魏志倭人伝 卑弥呼 古事記 日本書記 万葉集 甲骨文字 以音 五経基軸文法による解読

漢文史記は五経文法が採用されています、この五経文法は殷時代の甲骨文字(漢字変換)でも採用されており、古代中国は唐時代の末期で消滅、日本では奈良時代(西暦720年)頃で消滅して現在に至っています、この漢文史記を一字一句解読したブログになります。

日本書紀・書名、解明されてないのに、本文の通説解釈に疑問を持ちませんか。 Ⅰ

<注釈>

国史大系. 第2巻 続日本紀 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

日本書紀⇒記述⇒P67⇒ P122 養老4年(720年)5月癸酉条に次のようにある。

 

【先是一品舎人親王奉勅修日本紀 至是功成奏上 紀卅卷系圖一卷】⇒せん しいちひんしゃじんしんおうほうちょく(せん)じつ ほんしししこうせいそうじょうしじゅうかんけい(ず)いちかん。

【修・圖】⇒この漢字は(華甲、華字、解字、字根)⇒借字表音(仮名表音)⇒1 修⇒漢字構成⇒夂・彡⇒彡⇒せん。2 圖⇒囗・⇒啚⇒啚⇒づ、ず。

か‐こう〔クワカフ〕【華甲】⇒《「華」の字を分解すると六つの「十」と「一」とになり、「甲」は甲子(きのえね)で十干と十二支のそれぞれの最初を指すところから》数え年61歳の称。華年(かねん)。還暦。

※ 信じられない閲覧者さまへ。

蘭奢待/蘭麝待(らんじゃたい)

正倉院宝物目録での名は黄熟香(おうじゅくこう)で、「蘭奢待」という名は、その文字の中に"東・大・寺"の名を隠した雅称である。

※ 当方ブログの借字表音(仮名表音)の解読は右文説と言われているようです。

右文説 - Wikipedia

※ 右文説⇒漢音・呉音=百済音⇒(華字・華甲⇒解字、字根)表音⇒借字表音(仮名表音)⇒現代辞書検索。

※ 漢文の趣旨及び意味は一層~三層に構成されています、古事記日本書紀の写本はカタカナの訓読み、句読点、返り点がありますが、これを正しいと考えると解読できません。

※ 熟語=駢字が構成できないので意味不明になります、同音異字で一重・二重で構成⇒1 同音=どうおん=どう‐おん〔ダウ‐〕【導音】。2 音異=おんい=おん‐い〔‐ヰ〕【×蔭位】。おん‐い〔‐ヰ〕【恩威】。

同音異字 - Wikipedia

 

古事記日本書紀の文法構成 事例>

※ 一層目⇒同音異字⇒漢音⇒同音=とういん=とう‐いん〔タウ‐〕【唐音】。異字=いじ=1 い‐じ【異字】=1 異なった文字。他の文字。2 い‐じ【意字】=表意文字のこと。⇔音字(おんじ)

 

※ 二層目⇒同音=とういん=とういん〔タウヰン〕【唐韻】=中国の韻書。唐の孫愐(そんめん)の撰。751年成立。隋代の陸法言らの「切韻」を増訂したもの。一部分が現存する。異字= い‐じ〔ヰ‐〕【遺事】= 昔から伝えられてきた事柄。

 

※ 三層目⇒同音=とういん=とう‐いん〔‐ヰン〕【頭韻】=押韻法の一。詩歌・韻文などの句頭・語頭に、同一の音をもった語を繰り返して用いること。い‐じ〔‐ヂ〕【意地】=1 句作上の心の働き。2 い‐じ〔ヰ‐〕【遺事】。 昔から伝えられてきた事柄。

 

※ 古事記・日本書記は限れた貴人だけに解読できて、不特定多数(親中派⇒大唐、新羅百済の渡来人)には解読できないように記述しています。

 

※ 古事記は注釈があるので多少は解読できますが、それでも難解です。訓読は論外。

 

※ 古事記・日本書記は標準漢字構成が借字表音(仮名表音)⇒1漢音⇒90% 2呉音(百済音)5% (華甲・華字・字・字根)5%⇒23は以音。

 

※ 古事記は注釈があるので多少は解読できますが、それでも難解です。訓読は論外。

※ 古事記は読み間違いをしないように注意しているのです。

 

<事例 要約 1

※ 事例⇒天之御中主神【訓高下天云阿麻下效此】⇒高の下の天=てんは訓読みで【阿麻=あま】だが、漢音で読むこと、華甲⇒解字・字根音を公比積算に使用すること。

 

下效⇒下效=かこう=か‐こう〔クワカフ〕【華甲】

效此⇒こうひ=こう‐ひ【公比】=等比数列で、ある項とその前の項との比。

 

※ 現代人は音読み、訓読みを使い分けていますが、奈良時代の人は大和言語が通常の言語です、あえて訓読みしなさいと注意記述をしますか、新しい殷音なので(以音=この音を用いなさい。)

※ 古代の漢字史記は句読点はありません、後世にでたらめな句読点を加筆したので解読不可となりました。

 

<事例 表音辞書検索 羅列 2

事例⇒天之御中主神訓高下天云阿麻下效此⇒借字表音(仮名表音)=てんしふうちゅうしゅしんくんこうかてんしあまかこうひ。

天之御中主神⇒てん‐し【天子】=天帝に代わって国を治める人。帝王。日本で、天皇。御中=ふうちゅう=楓虫。主神=祭られている祭神の中で、中心となる神。

 

神訓高下⇒しん‐くん【神君】=偉大な功績のあった高徳の君主に対する敬称。くん‐こう【勲功】=国家や君主に尽くした功績。こう‐か〔カフ‐〕【×閤下】

 

天云阿麻⇒天云=てん‐し【天子】。阿麻=こうりん=こう‐りん〔カウ‐〕【降臨】=天上に住むとされる神仏が地上に来臨すること。

 

下效⇒下效=かこう=か‐こう【仮構】=[名](スル)実際にはないことを存在するものとして仮に作り設けること。想像によってつくり出すこと。

效此⇒こうひ=こう‐ひ【口碑】=《石碑のようにながく後世にのこる意》古くからの言い伝え。伝説。

 

※ 事例⇒天⇒借字表音(仮名表音)⇒てん=転⇒てん=1 音韻または語の意味が変化すること。また、変化したもの。「『紺屋(こうや)』は『こんや』の転」

 

※ 漢字数の増減はありません、文節漢字の返り点は解読法が理解できずに加筆した諸悪の根源です、句読点、返り点を取り入れると解読が不可能になります。

 

<要約>

 

【先是一品舎人親王奉勅修日本紀 至是功成奏上 紀卅卷系圖一卷】

せん‐し【先史】、一品=一番優れている物・人。舎人親王、ほう‐ちょく【奉勅】=[名](スル)勅命を奉じること。

ちょく‐せん【勅×撰】=1 天皇上皇の命によって、詩文を選び、書物を編纂(へんさん)すること。⇔私撰。2 天皇上皇がみずから詩文を選び、書物を編纂すること。

日本紀 至⇒1 ほん‐し【本誌】= 別冊や付録に対して、雑誌の本体となる部分。2 

し‐し【詩史】=史実や人物の伝記などを詩の形式でつづったもの。

 

是功成奏上⇒し‐こう〔‐カウ〕【詩稿】、こう‐せい〔カウ‐〕【校正】、せい‐そう〔‐サウ〕【正装】、そう‐じょう〔‐ジヤウ〕【奏上】

 

上紀⇒じょう‐し〔ジヤウ‐〕【上×梓】=[名](スル)《梓(あずさ)(キササゲ)の木を版木に用いたところから》⇒1 文字などを版木に刻むこと。2 書物を出版すること。「論文をまとめて上梓する」

 

紀卅⇒し‐じゅう〔‐ジフ〕【四十】= 104倍の数。よんじゅう。

 

卷系⇒かん‐けい【簡×勁】=[名・形動]言葉・文章などが、簡潔で力強いこと。また、そのさま。「簡勁な筆遣い」

系圖⇒けい‐ず〔‐ヅ〕【系図】=1 先祖から子孫に至る一族の系統を書き記した表。系譜。家譜。家系図。2 由来。来歴。「古典派音楽系図をたどる」

 

※ 日本紀⇒卅卷、系圖一卷⇒40セット。

<補足>

しょ【書】⇒3 書物。本。⇒書の単位⇒冊。

書はどこにも記述されていません。巻物の木版印刷の記述。

※ 日本紀⇒写本⇒書に校正したので、日本書紀=にほんしょき⇔にほんじつき⇒書⇒華甲⇒漢字構成⇒日=じつ=実。⇒実紀(記)

 

※ 日本書紀の論争は解読できてからにしてもらいたい。

 

日本書紀、限られた皇族、朝廷の限られた人にしか解読できないように編纂されている実紀。⇒じっ‐き【実記/実紀】⇒事実をありのままに書きとめた記録。実録。

 

根拠>

隋書/81⇒倭國⇒夏、殷之代,時或來王。⇒属國(倭國)⇒【制詔 親魏倭王卑弥呼 帶方太守劉夏遣使】⇒要約⇒魏國の天子が変わっても中国の属国として未来永劫存続するという調印。

 

※ ふざけるなと立ち上がるイザナギ、ニニギ、瓊瓊杵尊、中国は魏⇒晋に禅譲され、晋にニニギ、瓊瓊杵尊が宣戦布告をされ即位を辞退、子供の火折尊(ほおりのみこと、

火遠理命)、あるいは彦火火出見尊

 

三種の神器を授与、もう一つの条件は中国の血筋(血族)結婚を約束させられます。⇒日本書紀記述抜粋要約。

 

※ 晋・西晋・隋・唐の血筋⇔大伴・物部・蘇我・藤原(とうげん)⇒親中派VS独立派の天皇の血族と政権の争い。

 

斉明・天智・天武⇒白村江の戦いに敗れるが独立を目指し遷都、またしても大唐が立ちふさがります、九州(壱岐筑前・筑紫・肥前・肥後・豊前・豊後)大唐の傀儡政権⇒新羅百済に陥落⇒100年余り占拠されていた。⇒続日本書紀の記述。

 

持統・文武(47天皇独立派)⇒親中派VS独立派の争い。⇒淳仁47天皇独立派)⇒安碌山の乱に乗じて渤海國の同盟で九州を奪還、日向、大隅隼人は独立派。

 

※ 日向、大隅隼人は現代科学でDNAが縄文系なのは中国、新羅百済、の血族少ないのではないか。?

※ 続日本書紀参照。

 

P73⇒独立派⇒二十一國⇒事例⇒伊賀國(獣=じゅう=従)、疫、疾⇒(疫=えき=役=戦。)飢賑⇒(華甲文法⇒飢賑⇒しかい⇒食=し、貝=かい⇒しかい=し‐かい【四戒】心の邪念として戒めている、驚く、恐れる、疑う、惑うの四つ。⇒疑う。

 

P23 大風⇒事例⇒駿河下総大風⇒おおかぜ、台風ではありません。⇒華甲⇒大⇒華甲⇒一(いつ)人。風⇒華甲⇒𠘨(き)䖝⇒華甲⇒丿虫(ちゅう、き)⇒華甲表音⇒いつき=いっ‐き【一×揆】⇔現代辞書。

 

親中派のよりもどしで再び属国になったが九州は日本の領土に100年で取り戻す。⇒称徳天皇孝謙天皇重祚、) 光孝(57天皇),直光元年。光啓(こうけい)は中国・唐代僖宗の治世で用いられた。8853 - 888年正月。⇒属国。

 

73P 大和に二十一國⇒独立派⇒縮小

安碌山⇒361P 安碌山

392P~396P⇒九州 392P 天平宝字5年 761年 奪環⇒華甲⇒ 單功 せん‐こう【先攻】 三十万三千七百餘人  372P戦争準備。766年⇒361P⇒317P (魏志倭人伝=難升米=(南)春米=献上米⇒225P) 豊前國 反乱。120P薩摩隼人謀反⇒

新羅大宰府。日向、大隅 大和の味方。

 

<補足・付録>

393P 越州 浦陽府⇒蘇州 ⇒ 造船。街道:浦南街道、浦陽街道、仙華街道

越前国・越後國ではありません。

 

寧波船⇒建造⇒卑弥呼の時代~奈良時代はここで船を建造していると思われます。

寧波船 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

寧波市 - Wikipedia

こん‐りょう〔‐リヤウ〕【今良】⇒律令制で、賤民から良民となった者。⇒三百六十六人編附 左右京 大和。越州におかれていた(長崎出島)のような附から戸籍を編入した。

 

国史大系. 第2巻 続日本紀 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

 

<関連記述>

日本書紀 巻第十七 継体天皇紀 (seisaku.bz)

天皇幼年、父王薨。振媛廼歎曰「妾、今遠離桑梓、安能得膝養。余歸寧高向【高向者、越前國邑名】奉養天皇。」

【高向者、越前國邑名】※ 中国、憎し、⇒加筆⇒越前国gた通説?。

【寧高】⇒ねいこう=寧江⇒ニンザン県(ニンザンけん、ベトナム語Huyn Ninh Giang/縣寧江)。

安南都護府⇒現在のハノイ

安易に解読できるようには記述されていないのです。

日本書紀 >

日本書紀⇒にほんしょきではありません。⇒じつほんじつき。⇒漢表音⇒五経基軸文法で記述されています。

日本書紀⇒日=じつ=実。本=ほん=本。※現在は1 にほん、2 にっぽん、※ 呉音(百済音)にち、にっ。

日本書紀⇒書=しょ⇔漢表音⇒⇒解字・字根=漢字構成の偏旁(へんぼう)⇒音符⇒日(じつ)だけを漢表音で採用します。

紀⇒※どうして言偏の記を用いないのか。※ 紀⇒解字⇒糸+己⇒字源⇒会意。「糸」(ベキ)をならべたもの。子、巳、思と同系。

己⇒き【己】⇒十干(じっかん)の第六。つちの。

 

說文解字 - 書 - 中國哲學書電子化計劃 (ctext.org)

2 序: 倉頡之初作書,蓋依類象形,故謂之文。其後形聲相益,即謂之字。文者,物象之本;字者,

說文解字 - 本 - 中國哲學書電子化計劃 (ctext.org)

2 序: 倉頡之初作書,蓋依類象形,故謂之文。其後形聲相益,即謂之字。文者,物象之本;字者

 

  • 説文解字では同じ解釈は記述されています。解釈は閲覧者様でお願いします。

※ 日本紀・日本実紀・日本書紀⇒表題の趣旨、解釈は不明。

 

日本書紀私記

日本書紀私記 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

日本書紀』については、平安時代に、養老5年(721年)、弘仁3年(812年)、承和10年(843年)、元慶2年(878年)、延喜4年(904年)、承平6年(936年)、康保2年(965年)の7回の講書「日本紀講筵」が行われたとされる。

 

※ 一度、閲覧してみてください。記号が漢字の上部に符丁として記述されています。⇒ イ ●▲○◐◒◑◓⇒その他・

※ 学者、研究者は右文説、(華甲、解字、字根)の思考が無いので解読されイェイ内容です。当方も当初は解読できませんでしたが判明しました。

※ イ⇒部首・●⇒呉音・▲⇒漢音・〇⇒訓音・偏旁の殷音⇒◐◒◓◭◮・その他、記号。

※ 公比という思考が存在しないので悪戦苦闘しているのがわかります、一つの文節で数えきれない表音が有るので解読できないのです。訓読みを交えたら解読は壊滅的となります。

 

※ 釈日本紀でも記述に古事記日本書紀が(切韻日陸法言=『切韻』(せついん)なので解読云云。⇒【如何】 《ニ ナル》こうだと決めかねる、または他に可能性のある状態・様子であることを表す語。

 

※ 日本書紀私記のP-3の文頭【天地未分】⇒〇⇒訓読みしています。天⇒華甲⇒△大・人決めかねています。⇒公比積算文法にたどり着かないので解読できていません。

 

※ P-4⇒後和(答也=古多江弖)⇒也⇔弖。

※ 公比積算に使われる。8(八=や)。この発見により現代辞書の意味、音符を書き換える必要が出てきます。【弖爾乎波(てにをは)】

※ 安万・阿礼の記述を比較しています。

一書曰國常立尊天鏡尊天鏡尊生天萬尊天萬尊生沫蕩尊沫蕩尊伊弉諾尊沫蕩此云阿和那伎。

 

いち じつ えつ こう じょうりゅうしゅうせいてん けい しゅうてん けい しゅうせいてんぎょうしゅうてんそうしゅうせい ぼくとうしゅうせんとうしゅうせいいじょうこうそんぼくとうひしていこうゆう(き=ぎ)

 

<補足>

重要な漢字語句は華甲文法が少ないようです。

天鏡、沫蕩、伊弉諾尊

天鏡とは - コトバンク (kotobank.jp)

 

沫蕩=ぼく‐とう【×幞頭】=律令制で、朝服に用いたかぶり物。中国唐代に士大夫などが着用した頭巾(ずきん)を模したもの。

幞頭とは - コトバンク (kotobank.jp)

いち‐じつ【一実】=仏語。絶対平等の真実。真如。また、一乗法をいう。

 

<一層目 要約>

いち じつ えつ こう じょうりゅうしゅうせいてん けい しゅうてん けい しゅうせいてんぎょうしゅうてんそうしゅうせい ぼくとうしゅうせんとうしゅうせいいじょうこうそんぼくとうひしていこうゆう(き=ぎ)

 

(魏=注釈)、一実、交譲、紹隆、(竜集=1年)、盛典、天鏡、桂秋、天恵、秋晴、天業、天宮、伝奏、湊集、幞頭、踏襲、終戦、せん‐とう【先頭】=いちばん先。「列の先頭に立つ」、黙祷、伊弉諾尊、委譲、条項、上皇、せん‐とう【仙▽洞】=上皇の御所。転じて、上皇。仙洞御所。仙院。

 

ひ‐し【秘史】、世間に知られていない歴史。隠された歴史上の事実。また、それを記した書物。「大戦秘史」、ひ‐し【悲史】、悲しい歴史。悲しい史実の記録。哀史。

 

し‐てい【仕丁】⇒じちょう(仕丁)自重には「じじゅう」および「じちょう」という2つの意味と読み方がある。(一)「じじゅう」は、物そのものの重量のことである。(二)「じちょう」は、軽はずみなことをしないよう注意すること、言動を慎むことである。

【阿和那伎】⇒華甲⇒一句づつ解字すると下記の熟語(駢字)になります。

しゆう〔シイウ〕【蚩尤】中国の伝説上の人物。黄帝と戦い、濃霧を起こして苦しめたが、指南車を作って方位を測定した黄帝に涿鹿(たくろく)で敗れたという。

 

わな【×罠/×羂/輪奈】人をだまして陥れるための計略。「うまい話には―がある」、こう‐わ〔カウ‐|コウ‐〕【講和/×媾和】、[名](スル)交戦国が、互いに協定を結んで戦争をやめ、平和を回復すること。「―を結ぶ」、ゆう‐わ〔イウ‐〕【×宥和】[名](スル)対立する相手を寛大に扱って、仲よくすること。

 

ゆう‐し〔イウ‐〕【有史】歴史で、文字による記録のあること。「有史以前」「有史時代」。ゆう‐し〔イウ‐〕【有刺】とげがあること。

 

ぎし【魏志】中国の歴史書三国志」のうち、魏の国に関する史実を記した部分の通称。30巻。「蜀志(しょくし)」「呉志」とともに、晋の陳寿の著。魏書。

 

※ すべて、漢音・呉音、華甲を現代辞書検索して羅列しただけです、推測、漢字の増減はありません、又、返り点による熟語校正もしていません。

 

※ すべて文頭から順番に並べただけです。

 

<二層目 要約>

いち じつ えつ こう じょうりゅうしゅうせいてん けい しゅうてん けい しゅうせいてんぎょうしゅうてんそうしゅうせい ぼくとうしゅうせんとうしゅうせいいじょうこうそんぼくとうひしていこうゆう(き=ぎ)

 

一実、紹隆、修正、聖典、成典、典経、典型、修正、転経⇒《「てんぎょう」とも》「転読(てんどく)」に同じ。凝集/凝×聚、宗典、総収、集成、修成。

 

せい‐ぼく【清×穆】⇒清らかで、やわらいでいること。多く、手紙文で相手の幸福・健康を祝う語として用いる。「御清穆の段お喜び申し上げます」、とう‐しゅう〔タフシフ|タウシフ〕【踏襲/×蹈襲】⇒[名](スル)前人のやり方などをそのまま受け継ぐこと。

 

せん‐とう【先頭】⇒いちばん先。「列の先頭に立つ」。しゅう‐せい〔シウ‐〕【醜声】⇒不名誉なうわさ。恥ずべき評判。醜聞。せい‐い【誠意】⇒私利・私欲を離れて、正直に熱心に事にあたる心。まごころ。

じょう‐こう〔デウカウ〕【条項】⇒箇条書きにしたものの、一つ一つの項目。箇条。「人権に関する憲法の条項」。しゅう‐せん〔シウ‐〕【修×撰】⇒文書を整え作ること。特に、史書を編集・撰述すること。編纂(へんさん)。「国史を修撰する」

 

せん‐とう【仙▽洞】⇒上皇の御所。転じて、上皇。仙洞御所。仙院。⇒伊弉諾尊

 

ひ‐し【秘史】⇒世間に知られていない歴史。隠された歴史上の事実。また、それを記した書物。「大戦秘史」。ひ‐し【悲史】⇒悲しい歴史。悲しい史実の記録。哀史。

 

<補足 1

【尊・尊・尊・尊・尊=しゅう⇒漢字構成⇒華甲⇒酋寸⇒酋=しゅう】。【尊=そん】※ 他の漢字も同様に採用されています。

 

【伎=き・ぎ】⇒天⇒転⇒てん【転】⇒1 音韻または語の意味が変化すること。また、変化したもの。「『紺屋(こうや)』は『こんや』の転」2 漢詩で、「転句」の略。「起承転結」

 

※ 学者、研究者は偏旁、音符、殷音を持ち出します。⇒偏旁⇒現在の偏旁冠脚は、基本的に『康煕字典』(1716年完成)を使っている。⇒通用しません。

偏旁 - Wikipedia

 

<解読法>

1 右文説+(華甲・解字・字根)+転。

2 文節の句点、カナを削除。⇒熟語(駢字)構成を妨げる、文節の切り取りは禁止。⇒前文節の終止点。~文節の終止点までが文節になります。

 

3 碑文等を学者、研究者が切り刻んだ文節は解読できません。原文漢字字数を確認してからの解読になります。又誤写の場合は解読不可。

 

4 PC⇒Excel表。作成⇒シート⇒書式⇒列幅⇒4.0⇒BZまで変更。行はそのまま。

 

5 解読したい文節を一時貼り付けを行う。再度コピーして34行下に貼り付ける。列の一桝づ切り取り、貼り付けを繰り返し文節を並べる。

  • 列の上部桝に漢表音、呉音を記入する。⇒ウイクショナリー日本語版が良い。漢音。呉音・慣用音を検索できます。

道 - ウィクショナリー日本語版 (wiktionary.org)

7 華甲表音の検索方法。⇒字源 Jigen net。漢字構成を閲覧。⇒コピーして検索に貼り付け表音を確認します。面倒ですがウイクショナリー日本語版に貼り付け漢音、呉音を確認すると解読がやりやすい。

 

酋の漢字情報 - 漢字構成、成り立ち、読み方、書体など|漢字辞典 (jigen.net)

  • 音読み、訓読みも難解でわからない漢字の表音。⇒事例⇒𨳯】門8+4=総画数12 U+28CEF [ヘイ、ハイ/し・める、と・ざす、と・じる]。詳しく調べたい方。

 

K'sBookshelf 辞典・用語 漢字林 門部

說文解字 - 中國哲學書電子化計劃 (ctext.org)

 

<熟語・駢字>

ぼくとうとは - Weblio辞書

「竜集」で一致する言葉1ページ目 - goo国語辞書

天鏡とは - コトバンク (kotobank.jp)

 

<倒語>

伎那和阿云此蕩沫尊諾弉伊生尊蕩沫尊蕩沫生尊萬天尊天生尊鏡天尊鏡天 生尊立常國曰書一

(き=ぎ)ゆうこうていしひとうびしゅうこう じょういせいしゅうとうせんしゅうとう ぼくせいしゅうそうてんしゅうぎょうてん せいしゅうけいてんしゅうけいてん せいしゅうりゅうじょうこうえつじついち

 

伎那⇒癸酉の年 西暦253年

 

杞憂 読み方:きゆう。無用な心配をするという意味のこと。ゆう‐こう〔イウカウ〕【友好】友人としての親しい交わり。「友好を深める」「友好関係」「友好国」

こう‐てい〔クワウ‐〕【皇帝】1 おもに中国で、天子または国王の尊称。秦の始皇帝が初めて称した。之

 

し‐ひ【詩碑】詩を刻み込んだ石碑。とう‐び〔タウ‐〕【×掉尾】《尾を振る意。慣用読みで「とうび」とも》物事が、最後になって勢いの盛んになること。また、最後。「掉尾を飾る」

【美秀】美しく秀でていること。⇒卑弥呼は華甲しても記述がありません。

日本書紀 巻第一 神代上 (seisaku.bz)

 

一書曰、伊弉諾尊、勅任三子曰「天照大神者、可以御高天之原也。月夜見尊者、⇒時天照大神、怒甚之曰「汝是惡神。不須相見。」乃與月夜見尊

 

乃與月夜見尊⇒借字⇒臺與月夜見尊 ※ 與⇒古代中国では聖徳太子の聖、聖武天皇の聖の漢字は史書国史では先人が決めた不文律で使用禁止。聖武天皇は大唐から改名をせまられていました、許可できない。⇒新唐書、記述。

 

しゅう‐こう〔シウカウ〕【修好/修交】[名](スル)親しく交わること。特に、国家と国家とが親しく交流すること。「―条約」

 

倒語文節は解読してみてください。

 

1 借字表音(仮名表音)で意義が重複しているので、このような文法になっています、当方の憶測ですが、紙が発明される以前から木簡・竹簡で記述するための短文節の唯一の方法を文法にしたものと思われます。

 

2 五経・易学・公比積算・漢音・呉音(百済音)・以音・解字⇔字根⇔か‐こう〔クワカフ〕【華甲】=《「華」の字を分解すると六つの「十」と「一」とになり、「甲」は甲子(きのえね)で十干と十二支のそれぞれの最初を指すところから》数え年61歳の称。華年(かねん)。還暦。

 

※ 現代辞書には上記の説明がされていますが、多くの漢字にこの手法を取り入れています。

 

3 天災、葬儀礼・歌之曰⇒倒語文節。

 

日本書紀巻第三⇒神日本磐余彥天皇 神武天皇

辛酉年春正月庚辰朔、天皇卽帝位於橿原宮、是歲爲天皇元年。尊正妃爲皇后、生皇子神八井命・神渟名川耳尊。故古語稱之曰「於畝傍之橿原也、太立宮柱於底磐之根、峻峙搏風於高天之原、而始馭天下之天皇、號曰神日本磐余彥火々出見天皇焉。」初、天皇草創天基之日也、大伴氏之遠祖道臣命、帥大來目部、奉承密策、能以諷歌倒語、掃蕩妖氣。倒語之用、始起乎茲。

 

 

<国家存亡の危機と危惧している時代背景の正史編纂。>

白村江の戦いに敗れ、大唐が筑紫、近江に数千人進駐している他にに親中派の皇族や官位の高い貴人いて、解読できないように編さんされています。

 

同時代に発布された養老令は適正な解読もなされ明治時代までこの令を基本にになっていました。

 

※ 日本書紀巻第一~日本書紀巻第卅まで連々と歴代天皇が即位した宴会で重縁、娶(再婚)老後の扶養・養女・養子の宴が記述されています。

 

日本書紀 巻第一 神代上 (seisaku.bz)

戦が終わり戦勝しても功労者の遺族の福祉です。

後和之曰「姸哉、可愛少男歟。」然後、同宮共住而生兒、號大日本豐秋津洲。次淡路洲、次伊豫二名洲、次筑紫洲、次億岐三子洲、次佐度洲、次越洲、次吉備子洲。由此謂之大八洲國矣。瑞、此云彌圖。姸哉、此云阿那而惠夜。可愛、此云哀。太占、此云布刀磨爾。

 

1 生兒=生後間もない乳飲み子=兒とは、幼い子/稚児/童/ちのみごなどの意味をもつ漢字。

 

2 洲⇒借字表音(仮名表音)⇒洲⇒しゅう=衆子 ※ 現代辞書にはありませんが、下記に記述されています。⇒正妃ではない側室の子供。

 

喪葬令 全17条_現代語訳「養老律令」|官制大観_律令官制下の官職に関するリファレンス (dti.ne.jp)

 

神⇒申=神:稲妻から神性を象徴する。⇒最上位の功労者で死亡した貴人に付ける名称。

 

尊・命⇒中庸⇒〈右第十三章。〉⇒故君子居易以俟命,小人行險以徼辛。〈右第十七章。〉⇒武王纘大王、王季、文王之緖。壹戎衣而有天下,身不失天下之顯名。尊爲天子,富有四海之內。宗廟饗之,子孫保之。

 

要約⇒君子は 死者の霊を数えるのに用いる。「百位の英霊⇒隋時代からの熟語」を神に幣帛(へいはく)を奉ること。⇒みこと‐のり【詔/▽勅】=尊・命

 

英霊の語は古くは『隋書』など中国の古典にみられ、英華霊秀の気をもって生まれた、つまり優れた人を意味した。

※ ただし、じゃっ‐かん〔ジヤククワン〕【弱冠】= 《「礼記」曲礼上の「二十を弱と曰ひて冠す」から》男子20歳のこと。

 

※ 20歳になる前に死亡した皇族、貴人の男子=尊・命、女子=命。

※ 【百位の英霊】⇒百位=百の位(くらい)⇒数字の大数=102⇒実際に死亡した年齢に20歳プラスします、現在の法名、戒名の位牌に年齢を足すことになります。

 

※ 古代中国の死生観に由来します、死後の天子は位を授けることができるのです。

 

聖徳太子を検証するために年表を作成し、整合性が取れるか作業を進めての一貫で、大いなる疑問の手がかりがつかめました。>

 

陳寿魏志倭人伝以後の神武天皇までの倭國の経緯です。

 

1 西暦239年、卑弥呼崩御イザナギスサノオに戦で負け、一度は政権を奪われますが、臺(與⇒確証はありませんが、古代中国では天子の號の漢字を流用は厳格な禁止。)

 

臺・與⇒借字⇒事例⇒1 日本書紀=裴世清⇒隋書=與清 2 新唐書/220=聖徳王=與王、爭禮不平。

下記も解読検証しました、聖徳太子の投稿で要約を説明します。

 

 

舊唐書/卷199上 - Wikisource

西暦631年貞觀五年

貞觀五年,遣使獻方物。太宗矜其道遠,敕所司無令貢,又遣新州刺史高表仁持節往撫之。表仁無綏遠之才,與王子爭禮,不宣朝命而還。至二十二年,又附新羅奉表,以通起居。

 

※ 日本書紀では隋書にぼろくそに記述されているので遣唐使。太宗の近・遠縁、(聖⇒漢字使用⇒不文律)⇒氷人、綏遠=オルドス地方。馬具、名馬の産地。

 

※ 血族⇒文節の解読検証のため検索した結果。似たような姓名が検索されましたが不明。

蘇威 - Wikipedia

綏遠青銅器とは - コトバンク (kotobank.jp)

 

新唐書/卷220 - Wikisource

太宗貞觀五年,遣使者入朝。帝矜其遠,詔有司毋拘貢。遣新州刺史高仁表往諭,與王爭禮不平,不肯宣天子命而還。久之,更附新羅使者上書

 

上記と同様で解読の結果。⇒聖徳太子の近。遠縁。明確に記述していません。⇒日本書紀。⇒太宗=李世民

日本書紀。⇒日本書紀 巻第二十五 孝徳天皇紀⇒太宗=李世民

 

今、古人大兄在而殿下陟天皇位、便違人弟恭遜之心。且立舅以答民望、不亦可乎。

且立舅以答民望、⇒且立=しょりゅう=しょ‐りゅう〔‐リウ〕【庶流】= 庶子の系統。庶族。庶系。⇒庶出の子。妾の産んだ子。

答=とう=唐。民⇒李世民。望⇒華甲⇒亡月王=おう=太宗=李世民

 

日本書紀巻第廿二

豐御食炊屋天皇 推古天皇

廿八年秋八月、掖玖人二口、流來於伊豆嶋。冬十月、以砂礫、葺檜隈陵上。則域外積土成山。仍毎氏科之、建大柱於土山上。時、倭漢坂上直樹柱勝之太高、故時人號之曰大柱直也。

 

日本書紀の毎氏⇔毋拘⇒同一かどうかは不明。

 

仍毎氏科之⇒毎氏によると、倭の先祖は葦原中国である、驚いた推古天皇はありとあらゆる史書、伝記、古来より住んでいる古老の言い伝えを調べよ。

 

※ これを踏まえて古事記日本書紀の記述は記述されています。

※ 伊尹の出自は那國、⇒那國=本流血族、否定するイザナギ、我こそ本流の血族の独立派。古事記の文節⇒別天神五柱~神世七代⇔別血族。

1 高御巢日神⇒天孫族⇒蜀⇒孫権⇒血族。

2 魏國⇒公孫⇒血族⇒卑弥呼、臺與。

3 伊尹(那國)の本家、分家の属國派、独立派の争いは強大な葦原中国に恫喝。⇒蜀(孫権)⇒魏(公孫)⇒晋(せんしん=海神)・西晋(せいしん⇒成神、、、、)

※ 嫡子、孫は許可されません、

4 (葦原=威厳・中国)の傀儡属國政権⇒大臣=宰相は連々中国になります。

5 楚=聿=津。大伴金村=だいはんこんそん=公孫。魏⇒禅譲、滅亡。北周⇒物(弗)部氏。⇒隋⇒蘇。唐⇒藤原氏

文法に従って検索するとこのような結果になります。

說文解字 : 卷四 : 聿部 - 中國哲學書電子化計劃 (ctext.org)

 

1930 打開字典顯示相似段落 聿部: 聿:所以書也。楚謂之聿,謂之不律,燕謂之弗。从𦘒一聲。凡聿之屬皆从聿。

 

※ 上記の節文解字を元に威厳中国から派遣された歴代宰相の姓名を仮名にして記述しています。

 

今回の投稿はこのへんで!