、【朝宗】、拝謁、ウコン色の裳。【字彙】⇒漢字を類別して集め、字義・用法などを解説した書物。字引。字書。⇒【貢調】⇒みつぎものを奉ること。

 

<途中詳細は省きますが、解読できない皆様へ>

現在の我が国の技術はどのように思いますか?

自動車産業トヨタ】【ニッサン】【ホンダ】中国より劣っていますか?【半導体】【半導体製造装置】はどうでしょう。

基礎技術は米国から学び、移転、応用技術立国が、現在の立ち位置です、強大な米国、中国の戦力にはかなわない。

古代も同様で、縄文時代からの独自の技術なのか、古代ペルシャ黒歯國】との交易で会得した技術なのかは不明で、文献は存在しません。

ただし、陳寿の【魏志倭人伝】では【裸國⇔ベトナム】【黒歯國⇔古代ペルシャ⇔サーサーン朝】の交易が記述されています。

【金鼎之器】は倭人が【譜代/譜第】制作している。【金鼎之器⇔度量衡⇔金有六齊 青銅幾製造方法⇔五金⇔銅 80:錫 20、しょう‐こう【昇×汞】塩化水銀(Ⅱ)のこと。】

製造方法も詳細に記述されていて、周で記録し、し‐しょう【師承】するようにと記述されています。

当方も、解読検証していて【まさか、本当なのか、真実】ここまで、詳細記述されているなら、真実と捉えるべきである。

現在の漢字に対する【浅学菲才的】な知識では解読できません、では、当方がなぜ、解読できるのか、【周礼五経基軸文法】を理解したので到達に到ったのです。

 

倭人⇒或言有益者,九鼎之語也。⇒【下臣】、有益者、九鼎之語也。きゅうていしごや。⇒どのような言語なのかは不明。

 

筑紫國、筑後國、筑前国豊前國、豊後國、ほぼ崩壊、法隆寺は崩壊を免れます、その後、幾内、奈良に遷都してから大唐との和平交渉【令】で法興寺法隆寺、五寺は移築されます。

 

斉明天皇は国家存亡の中、失意で崩御天智天皇天武天皇は二都制を発布【宣旨】これが俗に論じられている【九州王朝】【淡海王朝】になります。

日本書紀を詳細に読んでください、天智天皇天武天皇は母親が異なります、天智天皇の母親は大唐の血筋なので天皇になります、天武天皇は異母兄になります。

日本書紀では天智天皇崩御、死については明確に記述されていません、解読検証、筑紫から讚岐國山田郡に逃避、けい‐し【経死】首をくくって死ぬこと。縊死(いし)。

 

藤氏家伝(藤氏家傳、とうしかでん)

摂政六年春三月遷都于近江国七年正月即天皇位是為天命開別天皇朝廷無事

遊覧是好人無菜色家有余蓄民咸称大平之代帝召群臣置酒濱楼酒酣極歓於是

大皇弟以長槍刺貫敷板帝驚大怒以将執害太臣固諫帝即止之大皇弟初忌太臣

所遇之高自茲以後殊親重之後値壬申之乱従芳野向東土歎曰若使太臣生存吾

豈至於此困哉人之所思略此類也七年秋九月新羅進調太臣即付使金東厳賜

 

大友皇子弘文天皇⇒無事に近江國で天皇即位して群臣置酒濱楼酒酣極歓於是、大怒した東宮天武天皇】⇒大皇弟以長槍刺貫敷板⇒長槍で刺貫。

その後、壬申之乱のため東國【幾内】に向かう、天武天皇はなぜ戦勝できたか、天武天皇の血筋(血族)にあります、神武天皇以前、

その後、壬申之乱のため東國【幾内】に向かう、天武天皇はなぜ戦勝できたか、天武天皇の血筋(血族)にあります、神武天皇以前、伊弉諾尊に国替えさせられた天照大日孁尊の正統な血族子孫が伊勢、奈良【日本】、京都、吉備、出雲に基盤をきずいていました。近江は百済の難民(王族、群臣)

 

天武天皇壬申の乱に戦勝、西暦672年壬申 長月, 十月二十四日、長潮⇒満潮時⇒【17:00、18:00、19:00⇔初刻、正刻(酉刻) 終】

 

額田王持統天皇、珂瑠、三種の神器斉明天皇天智天皇の御遺体を同船、現在の宗像大社、勅使殿から脱出、遷都。

 

額田王】【熟田津尓船乗世武登月待者潮毛可奈比沼今者許藝乞菜】

 

寧波船⇒五十船⇒同船武者⇒上毛野君稚子大将、三輪君根麻呂副大将、三輪君根麻呂副大将、壹萬率【10,000兵】

周礼五経基軸文法、公比積算四則の解読で上記の文脈が判明しますが、表層文脈に過ぎません、深層文脈は不明。

当方の憶測だけでは上記の事柄を記述できません、現在、額田王の詩が万葉集に分類されていますが、朝廷の法令の骨子の漢文手記になります。

 

斉明天皇天智天皇は京都山階の陵墓に埋葬、この地に漏刻を築きます。

牽牛子塚古墳は斉明天皇の陵墓ではありません。

 

額田王⇒【国務長官⇒額田部⇒CIA.。五幾七道、八色の性、骨子立案】、天武天皇より払い下げ婚姻⇒藤原朝臣大嶋⇒隠居【鏡女王】⇒諡号【牽牛子】

現代人の思考⇒英語: Central Intelligence Agency, 略称:CIA)⇒中央情報局。は理解するが、下記は理解できない。

古代の天皇、皇族、進士、郷神等の科挙の合格同等の知識は【言、ごん⇒説文解字⇒申、しん】⇒【答言⇒現代辞書⇒返答】古代人⇒【答言⇔答申⇒。上申、具申すること。】

 

東⇒東,動也。——《說文》、『說文解字注』⇒(東)動也。見漢律曆志。從木。官溥說:從日在木中。理解できない方へ。東は同本義⇒動、東は木、中も含まれる、

CIA同様に漢字一字一句に周礼五経の意味が存在するので理解できないと古代中国の正史、古事記日本書紀の解読はできない。

 

牽牛子塚古墳⇒八角墳⇒【額田王⇔牽牛子】古墳の正式名称⇒【周禮冢人⇒太極図、八卦高墳】

 

筑紫國、筑後國、筑前国豊前國、豊後國の奪還は100年後の大唐が安碌山の役(乱)に乗じて、渤海国の協力で成し遂げますが、属國の位置は続きます。

すべて、周礼五経基軸文法で解読しています、憶測、持論ではありません、藤氏家伝の漢字文節で解読できると思います。

 

日本書紀は解読できないように編纂されているので周礼五経を理解しないと解読できない文節になっています。

 

 

【無知蒙昧】の学者さまへ。

ご自身が正史、史記を解読できず、【歴史学会】【古代史研究の世界】ではと論じ、ご自身がデタラメ解読しておいて、他者んp批判を繰り返すお粗末さは嘆かわしい。

白村江の戦いの総動員兵【率】、軍事用語を理解できず、推測、憶測で論ずる【浅学菲才的】学者のみなさまへ。

白村江の戦いの総動員兵【率】、軍事用語を理解できず、

推測、憶測で論ずる【浅学菲才的】学者のみなさまへ。

 

三軍とは - コトバンク (kotobank.jp)

 

【上軍、中軍、下軍⇔前軍、中軍、後軍】【兵⇔率=スイ】、※、敵軍⇔新羅軍⇒【率二萬七千人打新羅⇒殲滅】⇒前文の文脈を理解することです。

日本書紀 巻第二十七 天智天皇紀 (seisaku.bz)

漢字の解読が苦手でも調べれば理解できます。

 

白村江の戦いで、大唐の属國の倭國が滅亡の危機に瀕して、倭国の都【筑紫】を占領され、幾内に遷都したのが天武天皇です。

北九州、筑紫國は占領させたのです、奪還するのは100年後、続日本書紀に記述、安碌山の乱に乗じて闘って勝ち取ります。

 

軍事用語⇒【大将軍⇒三軍⇒(前・中・後⇒三軍】【一軍⇒1,2500兵=率=すい】【大将軍⇒3,7500率】【前・中・後⇒37,500率】

1【率=兵】、2 【率⇒3200兵数】⇒2種類の軍事用語、

西暦661年、倭國軍出兵数【率軍五千餘衞⇒5000率、大将軍、37500率、】【前・中・後⇒三軍、将軍、3,7500率】⇒【率二萬七千人打新羅⇒殲滅】【大日本國之救將~率健兒萬餘⇒10,000率】

百済國への倭國軍の出兵数、90,000兵【率】

西暦663年、白村江の戦い、【大唐軍、十萬率、100,000率】VS【倭國軍、六萬二千五百率=6,2500率】

白村江の戦い【倭國軍、6,2500率】

西暦665年、秋八月、遣達率答㶱春初、築城於長門國。遣達率憶禮福留・達率四比福夫、於筑紫國築大野及椽二城。

長門國、於筑紫國築大野及椽二城⇒倭国防衛軍⇒【51,200率】

倭國軍、総動員兵【率】⇒【203,700兵=率】、敗戦。⇒大唐、新羅、北九州占領。国家存亡危機。

追加事項

日本書紀天智天皇記⇒軍、大将軍、前、中、後将軍の兵数(率)を理解していないことで過小兵数が通説です、【率】にいたっては無知に等しい。

 

通説⇒【倭と百済の計47000人の兵力】、当方の解読⇒【百済の乱⇔名称⇔藤氏家傳、日本書紀⇒白村江、総兵力⇒203,700動員兵力】⇒軍事用語を解読。

【戦国時代の部隊編成⇒司馬穰苴の軍編成図⇒軍(将軍・副将軍)⇒3200兵】⇔参照⇔当方の周礼五経、公比積算文法、解読⇒【魏志倭人伝で率を検証】

 

【率=声符⇒スイ】⇒【率】⇒率の漢字用法は2パターン。1 【単なる兵⇔軍事用語⇔率】2【率=軍(将軍・副将軍)⇒3200兵】⇔【率=3200兵】

 

魏志倭人伝は【率=3200兵】を基軸単位として公比積算して総兵数を記述しています、【戦の場合⇒自衛軍・敵軍と各兵数を積算算出】⇒【一段(層)~5段(層)目と別々に公比積算を行います】

【公比積算】をする場合は假借、声符で【四則、乗法、除法、加法、減法】の注釈がなされています。

日本書紀天智天皇記⇒軍、大将軍、前、中、後将軍の兵数(率)【率=3200兵】なのか?

【秋八月遣達率答㶱春初築城於長門國。遣達率憶禮福留達率四比福夫於筑紫國築大野及椽二城耽羅遣使來朝。】

【答㶱春初】⇒通説⇒デタラメ誤訳⇒百済の官吏、武人⇒【㶱⇒ホン⇒デタラメ漢音】⇒【㶱=ホ⇒漢音】

 

周礼五経、公比積算⇒【率】⇒計算式⇒假借、声符、字根、倒語⇒【答㶱=トウカ⇒答㶱⇒火本⇒答火⇔倒語⇔か‐とう クヮ‥【火頭】⇒職名。一〇人ごとに火頭一人】

【火頭=10率】【㶱=ホ=10進数】⇒【城於=ジョウホウ⇒じょう‐ほう〔‐ハフ〕【乗法】】⇒【福⇒八=8】【留⇒四=4】=10×10×8×4=3,200兵(率)

抜粋解読⇒卒:兵⇒率⇒3,200兵×4【福=復⇒2、夫⇒説文解字⇒夫=二人】⇒12800兵【率】×4=51200兵【率】

現在の中国歴史学者漢文学者、日本の学者は周礼五経を用いた漢字解読をしていないので表層の記述漢字のみ解読しているだけになります。

【率=3200兵】の兵数根拠を周礼五経基軸文法【九章算術=公比積算】で検証できました。

すべて、現代辞書を引用しているだけで、自己の憶測、考えは含まれていません。

 

聖徳太子の劫名 【荘巌】【世界名、大荘巌】⇒【薬王如来】

聖徳太子の劫名 【荘巌】【世界名、大荘巌】⇒【薬王如来】 

推古天皇。⇒ 【寶蓋⇒豈異人乎⇒號寶焰⇒如來號曰樓王月蓋 】

聖徳太子の劫名 【荘巌】【世界名、大荘巌】⇒【薬王如来】 

推古天皇。⇒ 【寶蓋⇒豈異人乎⇒號寶焰⇒如來號曰樓王月蓋 】

 

<漢字が無いのにこじつけ訓読?【つ】【の】について納得する思考はいかなるものか?>

上宮之厩戸豊聡耳命(かみつみやのうまやとのとよとみみのみこ)⇒【つ、の】⇒漢字無し。

厩戸豊聡耳皇子命(うまやとのとよとみみのみこのみこ)」⇒【の】⇒漢字無し。【命】⇒百位の英霊。⇒現在の法名、戒名。

豊耳聡聖徳(とよみみさとしょうとく)⇒【聖徳】⇒呉音。おかしくないですか。⇒【聖徳】⇒【ひじり、なる、のり、ゆき、よし、あつ】⇒納得するのですが?

聖徳太子の身長の解読>

【立厩戸豐聰耳皇子爲皇太子、仍錄攝政、】

仍錄借字表音(仮名表音)⇒じょうろく=丈六=160寸【仍=じょう=丈・乗=掛算】

攝借字表音(仮名表音)⇒漢音 : ショウ(セフ)・慣用音 : セツ。

政⇒借字表音(仮名表音)⇒漢音 : セイ

 

異体字⇒(簡体字)摄・(新字体)摂⇒解読できません。

【扌】⇒し【×咫】

字書 - 咫 - 中國哲學書電子化計劃 (ctext.org)

し【×咫】

咫:中婦人手長八寸,謂之咫。周尺也。从尺只聲。

【周・春秋】⇒【寸=2.25cm】⇒【八寸】⇒18cm

中国周代の長さの単位。約一八センチ。わずかの距離。「咫尺(しせき)」⇒8寸

〘名〙 (「あた(咫)」の略) 上代の、長さを測る単位の一つ。

古代中国発祥の単位.手を広げて物に当てたときの親指から中指の先端まで。

倉頡輸入法 - Wikipedia

倉頡輸入法(そうけつゆにゅうほう)⇒真逆文法⇒【華甲⇒声符⇒偏旁⇒字根】

攝⇒【華甲⇒扌聶】⇒【扌】【耳・耳・耳】⇒公比積算⇒耳⇒6⇒八卦⇒6【聶⇒じょう=乗】=6×3=18

 

說文解字 - 耳 - 中國哲學書電子化計劃 (ctext.org)

聶:附耳私小語也。从三耳。

 

<この記述の文法算術>

※ 人間の耳は2つ。⇒攝⇒【華甲⇒扌聶】⇒【扌】⇒6寸。【耳・耳・耳】2×3=6寸=1尺2寸=36cm=0.36m

 

耳⇒6⇒八卦⇒六(6)【聶⇒耳・耳・耳×’じょう=乗=乗法】=6×3=18

攝⇒【華甲⇒扌聶】⇒【扌】⇒し【×咫】=あた。「咫尺(しせき)」⇒6寸

攝⇒【華甲⇒扌聶】⇒【聶】⇒【耳・耳・耳】⇒耳⇒2個+耳⇒2個+耳⇒2個=6個

攝⇒【華甲⇒扌聶】⇒【聶】⇒【耳・耳・耳】⇒耳⇒2+耳⇒2+耳⇒2=6

 

1丈6尺⇒16(乗)×36cm(華甲⇒扌⇒18cm=6寸 聶⇒6cm⇒2寸×3=6寸=18cm=36cm=0.36m

 

隋時代【度量衡】⇒0.295m×1丈6尺×0.36m=1.699m

唐時代【度量衡】⇒0.311m×1丈6尺×0.36m=1.791m

倭  【度量衡】⇒0.303m×1丈6尺×0.36m=1.754m

 

隋時代【度量衡】、唐時代【度量衡】、倭  【度量衡】

結論としては、五経算術で記述されていますが詳細は不明。

 

聖徳太子の身長⇒1.754m~1.791m。

聖徳太子の体重⇒公比積算数⇒110斤×0.6kg=66kg

 

【聖】⇒【輿】。【聖】⇒古代中國では【聖人】のみ許される【號】⇒不文律⇒正史には許されない⇒紀元前1000年~唐が滅ぶまで倭は属國。

 

舊唐書/卷199上 - Wikisource

觀五年,遣使獻方物。太宗矜其道遠,敕所司無令歲貢,又遣新州刺史高表仁持節往撫之。表仁無綏遠之才,與王子爭禮,不宣朝命而還。至二十二年,又附新羅奉表,以通起居。

 

中国の正史、漢音。

【太宗】⇒遠縁⇒八等血族。

綏遠とは - コトバンク (kotobank.jp)

 

日本書紀 巻第二十二 推古天皇紀 (seisaku.bz)

【乃當廐戸而不勞忽産之生而能言有聖智及壯一聞十人訴以勿失能辨兼知未然】

漢音、呉音(百済音)

【太宗】⇒遠縁⇒八等血族⇒【祖意】⇒【蘇 威】⇒【聖徳太子

蘇威 - Wikipedia

 

日本書紀 ⇒【蘇我稲目=そかとうもく】⇒【隋】しん‐し【進士】= 中国で、科挙の試験科目の名称。のちに、その合格者をいった。【OB】

日本書紀 ⇒【隋、唐の進士OB(宰相血族子孫。⇒唐人、毛唐、】⇒【蘇我蝦夷=そががい=がまがえる蛮人。】

倭、日本が入手した隋書の記録。⇒俀=たい。【倭】王姓阿每⇒【姓阿=せいあ=井蛙】⇒俀=たい。=弱い王の井戸の中にいるカエル。見識の狭いこと。その他、虫、鶏(雞)などに例えて記述しています。

日本書紀 ⇒古代中国の正史に対抗して仕返し的な中国血族、子孫の氏を魚、動物銘にしています。

<参考>

蘇我大臣稻目宿禰女石寸名爲嬪、是生田目皇子更名豐浦皇子。葛城直磐村女廣子、生一男一女、男曰麻呂子皇子、此當麻公之先也、女曰酢香手姬皇女、歷三代以奉日神。

【歷三代以奉日神。⇒歴代3天皇に(蘇)の血筋、血族を婚姻により注入。】

血筋、血族を婚姻により注入は神武天皇以前、ニニギから行われています。【唐⇒藤原氏=とうげん】

<古代中国の政権から派遣された官僚が属國の倭、日本に於いて天皇の血筋(血族)に婚姻で血筋を注入するのか。>

確固たる根拠があるのです、現在の当方の考えでは封印しておきます。

 

<通説、誤訳>

ゆいまぎょうぎしょ ユイマギャウギショ【維摩経義疏】⇒この段階で誤訳、これでは解読できない。

 

<検証>

維摩經義疏巻之上】⇒【しりんきょうようしょかんしじょう】

し‐りん【四輪】し‐りん【緇林】きょう‐よう〔‐ヤウ〕【供養】しょ‐かん〔‐クワン〕【書巻】し‐じょう【史乗】

<資料>

維摩経義疏 : 3巻. 5 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

P42⇒⇒40⇒41 ⇒【聖徳太子⇒荘巌⇒世界名大荘巌】⇒【薬王如来

薬王如来應供遍知明行足善逝世間解無上士調御丈夫天人師佛世尊世界名大荘巌劫名荘巌佛壽二十劫其聲聞僧三十六億那由他菩薩僧有十ニ億天帝是時轉輪聖王名曰【眷】

 

 

維摩経義疏 : 3巻. 5 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

P-47P-46 【推古天皇⇒寶蓋⇒豈異人乎⇒號寶焰⇒如來號曰樓王月蓋 】⇒【彌勒菩薩】

 

天帝時王寶蓋豈異人乎今得佛號寶焰佇如來王千子郎賢劫千佛是也従加羅鳩孫駄為始得佛最後如來號曰樓王月蓋比丘則我身是

 

<補足>

法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘 - Wikipedia

<通説、誤訳>

【如願敬造釋迦尊像并侠侍及荘嚴】⇒願の如く敬(つつし)みて釈迦の尊像ならびに侠侍、及び荘厳の具を造り竟(おわ)りぬ。

 

【浅学菲才的】な学者が解読できないので誤読による連座が生じる。

<検証>

法隆寺金堂釈迦三尊像光背(光珠⇔解読)

法隆寺金堂釈迦三尊像光背⇒法興元丗一年歳次辛巳十二月鬼】

法興元丗⇒ほうこうげんせい⇒用明天皇⇒ 劫名⇒【法興元丗】

丗一年歳次⇒【第31第天皇 】

辛巳十二月鬼⇒【辛巳⇒西暦621年】辛巳十二月鬼⇒【辛巳⇒西暦621年】

 

法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘⇒法興元丗一年歳次辛巳十二月鬼】⇒西暦 622年02月05日    金曜日  旧暦 621年12月20日    先勝 日干支 壬申  日家九星六白金星  十二直 破 二十八宿鬼  二十七宿亢

 

法興元丗一年歳次辛巳十二月鬼⇒6月11日木曜日⇒成劫(じょうこう)・住劫・壊劫(えこう)・空劫。⇒6月12日⇒金曜日⇒鬼宿日

 

法隆寺金堂釈迦三尊像光背(光珠⇔解読)

 

【如願敬造釋迦尊像并侠侍及荘嚴】⇒像の2体を一対⇒【聖徳太子】⇒ 【劫名】⇒【荘嚴 】。

 

善光寺 - Wikipedia

新日本古典籍総合データベース (nijl.ac.jp)

『伊呂波字類抄』

P-939361

善光寺縁起

<通説、誤訳>

善光寺はおよそ千四百年前(西暦五五ニ年)、百済かの聖明王から献上された一光三尊阿弥陀如来が廃仏派の手によって難波の堀江に投じられていたのを、信濃の本田善光が背負って招来し、皇極天皇の発願により創建(六四ニ年)されました。

今から二千五百年もの昔の、天竺いまのインドのお話でございます。ここに、月蓋(がっかい)長者という長者が住んでおりました。

 

<検証>

月蓋(がっかい)長者という長者

月蓋【假借⇒長者=じょうこう】

【長】⇒呉音 : ジョウ、チョウ。漢音 : チョウ。【者】⇒声符は𣥏(説文解字)⇒ショ。⇒偏旁(漢字構成⇒中国⇒耂日(エツ)。⇒日本⇒耂丶日(ジツ)⇒从(従)囗一。⇒囗=コウ。

 

現代人は周礼五経の漢字【説文解字】を【浅学菲才的】に読むことに差支えはありませんが、解読できません。

【月蓋長者=べつがいじょうこう】⇒推古天皇⇒【月蓋成劫】

じょう‐こう〔ジヤウコフ〕【成×劫】

「じょうごう」とも》仏語。四劫(しこう)の第一。この世界に、山河などの自然と生物とが生まれ出る時期。最初の劫。

日本書紀 巻第二十 敏達天皇紀 (seisaku.bz)

詔曰「灼然、宜斷佛法。」丙戌、物部弓削守屋大連自詣於寺、踞坐胡床、斫倒其塔、縱火燔之、幷燒佛像與佛殿。既而取所燒餘佛像、令棄難波堀江。

詔曰「灼然、宜斷佛法。」丙戌、物部弓削守屋大連自詣於寺、】⇒金アマルガム法による鍍金法を【物部弓削守屋大連】⇒自詣於寺⇒假借⇒し‐しょう【師承】ほう‐し〔ハウ‐〕【方士】

【踞坐胡床、斫倒其塔、縱火燔之、幷燒佛像與佛殿。既而取所燒餘佛像、令棄難波堀江。】⇒假借⇒金糸、朱金⇒小火、損傷、仏像 【症例】、

【佛像令棄難波堀江】⇒假借⇒【佛像】【麗姿】【至難】【繊指】【施工】【指甲】【施工】【堀江】⇒【華甲=声符⇒偏旁⇒字根】⇒【堀⇒漢音 : クツ(表外)、コツ(表外) 呉音 : コチ(表外)、ゴチ(表外)慣用音 : クツ(表外)】⇒【堀⇒土屈⇒尸出⇒屮凵。】

 

【堀】⇒【堀⇒土屈⇒尸出⇒屮凵。】⇒【堀=くつ。⇒土=と、ど。屈=くつ。⇒尸=し。出=しゅつ、すい⇒屮=てつ、そう。凵=けん、こん、かん。】【江】⇒【江⇒氵⇒工 】⇒⇒【江=こう。⇒氵=せん、すい。⇒工=こう。 】

上記の漢字の声符、偏旁で組み合わせた表音が熟語(駢字)となり、表記されている漢字としては假借になります。

 

古代、中国、倭、日本の中枢を担っていた人々は現代人の歴史学者、国文学者が考えているより、漢字の知識においては、想像を超えたものです。

 

善光寺 - Wikipedia

善光寺式阿弥陀三尊 - Wikipedia

秘仏 - Wikipedia

新日本古典籍総合データベース (nijl.ac.jp)

『伊呂波字類抄』

P-939⇒361

 

<周礼五経文法による解読>

『伊呂波字類抄』は周礼五経で記述されています、正しい解釈は善光寺の創建に至る歴史、厨子に納められた秘仏、免田(6000畝)を賜り、起寺、善光寺

 

善光寺⇒創建時の規模⇒とう‐じ【東寺】、さい‐じ【西寺】⇒きょうおうごこく‐じ〔ケウワウゴコク‐〕【教王護国寺】⇒善光寺⇒免田(6000畝)

 

現在の善光寺⇒【約5万9000平方メートルと広大な境内⇒約100万坪】⇔【善光寺⇒免田(6000畝)⇒約100万坪】

 

秘仏厨子(ずし)などに納められ、普段は拝観を許していない仏像】⇒信州善光寺本尊 阿弥陀三尊像

 

【荘巌⇒還俗⇒聖人⇒聖徳太子とは記述されていません。】

記述者は最後の文節で文法構成を説明しています。

ひっ‐せき【筆跡/筆×蹟/筆×迹】、たい‐ほう〔‐ハフ〕【大法】、けん‐きゅう〔‐キウ〕【研究】きゅう‐けい〔キウ‐〕、じ‐げん【字源】、【九経】、ひ‐けん【秘鍵】ひ‐じ【秘事】

じ‐げん【字源】

1 個々の文字の起源。

2 個々の漢字の構成原理。「地」が「土」と「也」とから構成されるとする類。

3 仮名などのもとになった漢字。平仮名「あ」のもとの漢字は「安」であるという類。

 

<補足>

当方も、初めて五経文法の説明をしている記述に出会いました、詳細に注釈しているので、当方の解読の参考になりました。

 

<通説、誤訳>

命数法 - Wikipedia

漢数字⇒大数

日本では、1627年(寛永4年)の『塵劫記』の初版において初めて大きな数が登場するが、極以下が下数、恒河沙以上を万万進の中数(恒河沙=1023、阿僧祇=1031、那由他=1039、不可思議=1047)としていた。

 

1631年(寛永8年)の版では極以下が万進(恒河沙以上は万万進のまま)に改められ、それとともに算学啓蒙・算法統宗にあった不可思議の上の無量数も無量大数という名称として組み込まれた。

 

そして1634年(寛永11年)の版ではすべて万進に統一された。今日でも万進だけが使用されている。

 

<通説、誤訳>

字としては、𥝱(じょ)が正しい。似た文字で秭(し)と書かれることもあるが、これは実際には全く違う意味の字である。

寛永 20 年版から「秭し」が誤って「𥝱」と印刷され、読みも「序」や「舒」につられて「じょ」になった。「秭」に含まれる「𠂔」という字は日本では全く使われないため、間違えられたのも無理はない。

 

<検証>

維摩經義疏巻之上】⇒【那由他⇒公比積算数⇒60那由他1060 】

【𥝱(じょ)および秭 (し)】

 

(じょ)⇒假借⇒【𥝱(じょ)】⇒表音として用いています、公比積算数=【1024】に欠かせない【表音⇒漢音、呉音】

 

周礼五経説文解字に稀な例として【ジョ】を採用。

 

 

古事記、日本書紀、万葉集等の通説誤訳を妄信している皆様へ。

訓読では記述文脈を解読できないのです、漢文は周礼五経を基軸に文法法則で構成されています。

皆さまがご使用の【PC、ipad】も漢字検索する場合、【倉頡輸入法】のアプリがインストールしてあります、周礼五経文法の真逆で【声符・字根⇒偏旁⇒組立検索⇒画面に表れます。】

 

下記を一読してください、漢字の組み立て図を閲覧すれば一目瞭然。

倉頡輸入法 - Wikipedia

中国大陸で用いられる「五筆字型輸入法」、香港や台湾で用いられる「倉頡輸入法」もこれに近い方式である。

Windows XP 以降、Windows では、現在も旧倉頡輸入法が用意されている。

 

古事記日本書紀万葉集等の天動説的な通説誤訳を妄信している【浅学菲才的】は理解できないのです、「音読み+訓読み」は日本書紀、続日本書紀以後の表音です。

日本書紀は機密保持のため読めないようにしています、皆さまが国家機密を編纂する立場になったら簡単に読めるように記述しますか。

 

【倉頡輸入法】【漢音そうけつゆじゅうほう】【呉音⇒そうけつゆにゅうほう】⇒呉音で読むと【魏志倭人伝】は読めません。

 

【倉頡】⇒現在はインターネットで検索して瞬時に判明します。1300年前は人名とは理解できないのです。日本書紀に記述されている故事成語を訓読しています。

 

インターネット検索ができなければ倉の頡を輸入する方法だと推論、憶測を立てる。

【倉頡輸入法】⇒【輸入⇒ 運び入れること。】⇒【文字を創案を運び入れる正しいしかた・方法。】

 

中国古代の伝説上の人物。黄帝の史官で、鳥の足跡から文字を創案したと伝えられる。そうきつ。

魏志倭人伝古事記日本書紀の文法法則>

 

【入法=じゅうほう】⇒現代辞書にはこの表音の熟語はありません。

 

【入法⇒法⇒声符、偏旁、字根⇒1氵=せん。去=こ。2 土=と、ど。厶=し。】

1【入法=じゅうせん】⇒2【入法=じゅうど(つ、と)】⇒3 【入法=じゅうし】

1 【入法=じゅうせん】⇒【重撰】書籍を改訂すること。

3 【入法=じゅうし】じゅう‐し〔ヂユウ‐〕【重視】

 

上記が周礼五経文法法則です。

 

<古代の知識人と現代の【浅学菲才的】な歴史学者、国文学者のレベルが違い過ぎて話にならない。

幽霊文字 - Wikipedia

【墸、壥、妛、彁、挧、暃、椦、蟐、袮、閠、駲】⇒声符、偏旁を表音しているだけです。

 

【彁】⇒現代辞書

JIS X 0208:1997 改訂の際の徹底的な調査を経ても、古字書に一致する字体が見つからなかった唯一の文字であるため、幽霊文字や幽霊漢字の代表として扱われている。「彊」の誤りである可能性があ

 

【彁】⇒周礼五経文法

1 【彁】⇒弓哥、可可、丁口、丁口⇒假借⇒弓丁=きゅうてい=きゅう‐てい〔キフ‐〕【泣×涕】[名](スル)涙を流して泣くこと。涕泣(ていきゅう)。

 

2 【彁】⇒弓哥、可可、丁口、丁口⇒假借⇒弓口、口=きゅうごう=きゅう‐ごう〔キウガウ〕【▽叫号】[名](スル)さけぶこと。

 

3 【彁】⇒弓哥、可可、丁口、丁口⇒假借⇒可可=かか=呵呵 読み方:かか。(1)日本語において「かか」と読み、大声で笑っているさまを表す表現。

文脈により異なります。

有職読み - Wikipedia

三浦直人⇒ほとんど、この方が出筆投稿しています、周礼五経説文解字を理解していない。

<ここから始まった誤読解釈の根源>

日本書紀私記』

閲覧してみてはいかがですか?講書の記録。⇒平安時代に、養老5年(721年)⇒⇒、康保2年(965年)の7回の講書「日本紀講筵」が行われた。

日本書紀私記 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

※ P-4⇒後和(答也=古多江弖)⇒也⇔弖。

※P7 弖⇒細かいので不明。

※ 公比積算に使われる。8(八=や)。この発見により現代辞書の意味、音符を書き換える必要が出てきます。【弖爾乎波(てにをは)】

<本居頼長>

【弖爾乎波(てにをは)】

歴史漢文学に於いて、訓読を用いたことで誤訳を流布し、現代まで多罪な影響を現在まで与え、妄信する学者が後を絶たない。

 

国立天文台 歴史天文学の功罪>

【功】⇒歴史天文学によって日本書紀を始め年代の検証に科学的な整合性として、正確な根拠となる。

 

【罪】⇒【日蝕、日食 】と【月蝕、月食⇒日有蝕之 】⇒解読できないのに論文を発表したり、講演したり、でたらめ。百害

 

安本美典、渡辺瑞穂子(國學院大學)、相馬充 、谷川清隆 、上田暁俊 (国立天文台)

 

先秦兩漢 - 日有蝕之 - 中國哲學書電子化計劃 (ctext.org)

《說日》

18 打開字典顯示影印本 說日:儒者謂「日蝕、月蝕也」。彼見日蝕常於晦朔,晦朔、月與日合,故得蝕之。夫春秋之時,日蝕多矣。

經曰: 「某月朔,日有蝕之。」日有蝕之者,未必月也。知月蝕之,何諱不言月?

 

有的解释|有的意思|汉典“有”字的基本解释 (zdic.net)

有 《康熙字典

古文〕【唐韻】云久切【集韻】【韻會】【正韻】云九切,音友。【說文】不宜有也。《春秋傳》曰:日月有食之。从月又聲。【九經字樣】有,从月。从冃,譌。

<周礼五経、度量衡、説文解字を理解していない。>

 

A36 奈文研埋蔵文化財News171-2018 (1).pdf

「金有六斉(金有六齊)」

 

<歴史書の誤読を妄信、自身では解読できないのに、コメンテーター的批判論評をする学者?>

 

森 博達、

【群】に分類しても、周礼五経の基軸文法とかけ離れている、中国語、古代朝鮮語に見識があっても本質を捉えていない。

 

石井公成

【太子研究にあっては、基礎資料を、典拠や語法に注意しつつ正確に読み解くことが第一の要件です。】と論を唱えながら、自身では解読できない、嘗め回して、読める漢字のつまみ食い。

 

誤読⇒『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)⇒⇒【維摩経義疏】⇒【しりんせいがし】⇒表音假借⇒【聖】【荘巌】48歳、【遺言】し‐りん【四輪】、よう‐しょ〔エウ‐〕【要所/要処】【書】【か‐そ【家祖】】ぎ‐しょ【義×疏】

 

維摩経義疏 : 3巻. 5 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

P42⇒⇒40⇒41 ⇒聖徳太子⇒荘巌⇒薬王如来

 

薬王如来應供遍知明行足善逝世間解無上士調御丈夫天人師佛世尊世界名大荘巌劫名荘巌佛壽二十劫其聲聞僧三十六億那由他菩薩僧有十ニ億天帝是時轉輪聖王名曰【眷】

 

推古天皇の記述。⇒P-47⇒P-46 【寶蓋⇒豈異人乎⇒號寶焰 】

 

【聖】⇒古代中國では【聖人】のみ許される【號】⇒不文律⇒上記は密かに使用。正史には許されない。紀元前1000年~唐が滅ぶまで倭は属國。

 

田中英道

魏志倭人伝日本書紀の誤読解釈を根拠に批判するコメンテーター学者かな?

 

閲覧している皆様も名前のいわれ、由緒がありますよね、陳寿が記述した【卑彌呼】も周礼五経のいわれが記述されています、読む側に問題があるのです。

 

【卑彌呼】⇒【卑】⇒身分・地位がひくい。どこにも記述されていない、読む側の捉え方がおかしい。

 

【卑⇒古代中国の平原からおしはかると、邑=卑=執事者。】【彌呼⇒声符。⇒薾=じこう=じ‐こう ‥クヮウ 【慈光】⇒(万物をいつくしむ光の意から) 太陽の光をいう。⇒薾=爽=さわやか。すがすがしい。】【卑彌呼】

 

【呼⇒口乎】⇒声符⇒口=こう⇒説文解字⇒后⇒(周代以前)王侯。殷鑑不遠、在夏后之世(『詩経・大雅・蕩』)

 

一書云天照大神、一書云天照大日孁尊⇒【いちじつしてんかたいし】【いちじつしてんかたいこうれいそん】⇒【孁⇒あざな】⇒【卑彌呼】

 

田中英道陳寿を批判したり、卑彌呼神社がどこにもないなどと妄想自説を修正して周礼五経説文解字を勉強することをお勧めします。

 

<問題提起>

日本書紀 巻第四 綏靖天皇~開化天皇 (seisaku.bz)

然其王、立操厝懷、本乖仁義、遂以諒闇之際、威福自由、苞藏禍心、圖害二弟。于時也、太己卯。

 

上記の文節で正しい【西暦〇〇年】と解読できる方はおりますか?

正しい西暦年号が解読できれば、1300年に及ぶ誤読が理解できます、【日本書紀】の現代訳は誤読です。

 

古代中国の正史、古事記日本書紀は周礼五経の文法法則で記述されています、現代訳を妄信する、皆さまは理解しがたい。

 

歴史学者、国文学者は能書きはは言います、では解読してみては?漢字一字一句を理解していません。

古代國家の中枢を担っていた天皇血族、豪族の漢字知識は創造をはるかに超えています。

 

漢字による、(プログラミング言語)を漢字一字一句が持っています、短文記述で三層、四層構造の文脈が構成されているので表記されている漢字も重要ですが、パスワード同様に、解読できないような、機密情報保護も兼ね備えているので、目くらましに採用されている漢字もあります。

 

プログラミング言語⇒【夏、殷】⇒COBOL言語⇒【甲骨文字⇒二十八宿文法】⇒⇒C言語⇒⇒【古代中国の正史⇒周礼五経基軸文法】⇒F-BASIC(富士通)・N88-BASIC(日本電気)⇒【古事記日本書紀、続日本書紀宣命

 

倉頡輸入法 - Wikipedia

 

【倉頡輸入法】⇒このプログラミングを開発した方が真逆の構成文法が出力されます、すべてが假借漢字では無いのでキーワード漢字をAIが学習すれば文脈が出力できます。

 

多重ループ、マルチタスク構造プログラミングで同時に処理が可能になります。魏志倭人伝古事記日本書紀、続日本書紀等はアルゴリズム構成で成り立っているので難しい処理ではありません。

 

上記が理解できないと、【仍錄攝政】の漢字の意味の解読が進みません。

<【仍錄攝政】聖徳太子の身長の計算式>

 

知りえたところで、重要な記述か?

 

聖徳太子崩御して棺に収まる際の服装は、当方も驚きました、蓮の糸【ぐう‐し【×藕糸】】を繊維にした服装で身なりを整えたと、記述されています、生前は能を嗜み、晩年は重い病に侵されながら法興寺を建立され、寝るのも惜しんで政務に励んでいたと、日本書紀の記述にあります。

当方の妄想だと判断する方もおられると思いますが、【ぐう‐し【×藕糸】の熟語までは思いつきません、ただし、假借なので【ぐう‐し【×藕糸】の漢字は明記されていません。

 

倭の歴史記述としては【周時天下太平】⇒【天下泰平⇒成王の後を継いだのが康王(在位:前1020年 - 前996年)である。】⇒【甲子】

 

紀元前約1000年~西暦663年、唐に白村江の戦いに敗れ、北九州は占領。720年の日本書紀の編纂においても1700年間の(候)属國の地位で天子に対して想像を超える恐怖を感じていた。

 

日本書紀の編纂】に於いて漢字の声符⇒偏旁、表音に中国で使わない呉音(百済音)を織り交ぜて隠すのかと、悲しさを感じている。

 

事例⇒【此=し】【比=し】⇒編纂に記述されています。【此=し⇒声符⇒偏旁、漢字構成⇒止匕】⇒【匕=ひ⇒声符⇒偏旁、漢字構成⇒乚丿】

 

乚 - ウィクショナリー日本語版 (wiktionary.org)

 

【乚⇒漢音 : オツ,オチ,イン,ゴウ。呉音 : オツ,オチ,イン,ゴウ】 【意義】 1 かくす。「隠」の古字。2 (部首)「乙」の異体。3 「毫(ゴウ・わずか)」の略体。 日本語。訓読み かく-れる

 

記述の文節で隠す場合によく使われています。

日本書紀の編纂は事実を記述しています、解釈する側の問題になります。

 

 

聖徳太子の身長。日本書紀 推古天皇【立厩戸豐聰耳皇子爲皇太子、仍錄攝政、】⇒りつきゅうこそうしんじこうしいこうたいしじょうろくせつ(しょう)しょう。

『九章算術』を文節で採用しています、仮借(仍=X)×【攝⇒華甲】×【(隋⇒尺⇒29,5cm)・(唐⇒尺⇒31,1cm)・(倭⇒尺⇒30,syousyou3cm)】=170.0cm・179.1cm・174.5cm

 

1 【仍錄攝政】⇒×(隋⇒尺⇒29,5cm)=170.0cm

2 【仍錄攝政】⇒×(唐⇒尺⇒31,1cm)=179.1cm

3 【仍錄攝政】⇒×(倭⇒尺⇒30,3cm)=174.5cm

 

※ 聖徳太子の身長。隋寸法なのか、唐寸法なのかは不明。

 

※ 法隆寺金堂釈迦三尊は用明天皇で【法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘⇒如願敬造釋迦尊像并侠侍及荘嚴】⇒荘嚴⇒聖徳太子 身長は参考になりません。

 

維摩経義疏 : 3巻. 5 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

P42-40

薬王如来應供遍知明行足善逝世間解無上士調御丈夫天人師佛世尊世界名大荘巌劫名荘巌佛壽二十劫其聲聞僧三十六億那由他菩薩僧有十ニ億天帝是時轉輪聖王名曰【眷】

聖徳太子】⇒聖徳太子⇒佛世尊世界名 大荘巌 劫名荘巌 佛壽

 

法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘 - Wikipedia

でたらめの誤訳

癸未年三月中、如願敬造釋迦尊像并侠侍及荘嚴具竟。⇒そして、推古天皇31年(623年)3月に、発願のごとく謹んで釈迦像と脇侍、また荘厳の具(光背と台座)を造りおえた。

聖徳太子⇒劫名荘巌】⇒でたらめ口語訳⇒荘厳の具

<閲覧してくださる皆様へ>

 

魏志倭人伝古事記日本書紀史記には漢字を用いて『九章算術』が使われています、解読できないだけなのです。

 

漢字、一字一句は深い意味を持っています、理論的な正しい計算式を導き出してください。

 

<下記の記述も同様です。>

 

法隆寺伽藍縁起并流記資財帳】

 

【法隆寺伽藍縁起并流記資財帳】 (nijl.ac.jp)

 

【合金𡬺力士形貳躯在中門】

 

【合金𡬺力士形貳躯在中門】⇒資財帳に記述されているのに解読できないので、現在は【金剛力士】名称を変更、⇒寸法が記述されていますが解読できないのと、【𡬺】漢表音が不明なのかわかりませんが、金𡬺力士も怒っています。

 

※ 九章算術で記述されています。※ 当方は九章算術の数式で解読しています。

 

𡬺⇒華甲】×【𡬺⇒漢表音】=160

 

【合金𡬺力士形貳躯在中門】⇒深い意味があって建立されているにも関わらず全ての学者、法隆寺の関係者も解読できないお粗末な状況です。

 

※ ついでに。

 

【中門】も意味があって真ん中に柱が立っています、解読できない学者、建築学者は理解できないのです。

 

※ 今回は短めの投稿です。

<追記>

聖徳太子の【聖】は古代中国では聖人に許されている漢字で不文律なのです、属國も倭に於いては天皇であろうと、皇族であろうと使ってはならない漢字なのです。

 

古代中国の史記、日本(倭)古事記日本書紀には仮名【與】を記述しています、唐が滅び、中国に朝貢しなくなってから【聖】を使いはじめ聖徳太子になりました。

 

説文解字の【聖】に記述してありますが、解読できなければ理解できません。

 

周初青铜器铭文中的易卦 ⇒【一六一一一六,曰鼎趾顚顚鼎黃耳奠趾五六一一五八尤】⇒蒙訟師需坤訟干(乾)曰鼑趾顚鼑黃耳奠趾需訟剝屯需比尤。

簡体字?漢字数が足りない?納得にいかない解読 Ⅰ>

【一六一一一六、曰、鼑止眞。鼑黃耳、奠止。五六一一五八。】

 

五経(易)を基軸の解読法を採用しています、この文法は公比という表音の道しるべ的な公比の和(積算)が、ある積算数にならないと仮借表音にたどり着けないのです。

 

※ 公比積算が一定の積算にならず、再度⇒原文を検索。

 

鼎卦戈:最早的《周易》經文與卦象? | 易學網 (eee-learning.com)

 

【一六一一一六曰鼑止真鼑黃耳奠止五六一一五八尤】⇒尤

 

<解読>

【一六一一一六】⇒周易上経三十卦⇒ 4. 6.訟 7.師  5.  2.坤 6.訟。⇒三十。⇒卦 ⇒(卦=か)の仮借、漢字表音はありません。

 

【五六一一五八(尤)】⇒周易上経三十卦⇒漢数字⇒ 5. 6.訟 7.師  3.屯  5.  8.比。三十四⇒卦 ⇒(卦=か)の仮借、漢字表音はありません。

 

【五六一一五八(尤)】⇒周易上経三十卦⇒⇒ 5. 6.訟 7.師  3.屯  5.  8.比 (尤=有=14)。四十八。⇒卦 ⇒(か)の仮借、漢字表音はありません。

 

簡体字?納得にいかない解読 Ⅱ>

 

【一六一一一六曰鼑止真鼑黃耳奠止五六一一五八尤】

曰鼑止真鼑黃耳奠止⇒えつ てい ししんていこうじてんし。

 

【黃・耳】⇒この漢字及び仮借表音にも六十四卦には存在しない。十干には【黃・耳】は存在するが、【干】が漢字表音が見当たらない。

 

曰鼑⇒仮借⇒曰=えつ=いわ-く。鼑=てい=二十七宿⇒旧暦91日 氐。⇒公比積算数【二十七】⇒二十七宿というキーワード。⇒どこにも見当たらない。

 

曰鼑止⇒仮借⇒鼑止=ていし=てい‐し【諦視】⇒[名](スル)じっと見つめること。見きわめること。諦観。⇒てい‐かん〔‐クワン〕【諦観】1 本質をはっきりと見きわめること。諦視。「世の推移を諦観する」2 あきらめ、悟って超然とすること。「諦観の境地」

 

(止)真⇒仮借⇒し‐しん【至心】まことの心。至誠の心。

 

(真)鼑黃⇒(真)鼑⇒仮借⇒しん‐てい【新帝】新しく位についた天子。鼑黃⇒てい‐こう〔‐カウ〕【抵抗】外部から加わる力に対して、はむかうこと。さからうこと。

 

(黃)耳⇒仮借⇒黃)耳こう‐じ【公示】[名](スル)おおやけの機関が、一般の人に広く知らせるために発表すること。

 

(耳)奠⇒仮借⇒(耳)奠⇒じ‐てん【時点】時の流れの上で、ある一点またはある時期。

 

(奠)止⇒仮借⇒てん‐し【天子】天帝に代わって国を治める人。

 

<補足>

銘文の記述。⇒意味解読、三十卦、三十四卦、二十七宿。⇒ここで諦めるか。?

 

八卦・三十卦・三十四卦・六十四卦】【十干・十二支】⇒公比積算で証明解読することを前提に、再再度の解読を試みる。

 

1 何時の時代。⇒史記には現在の議事録のように、仮借表音で甲骨文字の時代でも十干十二支で記述されていますが、紀元前の記述なので当方では解読できません。今回の記述には【止=子=支】の表音は存在するが干支を構成する表音駢字がみつからない。

 

2 【曰】⇒誰が、曰く。

 

3 【尤】⇒尤が他の記述漢字と離れている理由。

 

【一六一一一六曰鼑止真鼑黃耳奠止五六一一五八尤】⇒キーワード。ネット検索。

 

<三回目の解読 Ⅲ>

 

一六一一一六,曰鼎趾顚顚鼎黃耳奠趾五六一一五八尤。

 

董珊:論新見鼎卦戈-复旦大学出土文献与古文字研究中心 (fudan.edu.cn)

 

西周鼎卦戈

一六一一一六,曰:鼑(鼎)止(趾)眞(顚);鼑(鼎)黃耳,奠止(趾)。五六一一五八

 

【一六一一一六,曰:鼑(鼎)止(趾)眞(顚);鼑(鼎)黃耳,奠止(趾)。五六一一五八,】⇒解読には駢字を疎外するので、句読点、は削除。

 

一六一一一六曰鼎趾顚顚鼎黃耳奠趾五六一一五八尤。

 

蒙訟師需坤訟干(乾)曰鼑趾顚鼑黃耳奠趾需訟剝屯需比尤

 

【尤・止(趾)】⇒この漢文文字が甲骨文字より変換されたものを(正)として解読します。

 

【戈】⇒干戈(読み)カンカ。⇒干、(戈=か=加。)⇒比に加える。

 

※ この干戈は率(兵)のための武器で最低30万本ぐらい(古代中国⇒大国⇒1軍=10  万率)は製造されたのではないかと推察されます。

※ 後世の【燕】⇒戦力⇒帯甲(鎧を付けた兵士)数十万、【車】⇒(戦車)600乗、 【騎】⇒6000匹。【史記】⇒蘇秦

 

※ 率の戦闘意欲を向上させる銘文と思われます。

 

1 【干戈】⇒黄帝の意向の武器。⇒1 太極(干=かん=乾=かん・けん=【姓、公】【氏、孫】)。2 干=かん=十干。

 

2 【戈】⇒戈=か=仮借⇒卦⇒加⇒加法・華字。

 

【一六一一一六】⇒周易上経三十卦⇒ 4. 6.訟 7.師  5.  2.坤 6.訟。⇒三十卦。 

 

【曰鼎趾眞顚鼎黃耳奠止趾】⇒ 【えつていそくしんていこうじてんし】⇒1【趾⇒華字⇒𧾷止⇒そく】 2 【趾⇒華字⇒𧾷止⇒し】

 

※ この仮借表音の公比積算。⇒34、三十四卦。

 

1 一層目⇒公比積算。⇒2(二)⇒陰・陽

2 二層目⇒公比積算。⇒4(四)⇒四象

3 三層目⇒公比積算。⇒8(八)⇒八卦

4 四層目⇒公比積算。⇒20(二十)⇒不明。⇒不明とした理由。『九章算術』の除法⇒【被・ 除・約・実・法=商】⇒仮借表音の漢字が存在しないために不明。

 

【五六一一五八尤】⇒【五六一一五八(尤)】⇒周易六十四卦⇒⇒ 5. 6.訟 23.剝  3.屯  5.  8.比 14.尤=有。六十四卦。

 

1 ここまでの公比積算は小計と同様とお考えください。

2 公比積算の総合計が、ある定められた積算数にならないと、解読にすすめません。

 

【蒙 ..需坤.訟曰鼎趾眞顚鼎黃耳奠止趾需訟剝屯需比.尤】⇒十干・周易六十四卦。⇒三百九十九(399)⇒約401397402407⇒このような積算合計では仮借表音が異なるので解読できません。

 

【蒙 訟.師.需坤.訟(干=かん=乾=かん・けん=1)曰鼎趾顚顚鼎黃耳奠趾需

訟剝屯需比.尤】⇒十干・周易六十四卦。⇒四百(400

 

※ 四百(400)⇒意味⇒全州。⇒九州全州。⇒中国全土を表します。

 

  • 古代中国の史記は文節ごとに積算数400が多い、短文節⇒200

 

<当方の考察では3000年以上連々と蓄積された五経(易)アルゴリズム文法は緻密に構成されています。>

 

近代の中国、日本、漢字圏の学者、研究者はここまで緻密な文法で構成されているとは、考えもしないのです。

 

<解読>

.⇒仮借表音⇒蒙 .=もうしょう=もう‐しょう〔マウシヤウ〕【猛将】強くて勇気のある武将。

 

(訟)..⇒仮借表音⇒(訟).師=しょうし=しょう‐し〔シヤウ‐〕【将士】将軍と兵卒。将校と兵士。

 

(師).需⇒仮借表音⇒(師).需=ししゅ=し‐しゅ【死守】[名](スル)命がけで守ること。

 

.⇒仮借表音⇒坤=こん=こん【魂】2 人の肉体に宿る精気。たましい。霊魂。特に陽のたましいをいう。

 

.訟⇒仮借表音⇒.訟=しょう=1 しょう【×捷】 戦いに勝つ。勝ちいくさ。「捷報/戦捷・大捷」 2 しょう【×鍾】あつまる。あつめる。 

 

訟⇒仮借表音⇒.訟=しょう=3 しょう【称〔稱〕】 ほめあげる。たたえる。「称賛・称美・称揚」 4 しょう【賞】 

 

【干戈には各爻解義【蒙訟師需坤訟】【需訟剝屯需比尤】が込められています。】

 

  • 公比積算に影響しないような読みになっています。※公を比の配列漢字に加えると(+1⇒公=甲⇒十干⇒一番。)結果。⇒401になります、数千年の先人の教えなのでこの文法は厳粛に保持されています。

1訟⇒仮借表音⇒.訟⇒華字⇒言公⇒言=(説文解字)⇒辛口=しん。公=こう。⇒しんこう=新皇、【公】。

 

(干=乾=1)、曰鼎趾眞顚鼎黃耳奠止趾需訟剝屯需比.尤⇒仮借表音⇒【姓、公】【氏、孫】⇒黃帝者。

 

<補足>

※ 誤訳の恐れがあるので、【司馬遷⇒《史記》卷一 五帝本紀】 ⇒解読検証。

 

【黃帝者、少典之子、姓公孫、名曰軒轅。生而神靈、弱而能言、幼而徇齊、長而敦敏、成而聰明。】

 

※ 公比積算数⇒四百(400

 

黃帝者、【昇天】【天子】【至聖】【賜姓】姓公【支系】氏孫名曰。

 

※ 軒轅⇒軒⇒車輪軸+干戈、轅、⇒兵馬俑馬車⇒参照。【遠征】【地震】【秦嶺】神靈⇒霊妙な神の徳。神の霊験、弱而。

 

【時代】⇒その当時。徇=春。【瀋陽】【×輜重】⇒軍隊の糧食・被服・武器・弾薬など、輸送すべき軍需品の総称。

 

【而】⇒二=二つ。

 

1 敦敏⇒二文字⇒華字⇒駢字⇒【×梟木】敦=象嵌雲文敦【墓木】【成事】。

 

成而⇒仮借⇒せい‐じ【省字】⇒ 漢字の一部を省き、または一部をもって代表させて表記すること。また、その漢字。「蟲」を「虫」、「菩薩」を「艹艹」と書くなど。省文。

 

2 敦⇒とん=敦煌⇒不明。敏⇒びん。⇒紀元前2千年紀の閩江下流域。⇒不明。

 

<解読>

蒙訟師需坤訟干(乾)曰鼑趾顚鼑黃耳奠趾需訟剝屯需比尤

(干=乾=1)、曰鼎趾顚鼎黃耳奠趾需訟剝屯需比.

 

干(乾)曰⇒干(乾)曰 乾 [音]カン(呉)(漢) ケン(漢)。 天子・君主・男を表す。「乾徳」。曰。

 

鼎趾⇒鼎趾=ていそく=(趾⇒華字⇒𧾷止)𧾷=足=そく。てい‐そく【×鼎足】1 かなえのあし。2  三人で力を合わせ、主君を補佐すること。多く、三公の場合にいう。

 

顚鼑⇒しん‐てい【新帝】 新しく位についた天子。

 

(鼑)黃⇒(顚)黃=てい‐こう〔‐カウ〕【抵抗】 1 外部から加わる力に対して、はむかうこと。さからうこと。

 

(黃)耳⇒(黃)耳=こう‐じ【公示】 [名](スル)おおやけの機関が、一般の人に広く知らせるために発表すること。

 

(耳)奠⇒(耳)=じ【辞】 ことば。(耳)奠=じ‐てん【時点】 時の流れの上で、ある一点またはある時期。

 

(奠)趾⇒(奠)止=てん‐し【天子】 天帝に代わって国を治める人。

 

(趾)需⇒(趾)需=し‐しゅ【死守】[名](スル)命がけで守ること。

 

需訟⇒需訟=1 しゅ‐じょう〔‐ジヤウ〕【主上】《古くは「しゅしょう」》天皇を敬っていう語。至尊。2 しゅ‐しょう〔‐シヤウ〕【主将】全軍を指揮する大将。首将。

【奠=てん=転】※ 1 音韻または語の意味が変化すること。また、変化したもの。「『紺屋(こうや)』は『こんや』の転」

 

需訟⇒需訟=じゅ‐しょう〔‐シヤウ〕【授章】[名](スル)勲章などをさずけること。

 

訟剝⇒訟剝=しょう‐はく【松×柏】1 松とコノテガシワ。常緑樹。ときわ木。2 《常緑樹は一年じゅう葉の色が変わらないところから》節を守って変えないことのたとえ。「松柏の操」

 

屯需比.尤⇒屯需=とん‐しゅ【頓首】[名](スル)《「とんじゅ」とも》1 中国

の礼式で、頭を地面にすりつけるように拝礼すること。ぬかずくこと。

 

比⇒ひ=ひ【碑】 語り伝えるもの。「口碑」

 

尤⇒ゆう〔イウ〕【×尤】[形動][文][ナリ](「ゆうなるもの」の形で)特に、すぐれているさま。「正宗(まさむね)は刀剣の尤なるものだ」

 

<倒語文節>

 

ゆう ひしゅとんはくしょうしゅしてん じこうていしんそくていえつ かん しょうこんしゅししょうもう

 

尤比需屯剝訟需趾奠耳黃鼑顚趾鼑曰乾 訟坤需師訟蒙

 

<補足>

古代中国の史書、倭國の古事記日本書紀は通常の上から下に読む文と下から上に読み上げる文で構成されています。

 

この文法を証明する記述。⇒日本書紀

日本書紀 巻第三 神武天皇紀 (seisaku.bz)

 

最下段から10段上⇒左側。

奉承密策、能以諷歌倒語、掃蕩妖氣。倒語之用、始起乎茲。⇒学者、研究者は解読できていません。⇒古事記日本書紀の編纂時期は大唐に九州を占領され倭、日本が唐の属國の傀儡政権で国家存亡の危機と記述しています。

 

密策⇒パスワード。始起乎茲=しき、こじ。⇒史記、古事。

 

<倒語文節 解読。>

【尤比需屯剝訟需趾奠耳黃鼑顚趾鼑曰乾 訟坤需師訟蒙】

 

尤比⇒仮借⇒尤比=ゆう‐ひ【▽熊×羆】勇ましい者のたとえにいう。

 

※ 仮借、同じ、漢字表音を検索選択する場合、【ゆうひ】⇒【雄飛・夕日/夕▽陽・熊斐・▽熊×羆】文脈を読み取り、消去法で該当駢字を選択。

※ 当方の右文説解読に否定的な、学者、研究者が紀元前2500年の時代の’発音/表音)が同一かなのかは疑問が多いにある。

 

※ まして、古代中国語を日本の現代辞書の漢字音符で解読すること自体がおかしい。

 

※ 当方も不思議に思っています、古代中国文明の漢字を古代倭・日本人の朝廷(皇族)は血族的にバイリンガルです、和訓は別として漢字表音は和表音に発音して理解し、現代辞書につながっていると考えられます。

 

※ この五経文法で解読できるのか試してみました。

 

※ 「庚申.卜厭問歸好之子」⇒庚申年、十六才の好いている子。⇒【厭問=応問=】【卜】⇒占っているのかは甲骨文字では記述していません。【卜】を占いと解釈すれば占っています。

 

※ 公比積算数。⇒16(十六)・27(二十七)⇒二十七宿。 

 

※ 「辛丑卜 貞祝于母庚」⇒辛丑年、【貞祝=底宿の相性. 命業胎の関係.

 

※ 【上経三十卦】【下経三十四卦】【六十四卦】を採用すると公比積算数が合わず解読不可能。

 

※ 【二十七宿】を公比積算数で採用した場合は解読可能。

 

※ 【卜】⇒日本では漢字表音【ト=と】ですが、【ト=ブ・ぶ】⇒漢字表音。参考⇒甲骨文字一覧。中国資料。⇒NO 2644⇒【ト=bu

 

殷墟甲骨文字詞總表 (xianqin.org)

 

陳年福《殷墟甲骨文字詞總表》.pdf

 

※ 【ト・鼑⇒華甲⇒鼎。⇒分=ぶ=分ける。】、これに対し、【ト=と。鼎⇒華甲⇒目=てい、もく。】公比積算を階層に分けることができません。

 

※ 今回の銘文は六階層で公比積算がされています。

 

<解読>

 

尤比=ゆうひ=ゆう‐ひ【▽熊×羆】熊(くま)と羆(ひぐま)。勇ましい者のたとえにいう。

 

比需⇒仮借⇒比需=ひしゅ=ひ‐しゅ【×匕首】つばのない短刀。あいくち。

 

屯剝⇒仮借⇒屯【剝⇒華甲⇒彔・刂=とう】⇒とんとう=とん‐とう〔‐タウ〕【×遁逃】[名](スル)にげること。のがれること。

 

剝訟⇒仮借⇒剝訟=とうしょう=とう‐しょう〔タウシヤウ〕【刀傷】刀で切られた傷。かたなきず。

 

訟需⇒仮借⇒1 訟需=しょうしゅ=しょう‐しゅ〔セウ‐〕【×嘯×聚】[名](スル)人々を呼び集めること。また、呼びあって集まること。嘯集(しょうしゅう)2 しょう‐しゅ〔シヤウ‐〕【唱首】まっ先に言い出すこと。また、先頭に立って人々を教え導く人。首唱者。

 

需趾⇒仮借⇒しゅ‐し【殊死】死ぬ覚悟で物事を行うこと。決死。

 

趾奠⇒仮借⇒止奠=しゆう。趾=し=蚩。奠⇒(華字=中国・解字・字根)⇒奠⇒酋・大⇒1・酉 2 八・酉⇒酉=ゆう=尤。

 

尤⇒ゆうがこの位置に記述されている趣旨、意味は不明。

 

趾奠⇒仮借⇒趾奠=しゆう=蚩尤。

 

(奠)耳⇒仮借⇒(奠)耳=じ=ゆう‐し【勇士】《古くは「ゆうじ」とも》勇気のある強い人。勇者。【有事】(ゆうじ)戦争・事変、武力衝突や自然災害などにより国家にとって非常事態が起きること。

 

※【耳黃=じこう】⇒仮借⇒じこう=1 じこう【次項】次の項目。文章などで、複数の項目がある場合に、直後の項目を示す。2 じ‐こう〔‐カウ〕【事項】ある物事の中の一つ一つの事柄。

 

※ 上記の【耳黃=じこう】を熟語、駢字に採用するのかは不明。

 

黃鼑⇒仮借⇒黃鼑=こうてい=こう‐てい〔クワウ‐〕【黄帝】中国古代の伝説上の帝王。名は軒轅(けんえん)。神農氏のとき、暴虐な蚩尤(しゆう)と戦って勝ち、推されて帝となった。衣服・貨幣・暦・医薬・音律などを定めたという。五帝の一人。

 

鼑眞趾⇒仮借⇒鼑眞=ていしん=てい‐しん【×鼎臣】三公の地位にある臣。大臣。眞止=しんし=1 しん‐し【臣子】家来。臣下。2 しん‐し【信士】 信義に厚い人。

 

趾鼑⇒仮借⇒止鼑=してい=し‐てい【紫庭】《「紫」は天帝の座の紫微垣(しびえん)の意》内裏(だいり)。皇居。宮中。

 

鼑曰⇒仮借⇒ていじつ=てい‐じつ【帝日】陰陽道(おんようどう)で、その人の性(しょう)により、諸事に吉とされる日。

 

訟⇒仮借⇒乾 訟=かんしょう=かん‐しょう〔クワン‐〕【完勝】[名](スル)一方的に勝つこと。完全な勝利。「大差をつけて完勝する」⇔完敗。

 

訟坤⇒仮借⇒訟坤=しょうこん=1 しょう‐こん〔シヤウ‐〕【傷痕】きずあと。「戦争の傷痕がなまなましい」2 しょう‐こん〔セウ‐〕【招魂】死者の霊をまねいて祭ったり鎮めたりすること。

 

需師⇒仮借⇒しゅし=1 しゅ‐し【酒×巵】さかずき。酒杯。2 しゅ‐し【洙泗】【一】中国山東省曲阜県を流れる泗水(しすい)と、その支流の洙水(しゅすい)

 

師訟蒙⇒仮借⇒師訟=ししょう=1 し‐しょう【師承】[名](スル)弟子が師から教えを受け伝えること。師伝。2 文字によって表現された言葉。詩歌や文章。

 

蒙⇒仮借⇒蒙=もう・ぼう=もう・ぼう【望】

【需屯剝訟需乾訟坤需師訟蒙】⇒六十四卦の教え。

 

<備考>

尤比=ゆうひ=ゆう‐ひ【▽熊×羆】熊(くま)と羆(ひぐま)。勇ましい者のたとえにいう。

 

※ 尤比=ゆうひ=ゆう‐ひ【▽熊×羆】⇒仮借(熟語、駢字)、たしかに、現代辞書に記述されています、しかし、紀元前2500年に存在したのか?疑問を持ち検索いたしました。

 

史記 : 本紀 : 五帝本紀 - 黃帝者,少典之子,姓公孫,名曰軒轅。 - 中國哲學書電子化計劃 (ctext.org)

 

【軒轅乃修徳振兵治五氣蓺五種撫萬民。】【度四方教熊羆貔貅貙虎以與炎帝戰於阪泉之野。】

 

※ 司馬遷のパクリ?

 

<当方の解読>

軒轅⇒軒⇒車輪軸+干戈、轅、⇒兵馬俑馬車⇒参照。

 

中國古代科技 交通系列:獨轅車與漢代後的雙轅車的發明 - 每日頭條 (kknews.cc)

 

1 軒轅を新兵が習得して午後の時間、当番勤務を終え、たわごとや舞芸で過ごしていた。

 

2 度四方⇒周囲一帯、熊羆=勇敢で勇ましい戦士が絶え間なく戦い、(貔貅貙虎以)⇒ひ‐きゅう〔‐キウ〕【×貔×貅/×豼×貅】、おう‐こ〔ワウ‐〕【往古】《古くは「おうご」》過ぎ去った昔。大昔。往昔(おうせき)

 

こ‐い〔‐ヰ〕【虎威】虎(とら)が他の獣類を恐れさせる威力。強大な武力・権力などをいう。「虎威を張る」

 

以與⇒いきょく=い‐きょく〔ヰ‐〕【囲局】⇒三百六十一路。

 

炎帝戰於⇒1 炎帝。停戦。

 

阪泉之野⇒ゆうせん=ゆう‐せん【勇戦】[名](スル)いさんで戦うこと。いさましく戦うこと。せん‐し【戦士】 戦場で戦う兵士。つわもの。「無名戦士」せん‐し【戦死】[名](スル)戦いに参加して死ぬこと。「前線で戦死する」「戦死者」

 

せん‐し【戦史】戦争の歴史。また、その記録。せん‐し【先史】《prehistory》文献で知られる以前の時代。また、その歴史。史前。有史以前。

 

し‐すい【泗水】中国山東省にある川。

 

<まとめ>

中国ではこの文節を研究されているようですが、二十七宿・五経の公比にたどりつけないようで、解読経緯の論文がありましたので掲載いたします。

 

【数字卦与重卦

 

仲元吉:數字卦與重卦說-复旦大学出土文献与古文字研究中心 (fudan.edu.cn)

 

以上