魏志倭人伝 卑弥呼 古事記 日本書記 万葉集 甲骨文字 以音 五経基軸文法による解読

漢文史記は五経文法が採用されています、この五経文法は殷時代の甲骨文字(漢字変換)でも採用されており、古代中国は唐時代の末期で消滅、日本では奈良時代(西暦720年)頃で消滅して現在に至っています、この漢文史記を一字一句解読したブログになります。

古事記上卷 幷序 稗田阿禮(音読み=はいでんあらい)⇒(注 ひえだのあれ⇒訓読みでは解読できません。)

年齢は二十八歳ではありません、四十八歳。

稗田阿禮の文節の解読は改めて投稿いたします。

 

時有舍人姓稗田名阿禮年是廿八爲人聰明度目誦口拂耳勒心

<解読>

時有舍人(表音仮名・借字)=時有=しう=為得=することができる。成し遂げる。舍人=しゃじん=社人=神社に仕えて末端の社務に従事する神職。しゃじん。

姓稗(表音仮名・借字)=姓稗=せいはい=儕輩=同じ仲間。さいはい。同輩。朋輩。

姓稗田名阿禮(表音仮名・借字)=姓稗田=姓は稗田=はいでん。名=めい=阿禮=あらい。

年是(表音仮名・借字)=年是=ねんし=年歯=とし。よわい。年齢。としは。

(是)廿八(表音仮名・借字)=(是)廿八=しじゅうはち=四十八歳⇒(注⇒廿は二十ではありません。⇒音読み⇒じゅう。

廿八爲(表音仮名・借字)=廿八爲=じゅうはちい=従八位⇒従八位(じゅはちい)は、日本の位階における位の一つ。正八位の下、大初位または正九位の上の位階である。

(爲)人聰明(表音仮名・借字)=(爲)人=いじん=偉人=すぐれた仕事をなしとげ、多くの人から尊敬される人。偉大な人。聰明=そうめい=理解力・判断力がすぐれている・こと(さま)。

度目(表音仮名・借字)=度目=たくぼく=拓墨=拓本をとること。

目(表音仮名・借字)=目=そうかん⇒『目〔さかん/そうかん〕』⇒官制大観⇒国司四等官で、大国では大目・少目があり、国内の取り締まりや文案の審査等を担当します。国ごとに定員1名です。

http://www.sol.dti.ne.jp/hiromi/kansei/o_gekan_kokushi.html#Sakan

 

誦口拂(表音仮名・借字)=誦口=じゅこう=受講=講義や講習を受けること。口拂=こうひつ=行筆=筆で文字を書くこと。

(拂)(表音仮名・借字)=(拂)⇒六根⇒仏教用語。眼,耳,鼻,舌,身,意の6つの感官能力をいう。

(拂)耳勒心(表音仮名・借字)=(拂)耳=ひつじ=筆字。耳勒=じろく=漢字なし=文字。文章。また、読み書きすること。

勒心(表音仮名・借字)=勒⇒ろく=⇒永字八法=勝手に動かないように制御する意味で、馬の 革紐を引き締めるように書く。おさめる。まとめる。統率する。

勒心(表音仮名・借字)=勒心=ろくしん=六震⇒六種震動⇒〘名〙 仏語。大地が六とおりに震動すること。仏が説法をする時の瑞相とする。すなわち、地面の動揺や隆起をいう動・起・涌と、そのとき起こる音をいう覚(または撃)・震・吼との六種。また、地面が前後左右に上下することを六種に数える。六種動。六震。

<要約>

 

成し遂げることができる。同輩の稗田阿禮(音読み=はいでんあらい)⇒(ひえだのあれ⇒訓読みでは解読できません。)年齢は二十八歳ではありません、四十八歳。

稗田阿禮は神社に仕えて末端の社務に従事する神職。官位⇒従八位。偉人、聡明。

稗田阿禮が帝紀及本辭等を神僊(日本の十二律の一)で読むので講習をうけ、行筆(記録)は⇒勒⇒永字八法を用いること。

勝手に動かないように制御する意味で、馬の 革紐を引き締めるように書くことを心得よ。

 

<太 安万侶の青銅製の墓誌

左亰四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥年七月六日卒之 養老七年十二月十五日乙巳

<注釈>

墓誌について】

現在でも墓誌を制作する際に故人の生前の行い、好きな誌没年齢を墓誌に刻みます。

太 安万侶の青銅製の墓誌には奈良県橿原考古学研究所の発表では墓誌の銘文は2行41字。内容は、左京の四条四坊に住んでいたこと、位階と勲等は従四位下勲五等だったこと、養老7年(723年)7月6日に歿したことなどである。

生前に住んでいた所、官位を授与されたことと、卒去の養老7年(723年)7月6日、養老七年十二月十五日乙巳は解読説明がなされていない。歿年齢も不明。

<当方の見解>

現在の歴史学者、考古学者では解読できないのが現状です。

<解読>

左亰四(表音仮名/借字)=左=さ=あかし。しるし。証拠。亰四ーきょうし=教旨=教えの趣旨=あらわそうとしている意味。

(四)條四坊従(表音仮名/借字)=(四)條=しじょう=詩情=詩歌のおもむき。四坊=しぼう=志望=望むこと。志。坊従=ぼうじゅう=望重=人望が厚いこと。

四位下勲(表音仮名/借字)=四位=しい=志意=こころざし。こころばえ。意志。下勲=かくん=家訓=代々その家に伝わる教えや戒め。また、それを書き記したもの。かきん。

<倒語文法解読>

古代中国の唐以前、日本(倭)の西暦720年頃までの史記文法は漢字一句を重複させ、熟語/駢字(べんじ)を(表音仮名/借字)を採用して文節を構成しています。

句読点、終止府、カタカナ注釈を加筆した解釈は誤訳となり、でたらめ、こじつけとなります、起点漢字の表音は重要で前後の熟語/駢字(べんじ)に共通表音で文脈を形成しています。

下記の倒語文節は九漢字数ですが通常解読でも重複していますので十二文字数で文脈の意味が読み取れます、倒語も同様で十二文字数となります。

條四坊四従坊四従位四勲下(表音仮名/借字)

卒去⇒卒之=律令(りつりょう)制で、四位・五位の人が死ぬこと。⇒倒語文法⇒四條=しじょう⇔じょうし=上梓=文字を版木に刻むこと。また,書物を出版すること。⇒墓誌は青銅製。

四坊四従(表音仮名/借字)=四坊=しぼう⇒倒語文法⇒坊四=ぼうし=(1 亡姉・2 亡子・3 亡師・4 亡氏)⇐従四=じゅうし=倒語文法⇒ 四従=しじゅう=四重=四つ重なること。また,そのもの。

坊従=ぼうじゅう⇒倒語文法⇒じゅうぼう=住房=(僧が)日常生活しているへや。

四位下勲(表音仮名/借字)=四位=しい⇒倒語文法⇒位四=いし=意志=考え。意向。遺志=果たすことができないで残したこころざし。下勲=かくん⇒倒語文法⇒くんか=勲下=薫化=徳によって人によい影響を与え,導くこと。

<解読>

五等太朝臣安萬侶以癸亥年(表音仮名/借字)=等太=とうだい=当代=今の天子。今の天皇。今上。当帝(とうだい)。当今(とうきん)。朝臣=ちょうしん=寵臣=気に入りの家来。寵愛の深い家臣。

養老七年十二月十五日乙巳=乙巳=おつき=第42番目の組み合わせ。⇒四二⇒死に?

墓誌の要約>

証としての教旨、太朝臣安萬侶は詩歌のおもむきを志、人望が厚いことと、志意は家訓で代々その家に伝わる教えや戒め。また、それを書き記したものとしていた。

左亰四條四坊に住房し、従四位下勲五等太朝臣を賜った、叉、今の天皇の寵愛の深い家臣であった。安萬侶は癸亥年七月六日’西暦723年)卒之⇒卒去。

<倒語文法解読 要約>

証としての教旨、墓誌に上梓として四つ重なる死があったこと、太朝臣安萬侶は薫化=徳によって人によい影響を与え,導くことを志としていたが、果たすことができないで残した志である。

※ 遺志=果たすことができないで残した志。⇒未濟(坎下離上)⇒未済は、「未だ済(な)らず」という意味です。 

※ 未濟(坎下離上)⇒格言・複合詞・合成詞・俚諺(ことわざ)・中国「2字の並び」という意味の「駢字(べんじ)は(勾比/積算)で表れます。⇒未濟(坎下離上)

 

※ 公比/積算算出

朝臣安萬侶 享年52歳(満51歳) 卒去。

【長屋親王宮鮑大贄十編】

安万侶の青銅製の墓誌と同様に、発掘された漢文木簡を馬鹿学者がでたらめ解釈しているので、正しい解読を投稿いたします。

 

【デタラメ記述】

【長屋親王宮鮑大贄十編】これは長屋親王宮に鮑十編を捧げるという「大贄おおにえ」の文字が使われています。この言葉は、神か天皇に捧げるときにのみ使う言葉だそうです。

奈良時代の朝廷王族は馬鹿だったのか、それともでたらめ解読をした浅知恵学者が愚かなのか。

 

<解読>

長屋親王宮鮑大贄十編=じょうおくしんおうぐうほうだいしじゅうへん⇒長屋親王宮鮑大贄十編(表音仮名/借字)

長屋親王宮鮑大贄十編

<解読>

長屋親王(表音仮名/借字)=長屋=じょうおく=場屋=人的設備を備えた場所。親王=しんおう=新鶯=初春のウグイス。親=しん=したしむ。

(王)宮(表音仮名/借字)=王宮=おうぐう=王の住む宮殿。

鮑大(表音仮名/借字)=鮑大=ほうだい=傍題=副題。サブタイトル。和歌・連歌俳諧で、中心となるべき主題材をさしおいて、二次的な題材を重視して詠むこと。傍題を犯すなど避けるべきこととされた。 

大贄十編(表音仮名/借字)=大贄=だいし=題詩=ある事柄を題にして詩を作ること。また、その詩。

十編(表音仮名/借字)=十編=じゅうへん=十、書籍。書物。作品。詩・文章を数えることば。

<要約>

長屋親王の王宮で初春のウグイスの知らせを親しみ、大贄された鮑を傍題に題詩の詩を十編。

 

古事記上卷 幷序 記述内容は編纂の指針、音・訓読み⇒神僊(日本の十二律の一),行筆⇒勒⇒永字八法を用いること。

歴史史記五経文法を基軸にした解読をしています、古事記の上巻并序に解読方法の末(末尾)記述の文節に記述されているのは以前から理解していましたが、改めて詳細解読してみました。

魏志倭人伝の解読について>

裴松之〔372~451年〕

「『三国志』の著者である陳寿(233~297年)の世界観や政治状況は、約37万字に及ぶ『三国志』(それに付けられている裴松之〔372~451年〕の注は、本文に匹敵する約36万字)のすべてに目を通すだけではなく、

陳寿の世界観を形成している儒教の経典(けいてん)に通じなければ分からない」と述べている。

<でたらめ通説解釈を狂信・盲信する閲覧者様へ>

新井白石本居宣長による誤解釈の功罪では済ませられない、でたらめ解釈を連々と引きずる歴史学者・研究者・愛好家等の知識が浅い著作書、講演会は愚かである。

古事記上卷 幷序

古事記上巻并序(こじきかみつまきならびにじょ)でたらめ音訓表音読み。

https://www.kyototsuu.jp/WorldWide/Kojiki0Jyo.html

 

吉田神道、本居 宣長のでたらめ解読により、それ以後、連々と浅知恵学者が同じような解釈を続けています。

1 古事記をすべて訓読みで行えなと、記載されていない。⇒全以訓錄=全く(完全)に訓を以いて録ししるぬ。⇐おかしくはないですか、音・訓の漢字は別漢字なのか?

2 訓読では熟語(表音仮名/借字)⇒格言・複合詞・合成詞・俚諺(ことわざ)・中国「2字の並び」という意味の「駢字(べんじ)が構成できないので、でたらめ解釈になる。

3 古代中国の殷時代から使われている五経文法⇒甲骨文字時代~唐時代までの検証。その後消滅。

4 倭國(日本)では西暦800年には解読不能、その後、解読するでたらめヲコト点文法ででたらめ解読。

<でたらめ通説>

古事記上卷 幷序  (古事記上巻并序・こじきかみつまきならびにじょ)このでたらめで訓読解読では永遠に意味不明。

古事記上巻并序(こじきかみつまきならびにじょ)⇒つまきならびにの漢字がどこに記述してあるのか、馬鹿げている。

<当方の解読法の経緯>

万葉集に属している史記解読を試みる⇒雲をつかむような解読⇒漏刻の詳細制作の史記に出会う⇒詳細説明を記述しているので刻の知らせがあってしかるべき。

今回、初めての知識(公比=積算)数式があることに気が付く。48刻⇒太皷の知らせ。正しい表音漢字に導かれ熟語を構成。⇒解読。

倭國(日本)の古事記・日本書記を解読。⇒本家⇒古代中国の史記に挑戦。⇒甲骨文字(漢字変換)呉音、漢音で解読可能と判明しましたが、五経文法が高度で格言・複合詞・合成詞・俚諺(ことわざ)・中国「2字の並び」という意味の「駢字(べんじ)が多く、難解でしたが解読できるようになりました。⇒魏志倭人伝で証明。

<本家、古代中国>

漢文史記五経文法で高度な文法で成り立っています。

倭国、日本>

古代中国の五経文法より簡略化していますが、日本人特有の応用文法で中国の古代人・現代人でも解読できません。

古事記・日本書記の時代に開発された新たな漢字⇒(弓の下に一)⇒訓読み:て⇐でたらめ訓読み。弖爾乎波(てにをは)⇐でたらめ訓読み

弖=きゅう=九=⇒弓から一を減算して⇒八=8。氐=てい=甲・乙・丙・丁(表音仮名/借字)=氐一を減算して⇒四⇒三=3。

事例⇒弖氐十一里(表音仮名/借字)=弖氐=きゅうてい=宮廷十一里⇒(勾比・積算)加算⇒8+3=11⇒表音が正しいことを意味しています。

<倒語について>

【デタラメ記述】

諷歌倒語(ソヘウタ・サカシマゴト)

ソヘ歌は、そのものズバリを言わずに、別のものに例えば言い換えること。倒語は味方だけに分かるようにした暗号のようなもの、らしいです。

<倒語検証>

日本書記 神日本磐余彥天皇 神武天皇 記述。

初、天皇草創天基之日也、大伴氏之遠祖道臣命、帥大來目部、奉承密策、能以諷歌倒語、掃蕩妖氣。倒語之用、始起乎茲。

要約は秘密の策略。秘密の計画。倒語を使用する。

 

倒語文節は魏志倭人伝にはありません、倭國(日本)の古事記・日本書記・万葉集に見受けられます、事例としては童謠⇒自然災害⇒地震で建物がひっくり返る記述。親しい人が亡くなられた際の記述等。

文節を最下段から上段に向かい解読します、横書きの場合は右から左へ解読します、天武天皇額田王は聡明で普通の読みと倒語文節の2種の記述があります。

 

<注釈>

閲覧のみなさまへ、メールアドレスのパスワードはお持ちですか、古事記、日本書記は正史です、この時代、中国殷の時代から属國で(唐)に白村江の戦いで敗戦し日本国を建国することの一環で正史を制作しました。

日本国の国家情報を中国・韓国に簡単に解読される記述をするとは思えません。

しかし、五経文法漢文を本家の中国に解読されないように訓読を交え難解にした文節で構成されています。

現在でも親中・親韓が政府・官僚におります、古代中国の正史の拓本(写本)が伝来した状況を考慮すれば逆もあり得ます、その際に属國としては死守する ことが不可欠になります。

 

古事記・日本書記を訓読で読んで熟語(中国では⇒俚諺(ことわざ)・格言・複合詞・合成詞・「2字の並び」という意味の「駢字(べんじ)等の漢字構成が成立しない。

以上が誤訳、でたらめ、こじつけの根源であり、現在の歴史史実のでたらめ誤訳で通説が成り立っています。

古事記上卷 幷序

<解読>

古事記上卷 幷序(表音仮名/借字)=古事記=こしき=古史記=古い時代の歴史。古代史。幷序=へい=幷=あわせる。あわす。一つにする。事柄をありのままに述べること。

序(表音仮名/借字)=(表音仮名/借字)=序=じょ=はしがき。書物のはしがき。書物の一番初めに書く短い文章。

幷序(表音仮名/借字)=幷序=へいじょ=事柄をありのままに述べること。

中国,文体の一種。物事のいわれを述べるもの。書物についてのものが最も普通で,書序と呼ばれ,古くは巻末に付したが,のち巻頭におくようになり,巻末にあるものを跋 (ばつ) あるいは後序と呼ぶようになった。

※ 臣安萬侶⇒は五経文法(注釈⇒公比=積算)で古史記を指示しています、こ‐じ【故事/古事】記⇒昔あった事柄。古い事。昔から伝わってきている、いわれのある事柄。古くからの由緒のあること。同じ意味のようですが文法指示は古史記です。

※ 公比=等比数列において、相隣り合う二項の間の比。

 

<要約>

古事記上卷 幷序

史記 古い時代の歴史、古代史を一つにまとめて編纂した記。 

 

真福寺古事記原文の解読>  

古事記上卷 序并

<解読>

古事記上卷 幷序(表音仮名/借字)=幷序⇒倒語文法⇒序并⇒序=漢音 : ショ(表外)。并=呉音 : ヒョウ(ヒャウ)=(書表) 書いて状態や事情を明らかにする。

<要約>

史記 古い時代の歴史、古代史 書表

 

<注釈>

古事記上卷 幷序

今回は五経文法の関連のみ、解読記述掲載いたしました。

 

上古之時、言意並朴、敷文構句、於字卽難。已因訓述者、詞不逮心、全以音連者、事趣更長。

是以今、或一句之中、交用音訓、或一事之、全以訓錄。卽、辭理叵見、以注明、意況易解、更非注。

亦、於姓日下謂玖沙訶、於名帶字謂多羅斯、如此之類、隨本不改。

 

上古之時、言意並朴、敷文構句、於字卽難。已因訓述者、詞不逮心、全以音連者、事趣更長。

<解読>

上古之時言(表音仮名・借字)=上古=しょうこ=遠い昔。昔。古之=こし=古史=古い時代の歴史。古代史。之時=しじ=指示=さし示すこと。時言=じげん=字源=1 個々の文字の起源。2 個々の漢字の構成原理。

(言)意並朴(表音仮名・借字)=(言)意=げんい=原意=もとの意味。本来の意味。

並朴(表音仮名・借字)=並朴=へいはく=幣帛=神前に供える物の総称。みてぐら。にきて。ぬさ。広義には神饌をも含む。

並朴(表音仮名・借字)=並朴=へいはく=幣帛=広義には神に奉献する供物の総称で,布帛,衣服,紙,玉,酒,兵器などいろいろある。狭義には,天皇,国家,地方官から神に奉献する供物をいう。

敷文(表音仮名・借字)=敷文=ふもん=不文=「ふもじ(不文字)」に同じ。⇒不文字=読み書きのできない・こと(さま)。また、文章がへたなこと。

(文)構句(表音仮名・借字)=(文)構=もんこう=文稿=文章の草稿。構句=こうく=構句=構成。

(構)句於字卽難(表音仮名・借字)=(構)句=こうく=おそれいること。恐懼。敬意を表すために手紙の末尾に書き添える語。

於字(表音仮名・借字)=於字=よじ=予示=前もって示すこと。よし。字卽=じそく=自足=1 自分の置かれた状況に満足すること。2 必要なものを自分で間に合わせること。 

卽難(表音仮名・借字)=卽難=そくだん=即断=すぐに,その場で決めること。 速断=そくだん=はやまった判断・決断をすること。

(難)已(表音仮名・借字)=(難)已=だんき=弾機=ある行動や結果を導くきっかけとなるもの。

(已)因(表音仮名・借字)=(已)因=きいん=1 基因=物事の起こる原因となること。2 帰因=きいん=物事の原因が,最終的にある点に帰着すること。

訓述者詞不逮心(表音仮名・借字)=訓=きん=よむ。意味を解きほぐす。解釈する。のべる。すじみちを立てて話す。説明する。述=じゅつ=受けつぎ伝える。者=しゃ=特定の人やものを指し示すことば。

詞不逮心(表音仮名・借字)=詞不=しふ=1 氏譜=氏族の系譜。2 師傅=太師と太傅。古く中国で、帝王を補佐する役。 

逮心(表音仮名・借字)=逮心=ていしん=1 廷臣=朝廷に仕えている臣。朝臣。2 呈進=さしあげること。進呈すること。

(心)全(表音仮名・借字)=(心)全=しんせん=神僊=日本音楽の十二律の一。基音の壱越(いちこつ)より八律高い音で、中国の十二律の夷則(いそく)、洋楽の嬰イ音にあたる。

(心)全(表音仮名・借字)=(心)全=しんせん=神僊=日本音楽の十二律の一。壱越、断金、平調、勝絶、下無、双調、 鳧鐘、黄鐘、鸞鏡、盤渉、神仙、上無、

(全)以音連者事趣更長(表音仮名・借字)=(全)以=せんい=専意=ある事に心を集中すること。専心。以=い=もちいる。使う。使用する。音=おん=おん。中国から伝来した漢字の発音。また、その読み方。

連者事趣更長(表音仮名・借字)=連=れん=つらなる。引き続く。者=しゃ=写=文字を書き写すこと。事趣=じしゅ=字種=文字の集合を構成している一つ一つの文字。

(趣)更長(表音仮名・借字)=(趣)=とる。採用する。(趣)更=しゅこう=1 主公=主君。⇒天皇。2 手稿=手書きの原稿。稿本。3 手交=(公式文書などを)手渡しすること。

(更)長(表音仮名・借字)=(更)長=こうじょう=考状=律令制で、官吏の勤務成績や能力などを記した上申書。

 

<注釈>

(表音仮名・借字)⇒表音は音読みで五経文法の公比/積算に活用されます、ただし、この文節は古事記の文法を記述していますので、多数の同じ表音熟語がある場合は文脈を推論しながら選別します。

公比/積算⇒数値⇒表音指示数⇒2万。⇒詳細数値⇒5万5000。推論としては漢字文字数ではないかと思われる。?

 

<以音について>

以音について,安萬侶は古事記上卷 幷序で以音の注釈を記述しているのか考えてきてください、漢字の一句は音読み、訓読みでも意味は同じです。

漢字文体が音読みで成り立っています、漢字一句を別の表音(以音)で読ませることで漢字一句の意味・熟語が成立するように記述されているのです。

その漢字一句・熟語を以音⇒表音読みで借字変換して正しい意味を読み取ります。

以音表音読みが解読できないと、正しい解読につながらない。

古事記には以音、訓読みの注釈がありますが、日本書記には記載がありません、解読を進めての推論ですが、特定の人だけが解読できて、不特定の人には解読できないような文法になっているのではないかと感じます。

中国、唐に白村江で敗戦し占領され、幾内に遷都して朝廷として律令を整備して、正史を編纂するにあたり、親中渡来人、親韓(新羅)渡来人に解読されないように苦心したのではないかと思われます。

本家中国の漢字の史記文法には五経文法・公比・倒語もありますが、日本独自の以音・訓読みは唐、新羅の遣使にも読み取れません、日本の属國としての地位はかわりませんので弱い立場です。

吉田神道、本居 宣長を含め現在まで五経文法・公比・倒語・以音を表音仮名解読できないことででたらめ解釈が証明されます。

以音表音読みが解読できないと、正しい解読につながらない。

 

<要約>

遠い昔の時代の歴史をさし示すことは個々の文字の起源、 個々の漢字の構成原理、本来の意味を天皇に奉献する正史には文章・構成がへたなことはおそれいることである。

前もって示すことで自分の置かれた状況に満足することなく、叉、はやまった判断・決断をすることなく、歴史の原意を解きほぐし、古史、氏族系譜の記述で、物事の原因を解釈して、すじみちを立てて話し受けつぎ伝えること。

師傅、朝臣に進呈すること。

中国から伝来した漢字の発音、叉、その読み方はつらなる神僊音を用いて伝えるので、心を集中して字種を選び採用し、文字にして書き写すこと。

この手書きの原稿、稿本を公式文書にして手渡しすることで、主公=主君。⇒天皇。の上申書とする。

<備考>

全て訓読で読めとは指示されていない。叉、訓漢字?で記録しなさいとは記述されていません。

<でたらめ解釈>

漢字に直すのは大変

原文

然れども上古の時は、言と意を並朴にして、文を敷き句を構ふること、字におきて即ち難し。已に訓によりて述べたるは、詞心におよばず。

全く音を以て連ねたるは、事の趣さらに長し。是をもちて今、或は一句の中に、音訓を交いて用ゐ、或は一事の内に、全く訓を以ちて録す。

現代文訳

昔の言葉は素朴でした。これを文章に直し、漢字で書くとなると大変です。漢字の訓で書くと漢字の意味がおかしくなるし、音で書くとやたらと長くなってしまいます。

そこで、訓で書いたり音で書いたり混ぜたりしました。あと、言葉の分かりにくいものには注意書きをしました。

<批判>

音・訓と漢字は異なるのか、訓漢字とはどのような漢字なのか、叉訓熟語とはどのような熟語なのか教えていただきたい。

是以今、或一句之中、交用音訓、或一事之、全以訓錄。卽、辭理叵見、以注明、意況易解、更非注。

 

<解読>

是以今或一句之中(表音仮名・借字)=是=し=この、正しい。是以=しい=旨意=考え。今=こん=「いま」と読み、「もし~」と仮定を表す。或=わく=あるいは。または。ある時(場合)は。一句=いちく=言葉のひと区切り。之中=しちゅう=の中で。

交用音訓或一事(表音仮名・借字)=交=こう=まざる。まじる。用=よう=もちいる。使う。音訓=おんきん=音読・訓読。或=わく=叉。一事=いちじ=(注 一事が万事ばんじ、 故事 慣用句。⇒すべて。) 

事)之(表音仮名・借字)=(事)之=じし=侍史=(1 貴人のそばに控えている書記。)(2 手紙の脇付として記し,相手への敬意を表す語。直接はおそれ多いから侍史を経て差し上げる意。侍曹。

內全(表音仮名・借字)=內全=ないせん=内宣⇒(内侍宣)」の略。⇒内侍司天皇に供奉し奏請・宣伝を職掌としていたが,これら内侍の当番のものが,太政官の上卿をはじめとする関係官人に勅旨を伝えた職。

(全)以訓(表音仮名・借字)=(全)以=せんい=専意=あることだけに心を向けること。専心。以訓=いくん=異訓=訓点資料や古辞書で、漢字の訓み方などが二種以上あるとき、主とされる訓に対して他の訓をいう。別訓。

(訓)錄(表音仮名・借字)=(訓)=くん=(異訓・別訓。)読み。錄=りょ=臚=伝える。告げる。伝え告げる。述べる。つらねる。つらなる。並べる。

 

<事例>

神⇒呉音 : ジン。漢音 : シン。訓読み⇒常用漢字表内⇒かみ、かん、こう。常用漢字表外⇒あまつかみ、たましい⇐(異訓・別訓。)

 

<解読>

卽辭理(表音仮名・借字)=卽=そく=「すなわち」と読み、「すぐに」「ただちに」の意を表す。卽辭=そくじ=即事=目の前のこと。辭理=じり=事理=物事の道理。すじみち。

真福寺古事記原文 ⇒参照⇒◾部品に「辶」プラス⇒◾部品に「口が1つ」プラス⇒部品に「一が1つ」含まれる漢字。現代辞書には存在しません。 

𨑕見(表音仮名・借字)=𨑕見=こうけん=後件=後になって書物などを他人が見ること。また、その人。

以注(表音仮名・借字)=以=い=もちいる。使う。使用する。注=ちゅう=記す。書き記す。書き留める。あつらえる。記載する。

以注明意(表音仮名・借字)=以注=いちゅう=意中=心の中。心の中で考えていること。明意=めいい=名彙=物の名などを集めた書物。また,それを解説したもの。

意況(表音仮名・借字)=意況=いきょう=遺教=昔の人の残した教え。また、死ぬ時に残した教え。教訓を後世に残すこと。また、その教訓。遺訓。釈迦の残した教え。仏教。

況(表音仮名・借字)=況=きょう=たとえる。くらべる。くらべあわせる。

 

<文節の文脈を接続する意味で重要なポイント⇒倒語文法を採用しています。>

意況(表音仮名・借字)=意況=いきょう⇒きょうい=境位=ある思想や解釈による位置づけ。

易解更非注(表音仮名・借字)=易=えき占い。易解=えきけ=易卦=易の用語。「け」とも読む。更非=こうひ=公比⇒(現在の辞書の意味⇒等比数列において、相隣り合う二項の間の比。)

 

<注釈>

※ 公比⇒一句の表音漢字に与えられた数の数列の和⇒加法 (+)・減法 (−)・減法 (−)・除法 (÷)を使い一定の積数が正しい場合のみ、文節の解読が可能になりますが、

古文(旧漢字)なので(熟語⇒格言・俚諺ことわざ。複合詞・合成詞・中国「2字の並び」という意味の「駢字(べんじ)等の聞きなれない熟語がほとんどで、

辞書検索しても同じ表音の熟語が多い場合は文脈につながりませんので選別が大変になります。

非注(表音仮名・借字)=非注=ひちゅう=秘中=秘密の事柄のうち。

 

<注釈>

この文節で、当方の五経文法を基軸にした解読法が正しいことであると判明できました。

 

<要約>

この正しい考えを今、(一句=言葉の区切り)の中に音読、訓読を用いる場合、あるいはすべての(侍史=書記)が専意して述べ書き記すこと。

すなわち、目の前の(注⇒編纂)道理として後になって書物などを他人が見ること。物の名などを集めた書物。また,それを解説したもの。

昔の人の残した教え。また、死ぬ時に残した教え。教訓を後世に残すこと。また、その教訓。遺訓。釈迦の残した教え。仏教。を比べ合わせることで、

解釈による位置づけをして、易卦の公比で書き記し、秘中=秘密の事柄である。

 

<備考>

きん【訓】

漢字の原義に対応する日本語で、それがある程度固定化したものをいう。本来は、漢字のもつ意味、字義をさし、字義を解釈すること「訓詁(くんこ)」をも訓と称したが、さらに転じて、漢字を中国語の原音(またはそれに近い音)で読んだもの、すなわち音(おん)(字音)と対立するもので、字訓、和訓ともよぶ。

わが国に漢字が伝来してのち、ある程度時間が経過して和訓が固定化すると、今度は逆にその和訓に対応する漢字を並べて、日本語の文章を漢字によって表記するようになる、文章や文字の意味がわかるようにする。よむ。

https://kotobank.jp/word/%E8%A8%93-480713

 

亦、於姓日下謂玖沙訶、於名帶字謂多羅斯、如此之類、隨本不改。

 

<でたらめ解釈>

「日下」を(表音=玖沙訶=クサカ、キュウシャカ、「帶」を多羅斯=タラシ)になります,玖沙訶=「日下」=クサカ、解読が誤訳のため無理な表音の通説です、おかしいと思わないことが不思議です。

古事記の記述で前文では表音、音読み、訓読み等の記述説明をしています、その文脈を考察すると、姓名の記述について詳細に説明していることを、お粗末な誤訳、こじつけ読みをしていることが滑稽でなりません。

 

<解読 注釈>

亦、於姓日下謂玖沙訶(表音仮名・借字)=(注1 前文と同様に姓名の姓についてす。) 日=じつ=実=自分の生まれた家。生家、また、父母の家の姓をくみ取り、下謂=歌意=記述を声に出し、玖=書き換えを防ぐために。という意味です。

沙訶=(注2 沙=写=良いものと悪いものを選り分け、訶=表音を手掛かりに語を写し取ること。

於名帶字謂多羅斯(表音仮名・借字)=(注1 前文と同様に姓名の名についてす。) 帶字=おびている表音漢字の謂=意をくんで、多羅斯=多く連なる漢字は姓と離す必要がある。という意味です。

如此之類(表音仮名・借字)=(似ているもの、同じ性質)の漢字、記述はこれに従う。)という意味です

隨本不改=(隨本(表音仮名・借字)=見聞きした事などを筆にまかせて書いた文章)であり、(不改=附会=関係のない事柄を理屈をつけて結びつけることはしていない。)という意味です

<要約>

解釈による位置づけをして、易卦の公比で書き記し、秘中=秘密の事柄である。

叉、同様に姓名の姓については生まれた家。生家、また、父母の家の姓をくみ取り、記述を声に出し書き換えを防ぐために、良いものと悪いものを選り分け表音を手掛かりに語を写し取ること。

 

於名帶字謂多羅斯(表音仮名・借字)=(注1 前文と同様に姓名の名についてす。) 帶字=おびている表音漢字の謂=意をくんで、多羅斯=多く連なる漢字は姓と離す必要がある。という意味です。

如此之類(表音仮名・借字)=(似ているもの、同じ性質)の漢字、記述はこれに従う。)という意味です

隨本不改=(隨本(表音仮名・借字)=見聞きした事などを筆にまかせて書いた文章)であり、(不改=附会=関係のない事柄を理屈をつけて結びつけることはしていない。)という意味です。

 

<姓⇒かばね⇒八色の姓を前提に編さんされている。>

八色の姓(やくさのかばね)は、天武天皇が684年(天武13)に新たに制定した「真人(まひと)、朝臣(あそみ・あそん)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、臣(おみ)、連(むらじ)、稲置(いなぎ)」の八つの姓の制度のこと。

 

<備考、当方の推論>

魏志倭人伝を解読して神武天皇~持統・文武天皇まで男系血族の正統な宗家の争いと推論いたしました、卑弥呼天照大御神)⇒血族宗家。神武天皇⇒分家(血族)二つの血族の争いで雄略天皇は宗家血族でしたが、断絶。継体天皇で遠縁血族となり、天武天皇は少し血族が薄い、持統・文武天皇で宗家(正統血族)にする、前段階としての八色の姓⇒血族の濃さで位を決める。⇒参考諡郷⇒根子・建の漢字が使われている。

持統天皇⇒大倭根子天之廣野日女尊

文武天皇⇒倭根子豊祖父天皇

古事記上卷 幷序 稗田阿禮(音読み=はいでんあらい)⇒(注 ひえだのあれ⇒訓読みでは解読できません。)年齢は二十八歳ではありません、四十八歳。

稗田阿禮の文節の解読は次回にします。

 

卑弥呼の葬儀礼に弔問するために、魏国の公使を含め使節300人が海を渡ってやって来た。 18

東夷伝魏志倭人伝の全体の記述からして通説現代訳はおかしいと思いませんか。だれともわからない封土作冢の記述訳、今回は倭国邪馬台国)の朝貢と解釈。

陳寿西晋に仕えた。司馬炎武帝)にその才能を買われ、実績を踏まえ『三国志』を編纂。陳寿の死後、唐の太宗の時代に正史と認定された。

西晋司馬炎武帝)・唐の太宗・陳寿のいずれも魏志倭人伝の現代通説約を読むと馬鹿丸出しである、それとも。全日本の歴史学者、漢学者が馬鹿なのかつまみ食い解釈では無理。

其行來渡海詣中國 恒使一人不梳頭不去蟣蝨衣服垢汚不食肉不近婦人如喪人 名之為持衰 若行者吉善 共顧其生口財物 若有疾病遭暴害 便欲殺之 謂其持衰不謹

<解読>

其行來渡海詣(表音仮名・借字)=其行=きこう=稀覯=めったに見られないこと。非常に珍しいこと。來=らい=くる。きたる。やってくる。渡海=とかい=船で海を渡ること。渡航。詣=けい=いたる。おとずれる。ゆく。到着する。

中國恒使一人(表音仮名・借字)=中國=ちゅうごく=中國⇒魏國。恒使=こうし=公使=国家を代表して外国に駐在し、外交事務を取り扱う職務。また、その人。大使に次ぐものとされ、普通は特命全権公使をいう。ほかに弁理公使・代理公使がある。一人=いちじん=一人。

不梳頭不(表音仮名・借字)=不梳=ふしょ=櫛で髪の毛をとかして整えていない。梳頭=しょとう=初冬=冬の初め。はつふゆ。陰暦10月の異称。孟冬 (もうとう) 。頭不=とうぶ=頭部=頭の部分。

(不)去蟣蝨(表音仮名・借字)=(不)去=ふこ=(注釈⇒現代辞書⇒さら‐・ず=離れないで。放さないで。去らせないで。)蟣=き=虱(しらみ)の卵。蝨=しつ=しらみ。

衣服垢汚不食(表音仮名・借字)=衣服=いふく。垢=く=あか。汚=お=きたない。よごれた。1 不食=ふい=不意=思いがけないこと。突然であること。また、そのさま。だしぬけ。「不意の出来事」「不意に現れる」 2 怖畏=おそれること。おそれ。畏怖。

(食)肉(表音仮名・借字)=食肉=いじく=委肉⇒委肉虎蹊⇒成語⇒成句。⇒わかっていながらも危険な状況や災難を招くことのたとえ。または、無駄死にすること。「委」は捨てるや、置くという意味。「虎蹊」は虎がいる道。虎が出る道に肉を落とすという意味から。「肉を虎蹊に委つ」という形で使うことが多い言葉。

不近婦(表音仮名・借字)=不近=ふきん=1 附近=近くの場所。そのあたり。近辺。2 不近=かなり隔たりがあるさま。1 近婦=きんき=禁忌=忌 (い) み嫌って、慣習的に禁止したり避けたりすること。2 金気=《五行を四季に配すると、金は秋に当たるところから》秋のけはい。秋気。

(婦)人如(表音仮名・借字)=1 (婦)人=きじん=婦人(ふじん)。2 貴人=身分・地位の高い人。きにん。人如=じんじょ=仁恕=情け深く、思いやりがあること。相手をあわれんで罪を許すこと。

(如(喪人(表音仮名・借字)=如喪=じょそう=除喪=喪に服している期間が終わって喪服を脱ぐこと。除服。いみあけ。喪人=そうじん=精進=身をきよめ行いを慎むこと。

<要約>

注釈⇒下記の自衛防衛の若者の人数は五経文法の積算で表れます、古事記・日本書記では并序で太朝臣安萬侶が(公比という熟語で説明していますが=非注(表音仮名・借字)=非注=ひちゅう=秘中=秘密の事柄のうち。

魏国の公使を含め使節300人

前提⇒己 未年 239年6月、亡くなった卑弥呼の葬儀礼に弔問するために、魏国の公使を含め使節300人が海を渡ってやって来た。

陰暦10月。非常に珍しいことで、公使の一人が櫛で髪の毛をとかして整えていない頭部に蟣=き=虱(しらみ)の卵。蝨=しつ=しらみが離れず、衣服も垢で汚れ不意の出来事でおそれ委肉虎蹊。

附近の喪主の貴人・婦人や一族は忌み嫌って不近(逃げ出した。)が仁恕=情け深く、思いやりがあること。相手をあわれんで許すこととした。

金気=《五行を四季に配すると、金は秋に当たるところから》秋のけはい。秋気には除喪=喪に服している期間が終わって喪服を脱ぐこと。除服。いみあけ。喪人=そうじん=精進=身をきよめ行いを慎むこと。

<馬鹿な通説現代訳の見本>

中國⇒みなさんはどのように読まれますか。(ちゅうごく=音読み)。古事記・日本書記では葦原中国(あしはらのなかつくに)⇐訓読み注釈は存在しない。

古事記の注釈の以音も解読できないのにおかしな通説解釈である、当方は古事記の以音解読に成功しました。

古事記の以音について⇒以音注釈を記述しているのは漢字が持つ音読みではないということで、表音仮名・借字で記述されていることを意味します。

訓読注釈について⇒(次天之常立神。訓常云登許、訓立云多知。⇒音読み=じてんしじょうりゅうしん=じてんし、常=とこ立=たちしん⇒じてんしとこたちしん。公比=積算は音読みで反映させます。

倭国から日本に踏み出す転換期ですが中国の属国の地位は変わらず、高い租税を納めています。朝貢しているということが租税を徴収されているということです。

古事記・日本書記の写本が中国にわたり解読されると中国批判が記述してあるので日本独自の五経応用文法で記述しています、それが音訓交用です。

 

古事記

天照大神と須佐之男命故於是、天照大御神見畏、開天石屋戸而、刺許母理此三字以音坐也。爾高天原皆暗、葦原中國悉闇、因此而常夜往。

神話で有名な天の岩戸の文節。⇒でたらめ現代訳。

<要約>

要約⇒昔に於ける天照大御神、祭祀について書かれた典籍(書物。書籍。)は正しいと見なす。葦原中国=いげん、ちゅうごく=威厳(いげん)中国の故事・古事・四庫は虚妄=事実でないこと。うそ。いつわり。

四庫⇒中国で唐代に、書籍を経(経書)・史(歴史)・子(諸子百家)・集(詩文集)の4部に大別して収めた書庫。

天照大神(卑弥呼)・須佐之男命⇒狗奴國連合⇒邪馬壹国に対しての反乱軍(イザナギスサノオ)西暦240年に邪馬壹国は破れます、壹與が復立しますがイザナギニニギノミコト瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)⇒鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)⇒神武天皇

 

晋の天子、司馬 炎(しば えん)に鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)は朝貢を送っています。五経文法解読⇒(諱・いみな。死者の生前の本名。)⇒いみなは略歴が記述されています。

 

淡海三船」は「神武天皇から光仁天皇までの漢風諡号を選定したともいわれる」この漢風諡号は適合しません。

 

魏志倭人伝

名之為持衰 若行者吉善 共顧其生口財物 若有疾病遭暴害 便欲殺之 謂其持衰不謹 18

<解読>

名之(表音仮名・借字)=名=みょう=人を数えることば。之=し=その。それ。人や物事を指ししめす。名之=みょうし=明視=はっきり見えること。

 

(之)為(表音仮名・借字)=為=い=1 食=たべもの。めし。食事。2 為=つくる。こしらえる。設ける。つくりあげる。

 

(為)持衰若(表音仮名・借字)=(為)持=いじ=異事=普通ではない出来事。持衰=じすい=自炊=自分で食事をつくること。衰若=すいじゃく=衰弱=からだなどが衰え弱ること。

 

(若)行者(表音仮名・借字)=若=じゃく=年齢が若いこと。また、その人。行=こう=食事をする。食べる。若行=じゃくこう=寂光=真理の寂静(じやくじよう)なることと真智の光。理と智の二徳。者=しゃ=特定の人やものを指し示すことば。

 

吉善共顧(表音仮名・借字)=吉善=きつぜん=よい。賢い。優れている。立派である。共=きょう=とも。ともに。一緒に。顧=こ=見まわす。気を配る。共顧=きょうこ=鞏固=強くしっかりして、ゆるがないさま。

 

其生口財(表音仮名・借字)=其生=きせい=気勢=何かをしようと意気込んでいる気持ち。生口=せいこう=成功=物事を目的どおりに成し遂げること。口財=こうさい=高才=すぐれた才能。また、その持ち主。

(財)物若有(表音仮名・借字)=(財)物=さいぶつ=才物=才能がある人物。才子。才人。若=じゃく=年齢が若いこと。また、その人。有=う=また。さらに。そのうえ。=又。若有=じゃくう=弱于=弱る。

 

有疾病(表音仮名・借字)=有=ゆう=また。さらに。そのうえ。=又。疾病=しつびょう=疾病(しっぺい)の誤った読み方。疾病は「病気」という意味。⇒食中毒。

 

(病)遭暴(表音仮名・借字)=(病)遭=びょうそう=病竈=病菌に侵されている所。病気になっている所。遭暴=そうぼう=喪亡=ほろびること。なくなること。

 

(暴)害便欲(表音仮名・借字)=(暴)害=ぼうがい=妨礙=じゃまをすること。さまたげること。便=べん=とりもなおさず。欲=よく=願い求める気持ち。

 

殺之(表音仮名・借字)=殺之=さいし=1 再思=再び考えること。考え直すこと。再考。2 細思=子細に考えること。また、こまかい考え。

 

謂其持衰不謹(表音仮名・借字)=謂=い=思う。考える。其=き=その。それ。人や物事を指ししめす。持衰=じすい=自炊=自分で食事をつくること。不謹=ふきん=不注意である。

 

<要約>

注釈⇒下記の自衛防衛の若者の人数は五経文法の積算で表れます、古事記・日本書記では并序で太朝臣安萬侶が(公比という熟語で説明していますが=非注(表音仮名・借字)=非注=ひちゅう=秘中=秘密の事柄のうち。

 

自衛防衛軍の若者の人数=1000名=千人。

この積算数が表れないと、記述の意味が文脈としてつながりません。名之=みょうし=明視=はっきり見えること。⇒はっきり見える私意では⇒解釈がおかしくなります。⇒はっきり言える私意ではなら解釈はとおります。しかし、言うという漢字に一句がありません。

勝手に漢字一句を付け加えることはできません。

 

自衛防衛軍の語句は前記述に記述されています。⇒要約も書き出しに自衛防衛軍千人が書き出しに置くと文脈としてつながります。

 

<要約>

自衛防衛軍千名を明確に見ている私意では、食事を自炊して食べているが衰弱している。

普通ではない出来事がおきた。若者は理と智の二徳を兼ね備えて優れている、共に鞏固に気勢し(自衛防衛)を成し遂げるすぐれた才能を持った若者が弱っている。

そのうえ、疾病⇒食中毒で病竈=病菌で亡くなることになるので考え直すこと。思うに、食事を自炊することは不注意で慎むこと。

 

<次回投稿は古事記 并序で太朝臣安萬侶が記述文法の説明をしています。>

文法の関連記述及び、関連の解読を投稿いたします。

 

その次は魏志倭人伝

出真珠青玉 其山有丹 其木有枏杼橡樟楺櫪投橿烏號楓香 其竹篠簳桃支 有薑橘椒襄荷 不知以為滋味 有獮猴黒雉

邪馬台国 卑弥呼  西暦239年6月死す。 魏志倭人伝の後記述で正始八年の翌年だと、でたらめ根拠で西暦248年、卑弥呼死す。17

つまみ食い歴史学者、愛好家のでたらめ解釈で持論をあたかも正統だと論じ続けている姿は知識が乏しいことで、自身を防御する行為は愚かである。

 

其死有棺無槨 封土作冢 始死停喪十餘日 當時不食肉 喪主哭泣 他人就歌舞飲酒 已葬 擧家詣水中澡浴 以如練沐

<解読>

1 其死有棺無槨封(表音仮名・借字)=其=き=その。それ。人や物事を指ししめす。其死=きし=気死=憤死すること。有=ゆう=叉。棺=かん=ひつぎ。無=む=無し。槨 =かく=ひつぎ。うわひつぎ。棺を納める外箱。無槨=むかく=確報=たしかなしらせ。

2 其死有棺(表音仮名・借字)=其死=きし=奇士=並はずれた器量の人。有棺=ゆうかん=勇敢=物事を恐れることなく積極的にしようとすること。勇気をもって事にあたること。また,そのさま。

3 死有棺(表音仮名・借字)=死有=しゆう=子游。棺=かん=観=目に映った印象。物事の様子・状態。目に映った印象。物事の様子・状態。

子游孔門十哲の一人。姓は言,名は偃(えん)。文学にすぐれ,武城(山東省)の長官となって礼楽を盛んにし,政治の刷新をはかったという。

論語』では魯の武城(現在の山東省臨沂市平邑県)の邑の長官を務め、礼楽を以て民を教化していたという記載がある(雍也第六)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E6%B8%B8

4 死有棺(表音仮名・借字)=死有=しゆう=蚩尤。棺=かん=観=目に映った印象。物事の様子・状態。目に映った印象。物事の様子・状態。

 

蚩尤(しゆう)中国の神話にみえる英雄神

 

封土作冢(表音仮名・借字)=封土=ほうど=古墳などの盛り土。作=さ=つくる。新たにこしらえる。冢=ちょう=墓。土を盛って作った墓。

<注釈>

儒教五経典に『易経』『書経』『詩経』『儀礼』『春秋』がある、この五経典を基軸に記述され、西暦239年6月卑弥女王死すも文法で隠されているが記述されています、解読されてみてはいかがですか。

喪礼⇒卑弥呼女王が崩御した際の葬送儀礼の記述。

喪礼⇒『儀礼』は周王朝(前1100頃~前256)の創始者であった周公が制定したものとされている。

<解読>

(冢)始死停喪十餘日(表音仮名・借字)=(冢)始=ちょうし=弔詞=死者を弔うことば。弔詞。始=し=始まり。死=し。停=てい=とどまる。とまる。喪=そう=服喪⇐ふくもの略語。十餘日=じゅうよじつ=十四日。

 

(死)停喪十餘日(表音仮名・借字)=西暦239年6月14日⇒五経文法(表音仮名・借字)で記述されています。

※ 停(表音仮名・借字)=てい=丁⇒丁憂 (憂は略字)⇒釈詁に「丁とは、当なり」とある。丁憂あわせて、憂(悲しみ)に遭うこと。服喪⇔丁憂

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%81%E6%86%82

※ 始死⇒荘子の生死観⇒魏・晋時代の文人の礼教道徳及び、後文節の(他人就歌舞飲酒)の狂は達に通じ儒教の概念の道理であると述べた記述。

當時不食肉喪主哭泣(表音仮名・借字)=當=とう=「当然~しなければならない」の意を表わす。當時=とうじ=悼辞=人の死を悲しみいたむ言葉。弔辞 (ちょうじ) 。

  • 葬送儀礼⇒布衣⇒植物繊維で織った布で作った衣服。昔、中国で、庶民は布 (ふ) の衣を身に着けた。死者にそれを着せ掛ける。

 

  • 不食肉喪主哭泣(表音仮名・借字)=不食=ふい=布衣。食肉=いじく=干した肉と塩辛と酒を死者の右側に供える。喪主=そうしゅ=遺族の代表として葬儀を執り行い、故人に代わって弔問を受ける人のことです。

哭(表音仮名・借字)=泣(表音仮名・借字)=哭=こく=哭礼の略⇒遺族は早朝と宵ごとに哭(こく)の礼を行なう。この礼は毎日行なう。婦人たちは、堂の上の定められた位置に並んで哭(こく)の礼を始める。喪主は、西側と南側と東側にならんだ弔問客たちに対して3度ずつお辞儀をし、右にまわって門を入りそのまま哭(こく)の礼を始める。婦人たちは、ふたたび哭(こく)の礼をはじめ、足ぶみをする。弔問客たちが退出すると、婦人たちは堂の上で足ぶみをする。喪主は彼らを見送ってお辞儀をする。喪主は弔問客たちにお辞儀をして見送り終ると、近親者たちに会釈する。おのおの、そこで定められた服喪の仮小屋に帰る。

哭泣(表音仮名・借字)=泣(表音仮名・借字)=哭泣⇒(注 倒語⇒崩御、歿の際に使われる文法)⇐泣哭=泣き叫ぶこと。

【中国古代の葬送儀礼

魂呼び・死亡通知と弔問・死者に衣服を贈る・死装束の準備・湯灌(第1日)・死者へ食べ物を捧げる・死者へ食べ物を捧げる・死装束の着衣と依代(よりしろ)・小斂(死者を衣服でくるむ)の用意・死者を衣服でくるみ縛ること・死者への供物。

 

柩を仮埋葬する・大斂 だいれん・柩を穴に納めること・大斂の供物・弔問客たちの退出・答礼・哭(こく)の礼・埋葬のための土地を占う。・埋葬のための土地を占う。・椁の準備・埋葬日を占う・柩を穴から出す。

 

柩を宗廟に移し、先祖の霊とまみえさせる・魂車と馬とを廟に引き入れる・贈物をする際の儀礼・埋葬の当日、出柩に先だって供物を供える・依代(よりしろ)を門外に運び出し、車馬と飲食物と副葬品とを並べる。

 贈物と副葬品のリストを読み上げる・埋葬。

<でたらめ通説解釈>

殯(かりもがり)する期間は十余日(かりもがり)する期間は十餘日、殯(かりもがり)の漢字・熟語はどこにも記述が無い。

一読して十餘日の殯期間で納得するが、短期間の殯はありえない。

練沐⇒通説造語 【注釈 練沐は存在しない熟語⇒格言・複合詞・合成詞・俚諺(ことわざ)・中国「2字の並び」という意味の「駢字(べんじ)】もありません。

 

其死有棺無槨 封土作冢 始死停喪十餘日 當時不食肉 喪主哭泣 他人就歌舞飲酒 已葬 擧家詣水中澡浴 以如練沐

<解読>

1 他人就(表音仮名・借字)=他人=た=ほか。別の。自分以外の。人=にん=ひと。就=じゅ=つく。つける。仕事や任務につく。

2 他人就歌(表音仮名・借字)=他人=たにん=親族でない人。人就=にんじゅ=忍受=耐え忍んで受け入れること。就歌=じゅか=樹下=樹木の下。じゅげ。

(歌)舞飲酒已葬(表音仮名・借字)=(歌)=か=うたう。節をつけてうたう。音楽にあわせてうたう。舞=ぶ=踊るのは「体を動かして心を落ちつかせ、気持ちを鎮めるため」

※ 『礼記』には、踊るのは「体を動かして心を落ちつかせ、気持ちを鎮めるため」とあり、また度数を決めるのはそれが過度にならないためとある。つまり儀式によって、抑えられた感情を発散する機会が与えられるが、それが行きすぎないように回数が決められたのである。

 

(舞)飲酒已葬(表音仮名・借字)=(舞)飲=ぶいん=音がしないこと。音が聞こえないこと。⇔無言。飲酒=いんしゅ=酒を飲むこと。已葬=いそう=埋葬。

 

擧家(表音仮名・借字)=きょか=炬火=たいまつ。かがり火。こか。

擧家詣(表音仮名・借字)=擧=きょ=あげて。こぞる。こぞって。みな。全部。家=か=一族。同じ血筋の人たち。詣=けい=もうでる 。神社・寺・墓などにお参りする。

 

(詣)水中澡浴(表音仮名・借字)=(詣)水=けいすい=渓水=谷川の水。谷川。水中=すいちゅう=水のなか。澡浴=そうよく=からだを洗い清めること。

 

(浴)以(表音仮名・借字)=(浴)以=よくい=浴衣=入浴の際、また、入浴後に身につける衣服。以=い=もちいる。使う。使用する。

 

如練沐(表音仮名・借字)=如練=じょれん=鋤簾=土砂・ごみなどをかき寄せる用具。長い柄の先に、竹で編んだ箕 (み) 、または歯をきざんだ鉄板を取り付けたもの。⇒櫛。

<注釈>

世界大百科事典内の箕の言及

み【箕】⇒【呪】より

…まじないはいわば目に見えない世界との交渉であるから,それを可視的なものに転換するために呪物がよく用いられる。民俗信仰においては,箕,ほうき,櫛,草履,臼,石,豆,米,針などの日常生活に深いかかわりをもつものが,その機能や形などの一部を抽象化して象徴的に利用されることが多い。穀物と塵芥をふり分ける箕は,この世と異界をふり分けるものであり,また塵芥を掃き出すほうきは赤子をこの世に出す呪物や長居の客を家の外へ出す呪物として使われ,さらに魔よけにも使われる。…

 

日本では古来、櫛は別れを招く呪力を持っているとされている。

 

<解読>

練沐(表音仮名・借字)=練=れん=喪服。一周忌のときに着る白い喪服。沐=ぼく=あらう。髪の毛を洗う。

<要約>

卑弥呼女王の死(崩御)、確かな知らせである。新たに陵墓を作っている、棺はあるが無槨である、並はずれた器量で物事を恐れることなく積極的にしようとする女王で、目に映った印象は(子游・蚩尤)のようだった。生は始で死に繋がり生となる。葬送儀礼(服喪⇔丁憂)西暦239年6月14日。死者に布衣を着せ、した肉と塩辛と酒を死者の右側に供え、哭(こく)の礼を行なう。魂呼び。

  • 子游・蚩尤⇐どちらの人・神を指しているのかはわかりません。已葬=いそう=埋葬にかがり火を焚く。一族。同じ血筋の人たちは、渓水でからだを洗い清める際に、浴衣を使用して髪の毛を洗い櫛で鋤いて白い喪服である。※ 古代中国の葬送儀礼で婦人は服喪、丁憂(ていゆう)⇒白い喪服で約2年間過ごすことが定められていた。弔問者20萬人魏志倭人伝「『三国志』の著者である陳寿(233~297年)の世界観や政治状況は、約37万字に及ぶ『三国志』(それに付けられている裴松之〔372~451年〕の注は、本文に匹敵する約36万字)のすべてに目を通すだけではなく、陳寿の世界観を形成している儒教の経典(けいてん)に通じなければ分からない」と述べている。

 

  • 裴松之〔372~451年〕
  • 供養(弔問儀礼者⇒他人就歌舞飲酒)⇒1萬人
  • 五経文法積算算出>
  •  
  • 自衛の任務以外の親族でない人は樹木の下で女王の崩御を耐え忍んで受け入れ歌舞飲酒している人や、無言で酒を飲んでいる人もいる。

新井白石本居宣長による誤解釈の功罪では済ませられない、でたらめ解釈を連々と引きずる歴史学者・研究者・愛好家等の知識が浅い著作書、講演会は愚かである。

魏志倭人伝  牛馬虎豹羊鵲はいない。馬鹿げた解読。一軍を率いる将軍の綿甲冑(貫頭衣)の背中の刺繡模様と邪馬壹国連合の負け戦の予感記述。

<デタラメ記述>

古代の日本には、もともとカササギは生息しなかったと考えられる。「魏志倭人伝」も「日本にはカササギがいない」と記述している。

種禾稻紵麻 蠶桑 緝績出細紵縑緜 其地無牛馬虎豹羊鵲 兵用矛盾木弓 木弓短下長上 竹箭或鐵鏃或骨鏃 所有無與儋耳朱崖同

魏志倭人伝 補足・解読 15(上) 】

<解読>

種禾稻(表音仮名・借字)=種禾=しゅか=朱夏=赤色を夏に配するところから》夏の異称。《季 夏》。種=しゅ=首。禾稻=かとう=裹頭=かしらづつみ。⇒(注 頭巾のような頭部の防護頭巾)

種禾稻紵麻=種=しゅ=朱色=辰砂=漆の顔料=稲の金糸を刺繡。紵麻=いちび。アサの一種。

(稻)紵麻(表音仮名・借字)=稻紵=とうちょ=頭緒=心の中におこるいろいろな思い。(注釈 現代辞書⇒1 刀に付ける正絹紐⇒江戸時代の紐⇒下緒(さげお)。2 明治時代の軍刀紐⇒刀緒(とうちょ)

<注釈>

※ 陳寿の文脈から推測すると(刀緒(とうちょ)現代辞書には熟語の意味は存在していませんが、⇒(1頭緒==心の中におこるいろいろな思い。)

※ 刀緒(とうちょ)⇒刀紐

<解読>

(紵)麻(表音仮名・借字)=紵)麻=ちょま=苧麻=からむし麻。

<注釈>

※ 苧麻=天然繊維の中で繊維強度が最も強靭(羊毛の4倍、綿の2倍)。水を含むと繊維の強度がさらに60%増す。防護服の繊維。

<解読>

蠶桑緝績出細(表音仮名・借字)=蠶桑=さんそう=攅叢=あつまりむらがること。また、よせあつめること。

<注釈 緻密な漢字構成で記述しています。>

※ 表音は正しくても、該当する熟語の検索が困難こんなんを極めます、該当熟語を深読みして初めて使用した(表音仮名・借字)の意味が判明します。

※ 陳寿の記述の奥深さには驚きをかくせません。

<解読>

桑緝績出細(表音仮名・借字)=桑緝=そうけん=宋謙(注 215年、孫権合肥を攻めたとき、宋謙は一軍を率いて参加した。⇒一旁的宋謙聽了眾人的話,臉上青一陣・白一陣。

(緝)績(表音仮名・借字)=(緝)績=けんせき=蹇碩(官職⇒中常侍)黄門の防衛の蹇碩⇒黄門侍郎(こうもんじろう)は、中国の官職名の一つ。

※ 霊帝に寵愛された。西園八校尉が置かれた時、宦官ながら身体壮健という事で上軍校尉に任ぜられ、その筆頭として近衛軍を統括した。黄門であった蹇碩

※ 秦において、皇帝の勅命を伝達する官職として創始され、漢以降の歴代王朝にも受け継がれた。秦や漢では、禁中の門(禁門)が黄色に塗られていて「黄門」と呼ばれていた。 

出細(表音仮名・借字)=出細=すいさい=水寨。

※ 孫権劉備連合軍は東南の風を利用し、火を点した松明を持ち、曹操軍の水寨を火攻めで攻撃しました。曹操軍の船は一気に燃え尽き、その燃え上がる炎で岸壁が真っ赤に染まったことから、 「赤壁」という名が付きました。孫権劉備連合軍は勢いに乗り攻撃を続けたため、曹操軍は残りの部下をつれて江陵より退散しました。

<苧麻の布地の地色及び刺繡の種類>

1 蹇碩⇒黄色⇒無支祁・虎

2 水寨⇒赤色⇒雉・牛

3 宋謙⇒白色⇒馬・豹

4 宋謙⇒青色⇒鵲・羊

<注釈>

※ 自衛防衛軍の西園八校尉(さいえんはつこうい)の官位の将軍の貫頭衣は上記のように苧麻のキルティング(綿襖甲=めんおうこう)で刺繡されています。

※ 綿襖甲=めんおうこう

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%BF%E8%A5%96%E7%94%B2

※ 西園八校尉(さいえんはつこうい)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%9C%92%E5%85%AB%E6%A0%A1%E5%B0%89

種禾稻紵麻蠶桑緝績出細紵縑緜其地無牛馬虎豹羊鵲兵用矛盾木弓木弓短下長上竹箭或鐵鏃或骨鏃所有無與儋耳朱崖同

【ここからが驚異の解読・歴史史実】

種禾稻紵麻=紵麻=いちび。アサの一種。種=朱色=辰砂=漆の顔料=稲の金糸を刺繡。

不彌國(現在、武雄市)水銀鉱山を統治して卑弥呼の実家、(祖)の國で辰砂、朱、鍍金に使用する鉱物を抑えているので財力は絶大である。

捺染(なっせん)などに使うための、模様を彫りぬいた木。

なせんともいう。繊維に染着性をもつ染料を捺染糊に混ぜてペースト状にして,印捺する染色法。

縑=目を緻密(ちみつ)に固く織った平織りの絹布。かとりぎぬ。かとり。二本の生糸を合わせた糸で、細かく織った絹布。

緜=わた。まわた。

黄・赤・白・青の帆布の貫頭衣に蠶桑 緝績出細=蚕の細い糸で縑で(出)縑=綿を中敷き、(キルティング)にして、金糸で稲の刺繡をし、その麻布(帆布)地の背中の中央に雉・無支祁(むしき、ぶしき)・虎・雉・牛・馬・豹・・鵲(かささぎ)・羊の刺繡貫頭衣⇒綿甲冑。

これは、倭国の先端技術になります、でなければ記述するはずがない。

<刺繡イメージ参照>

https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0008679

※ 波涛飛龍模様陣羽織 - 東京国立博物館 画像

<解読>

紵縑緜其地表音(仮名・借字)=紵=ちょ=苧=からむし。縑=けん=織目を緻密(ちみつ)に固く織った平織りの絹布。かとりぎぬ。二本の生糸を合わせた糸で、細かく織った絹布。

緜其地表音(仮名・借字)=緜=けん=わた。まわた。其=き=その。地=じ=布地。

(地)無牛馬虎豹羊鵲表音(仮名・借字)=(地)=じ=雉。無⇒む⇒無(略)⇒無支祁(むしき、ぶしき)。牛・馬・虎・豹・羊・鵲(かささぎ)

 

※ 無支祁(むしき、ぶしき)は中国に伝わる妖怪である。無支奇、巫支祁(ふしき)とも。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%94%AF%E7%A5%81

鵲(かささぎ)。鳥の名。カラス科の鳥。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B5%E3%82%B5%E3%82%A

<解読>

兵用矛盾木弓(表音仮名・借字)=兵用矛盾=へいよう、む、じゅん、もくきゅう=兵用の矛・盾・木弓。

木弓短下長上(表音仮名・借字)=木弓短下=もくきゅうたんかじょうしょう=木弓は短く。短下=単果(たんか)=1個の花に生じた1個の子房からできた果実。大部分の果実はこれに属する。⇒梅弓・桃弓・桑弓など。

長上(表音仮名・借字)=長上=じょうしょう=上生=〘仏〙 極楽往生の等級の名。上品(じようぼん)・中品・下品に分けて、さらにそれぞれを上中下の三生に分けたものの最上位。 → 九品(くほん)

竹箭或鐵鏃(表音仮名・借字)=竹箭=ちくせん=矢竹⇒矢。或=わく=あるいは。または。ある時(場合)は。鐵=てつ=鉄。鏃=そく=やじり。

或骨鏃所有(表音仮名・借字)=或=わく=あるいは。または。ある時(場合)は。骨鏃=こつせん=骨やじり。所有=しょゆう=自分のものとして持っていること。

 

(有)無與(表音仮名・借字)=(有)無=ゆうむ=生死、勝敗、黒白など対立する二つの概念。與=よ= 「か」と読み、疑問の意を表わす。

儋耳朱崖同(表音仮名・借字)=儋耳=せんじ=儋耳郡⇒(現代辞書⇒だんじぐん)。朱崖同=しゅがいどう=珠厓(郡)。同=どう=同じ運命。

<注釈>

魏國の使節かどのように伝えたか不明ですが、陳寿の論評がきびしいです、これが現実に起こった歴史である。

所有無與儋耳朱崖同=魏國の使者は那 國連合の有無に係る自主防衛を見て将来を暗示する。

所有無與儋耳朱崖同=(論語)中国にかつて存在した郡に儋耳郡(たんじ-ぐん)が存在したが、儋耳郡は珠厓(崖)郡に編入され滅亡した。

所有無(壹與が率いる)儋耳郡は珠厓(崖)郡に編入され滅亡することを暗示。

 

<注釈>

陳寿の記述は儋耳郡(せんじ-ぐん)と表音読みを指示しています。儋=音読み:タン、 セン、 ゼン。

※ 五経文法の積算計算に使用する数なのでセンを指示しています。

儋耳郡(たんじ-ぐん)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%A0%E5%B4%96%E9%83%A1

珠崖郡(海南島

前漢南越国を滅ぼした翌年の紀元前110年(元封元年)、海南島に珠厓郡と儋耳郡が置かれた。郡が置かれてから紀元前86年(始元元年)までの間に、6回の反乱が起こった。紀元前82年(始元5年)、儋耳郡を併合した。紀元前59年(神爵3年)、珠厓3県が反乱を起こした。紀元前53年(甘露元年)、9県が反乱を起こした。紀元前48年(初元元年)、また珠厓郡が反乱を起こした。紀元前46年(初元3年)、賈捐之の提議を受けて、珠厓郡は廃止され、その地は放棄された。

魏志倭人伝 補足・解読 15(上) 】

先端技術で染色、刺繡縫製された軍事服のあでやかさに驚きを隠せない記述。

軍需物資の供給=都=伊都國=吉野ヶ里遺跡だと想定しています。

食料=米=南春米、茜米=赤米の備蓄

衣服の供給=田んぼ面積=ゴルフ18ホール施設=7施設分(約210万坪)×1割(麻栽培畑)=約21万坪=70里×400反=28000反(麻布)×3(三毛作)=84000反

約28000反分の反物が取れます。

1人兵士分の麻布=約28000反分÷(1人兵士分24m)=約42000兵士分しか製作できません。

10万人分を供給するには、1年3回収穫で2年間かかります。

麻の手織り日数=42日間=40反→供給するには邪馬壹国の想定人口が57万人から71万人の想定として老人、男子、子供、を抜いて約10万人の女性が手織をして約100日間かかります。男子は武器の製作(矛・盾・弓・矢)

【コメント】

五経文法漢文につき解読方法は記述できません。

【邪馬壹(臺)国那 國連合の自主防衛武器の数量】

矛・盾・木弓・木短弓 

自衛防衛軍⇒10萬兵に対して⇒矛・盾・木弓・木短弓 (各80000個・張)

竹箭(や=矢、箭=矢竹)

鐵鏃・骨鏃 合計本数⇒8千萬本÷(8萬兵)=1兵員分として(1000本)ですが、戦は1日で終わりません。⇒40日間の短期戦争で使える矢は25本(日)

<注釈>

※ 骨鏃についての検証⇒鹿角素材⇒1頭⇒200個(毎年生え変わる)1000萬本は不可能。⇒代替え鏃⇒石鏃・貝鏃⇒大分県姫島産黒曜石・ウグイスガイ(科)この科に真珠のアコヤガイがぞくしている。

※ 矢竹の採取⇒3年竹以上を採取、最低半年寝かせ、炭火で矯正(矯める)、鋸で裁断。

※ 矢羽根⇒鷹の羽根が最上だが不可能⇒鵞鳥・アヒルの飼育で生え変わる換羽を別名で「鳥屋(とや)」時期に採取。1羽当たり20本の矢としても膨大ば羽根が必要になります。

※ 制作道具⇒のこぎりは古墳時代に現存していました。砥石・麻紐。

※ 矢の保管⇒矢竹は虫食いがあります。防虫保管⇒楠⇒樟脳。

※ 弓の弦⇒材料は、苧(からむし)や麻などの自然界から得た繊維を束ねて用いる。薬煉(くすね)補強のために弦に塗る、松脂を油で煮て練ったもの。

※ 鐵鏃⇒鐵鏃の制作についての記述がないので省略。

<注釈>

邪馬壹国=九州國のなかでどこまでが自主防衛軍に加わったのかは不明です。

【投馬國、伊都國、奴國、不彌國、那國】VS【狗奴國、佐治國、肥□國=名称不明】

【自主防衛の兵士数】

男子兵士・奴婢男子兵士

90,000

婦人・奴婢(女)

10,000

総兵士人員数 

100,000

【狗奴國、佐治國、肥□國=名称不明】

男子兵士・奴婢男子兵士

総兵士人員数

160,000人⇒(NO 13 狗奴國 解読参照)

 

種禾稻紵麻 蠶桑 緝績出細紵縑緜 其地無牛馬虎豹羊鵲 兵用矛盾木弓 木弓短下長上 竹箭或鐵鏃或骨鏃 所有無與儋耳朱崖同

<要約>

朱夏、10萬兵(一軍=12500兵)を率いる八将軍の貫頭衣は黄・赤・青・白の」地に、伝説上の黄色は無支祁(むしき、ぶしき)・虎、赤色は雉・牛、白色は馬・豹、青色は鵲・羊が絹糸・金絲で刺繡がされている。

兵は矛・盾・木弓を持ち、その木弓は単果で梅・桃・桑の最上位である。箭(矢)は鉄鏃あるいは骨鏃で自分の物として持っている。生か死、勝か敗か、いずれにしても、邪馬壹(臺)国連合は儋耳郡(せんじぐん)と同じで 珠厓郡(しゅがいぐん)の狗奴國に反乱をおこされ滅ぶだろう。

<解読についての補足>

刺繡の種類は6種類⇒何かがおかしい。10萬兵(一軍=12500兵)に対して六将軍の刺繡だけ?地=じ=雉。無=む⇒検索キーワード⇒む 動物、む 神話、む 古代中国⇒山海経⇒無支祁(むしき、ぶしき)

これで10萬兵(一軍=12500兵)を率いる八将軍そろいました。

 

<当ブログ前半に記述投稿有り>

男子無大小 皆黥面文身 自古以來 其使詣中國 皆自稱大夫 夏后少康之子封於會稽 斷髪文身 以避蛟龍之害 今 倭水人好沉没捕魚蛤 文身亦以厭大魚水禽 後稍以為飾 諸國文身各異 或左或右 或大或小 尊卑有差 計其道里 當在會稽東治之東

 

倭地温暖 冬夏食生菜 皆徒跣 有屋室 父母兄弟卧息異處 以朱丹塗其身體 如中國用粉也 食飲用籩豆 手食

 

 

魏志倭人伝 貫頭衣 日本歴史の文明を後退させた学者(親鴨)の刷り込みで、(小鴨)の歴史愛好家が、その解釈を疑わない愚かなこと。

今から2000年以上も前の秦の始皇帝や、諸葛孔明らが活躍した三国時代、古代中国の人口は2000万人。古代中国の最盛期といわれる唐王朝時代でも、人口は5000万人。

陳寿は2000万人から選ばれた逸材。西晋に仕えた。司馬炎武帝)にその才能を買われて、三国志を編纂、頭脳明晰な陳寿が記述した史記を日本の浅知恵学者、研究者が薄っぺらな誤訳で論争すること自体がおかしい。

 

魏志倭人伝の後半記述はますます難解になります、五経文法、積算、格言、論語の意味が一字一句の漢字に隠されています、叉、(表音仮名・借字)には漢音・呉音・表外音で構成されています。

【 14 】

其風俗不淫男子皆露紒以木緜招頭其衣横幅但結束相連略無縫婦人被髪屈紒作衣如單被穿其中央貫頭衣之。

【 15 】

種禾稻紵麻蠶桑緝績出細紵縑緜其地無牛馬虎豹羊鵲兵用矛盾木弓木弓短下長上竹箭或鐵鏃或骨鏃所有無與儋耳朱崖同。

<注釈>

関連記述のため、下記を一緒にしました。

  • 原文及び通説は文節と文節に空白(スペース)を設けていますが、熟語が構成できないので漢字と漢字を詰めています。

 

魏志倭人伝 解読 14 】

<注釈>

臨戦態勢の記述。伊都國、奴國、不彌國、那國の自衛防衛軍の訓練を検視した様子の記述で、男子、婦人が一丸となった状態で一糸乱れず軍事演習している様子に魏国の遣使も驚き隠さない記述です、見下した記載はありません。

今までと異なり、むしろ敬意を表した記述になっています。

伊都國、奴國、不彌國、那國の自衛防衛軍10万人の軍事訓練

<注釈・解読>

其風俗(表音仮名・借字)=其=き=その。其風=きふ=帰付=つき従うこと。風俗=ふぞく=身なり。容姿。態度。(注 風俗=ふぞく=付属=付き従っていること。)

不淫男子皆(表音仮名・借字)=不=ぶ=部。不淫=ふいん=訃音(ふいん)=黙っていること。無言。男子=だんし。皆=かい=皆=みな。

 

(皆)露(表音仮名(借字)=(皆)露=かいろ=薤露=《薤 (にら) の葉の上に置く露は消えやすいところから》人の世のはかないことや、人の死を悲しむ涙をいう語。また、漢の田横の門人が師の死を悲しんだ歌の中にこの語があったことから、葬送のときにうたう挽歌 (ばんか) の意にも用いる。

紒以木緜招頭(表音仮名・借字)=紒=けい=髪を束ね。木緜=もくめん=木綿を(招頭=鉢巻)している。

解読されてこなかった史実】

貫頭衣=矢じりからの身体の防御、鎧の役目=前記述で述べた寧波船に使用する帆布のような厚手の生地と意もわれる

緜=辨(剣)=2尺2寸

緜(辨疑べんぎ=剣)=新刀辨疑=刀剣世界では辨疑の語源が不明。

 

其衣横幅但結束(表音仮名・借字)=其=き=その。衣=い=ころも。(注 横=こう=意味⇒左右)(幅=ふく=布のはば)⇒貫頭衣。但=だん=ただ。結束=けっそく=ひもや縄などで結んで束にすること。

横幅=こうふく=公覆=身を挺して誇りを貫く。(注 幅=ふく=腹=腹をくくる。)

 

結束(表音仮名・借字)=衣服や甲冑 (かっちゅう) を身に着けること。

結束(表音仮名・借字)=志を同じくする者が団結すること。

束相連略無縫(表音仮名・借字)=束相=そくそう=「塞聡」は何も聞かないように耳を塞ぐこと。相=そう=占う。相連=そうれん=葬殮=葬送儀礼。日本ではソウレン(葬殮,葬礼)とかノオクリ(野送り)ともよばれる。

(連)略無縫(表音仮名・借字)=(連)略=れんりゃく=「連盟」「連合」などの略。

(略)無縫(表音仮名・借字)=(略)=りゃく=ただ。無縫=むほう=無法=乱暴なこと。また、そのさま。

<要約>

男子の付き従う身なり態度は、皆、無言、露命である、髪を束ね木綿の鉢巻をしている、綿甲冑(苧麻のキルティング=綿襖甲=めんおうこう)の貫頭衣は紐で結び付け、辨疑を付け団結連盟することを占い、塞聡は葬送儀礼のようであるが、ただ無謀なことだ。

魏志倭人伝 解読 14 】

婦人被髪屈紒作衣如單被穿其中央貫頭衣之

<注釈>

婦人被髪屈紒=映画の時代劇等で,戦の時に奥方が頭部背後で髪を結んでいるさま。

 

<解読>

婦人被髪屈紒(表音仮名・借字)=婦人=ふじん=(戸籍がある正妻・妾)(注 本来の意味⇒髪の毛を結ばずに振り乱すこと。)屈紒=くつけい=髪を結ぶ。髪を束ねる。

作衣如單被穿=作衣=さい=作業着をまとい。如=じょ=ごとし」と読み、「~のようだ」「~のようである」の意を表す。(單=ぜん=ひとえ。裏地のない衣。)被穿=ひせん=卑賤=地位・身分が低いこと。(奴婢)

<注釈>

穿= はく。ズボンをはく。衣服を身につける。

其中央貫頭衣之=その上から貫頭衣服まとっている。

奴婢(單=一重)の作衣=奴婢が(單=一重)なら婦人は重ね着をしていた。

穿=下半身に衣類をつける=袴のような下衣と思われる。

※ 貫頭衣の下は前合わせの着物で、下半身は袴と同等の衣服。

<解読>

(穿)其中央(表音仮名・借字)=(穿)其=せんき=戦旗=戦争のときに用いる旗。其中=きちゅう=基柱=基本となる柱。中央=ちゅうおう=まんなかの位置。

 

其中央貫頭衣之(表音仮名・借字)=其中=きちゅう=貴胄=貴い家柄の人。貴族、華胄。央貫=おうかん=往還=行き来する道、道。

 

(央)貫頭衣之(表音仮名・借字)=(央)貫=おうかん=横貫=横に貫くこと。⇒貫頭衣の脇下が開いていること。

之(表音仮名・借字)=之=し=姿。

<注釈>

※ 貫頭(表音仮名・借字)=かんとう=敢闘=勇敢に戦うこと.

<解読>

頭衣(表音仮名・借字)=頭衣=とうい=擣衣=砧 (きぬた) で衣を打つこと。

<注釈 補足⇒砧のことまで詳細に説明している>

砧(きぬた)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%A7

厚布を棒に巻き付け、その上に織物の表を内側にして巻き付け、さらに外側を厚手の綿布で包み、これを木の台に乗せ、平均するように槌(つち)で打つのである。

上記の用法の他、装束に使う絹布などは糊がついておりこれを柔らかくし、光沢を出すために砧で打つことが行われる。こうしてできた衣を打衣といい、女房装束に用いられる。古来は単衣のすぐ上五衣の上、中古以来は順番が異なり表着のすぐ下に着られるものになる。

<要約>

婦人は頭部背後に髪を結んでいる、作衣に袴を着けているようである、卑賤は一重の作衣に袴を着けているようである、その上から貫頭衣服まとっている。

行き来する道の中央には柱に戦旗があり、婦人が勇敢に戦う姿である。

<注釈>

連=連 量(れんりょう)紙の単位=100枚

<注釈 補足⇒10萬兵の記述根拠>

※ 連の100は理論的に理解できます、では千(1000)の積数はこじつけで穿=せん   =

千(1000)と解読できます。

 

※ 陳寿の記述はそんなに単純ではありません、五経積算の加算が1000の正数にならないと、表音(仮名・借字)に導かれません。

 

 

※ 100×1000=100,000⇐(掛算を指示する文法は存在するのか?⇒魏志倭人伝史記古事記・日本書記の節文には、表音(仮名・借字)で和算(か・ひ・じょう・じょ)が存在します。

 

※ 古事記・日本書記の記述の編纂時に新たに作られた漢字(西暦700年前後)で、積算計算に使われている日本独自の積算漢字(弖⇒現代辞書の読み音・訓⇒て⇒でたらめ解読。弖⇒きゅう⇒積数⇒8(八)。氐⇒てい⇒3(三)。

※ 古事記・日本書記 歌曰の記述には基本的に存在しない、記述に存在した場合は西暦700年前後の加筆(弖・氐、踊り字、躍り字⇒々)

※ ワカタケルの剣はでたらめ。叉稲荷山古墳の中で発掘されていない、古墳の頂上の神社遺跡で発掘、解釈もでたらめ。

※ 今回は表音(仮名・借字)=淫=いん=因⇒掛算を指示。 

※ 男子・婦人・武器等の積数は別々の計算を指示しています。

1000連=100,000兵士の軍事訓練の様子。

魏国の使節もすごい観察力で検分し、記述しているのに驚きました。

魏志倭人伝 里を何が何でも距離にする学者・研究者・小説家・愛好家にはあきれ果てる。(里⇒距離×大誤訳)・面積。

著名な歴史学者・研究者ほど、自己防衛本能が働き、異論を唱えたがる現状は見苦しい。

12

其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 自郡至女王國 萬二千餘里

 

其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 自郡至女王國 萬二千餘里は狗奴國の領地面積

 

壬子(みずのえね、じんし)=西暦232年4月29日~5月卯日

 

<解読>

其南有狗奴國男子為王=其、南に有り、狗奴國で男子の王(注 イザナギ)が統治。

<所在地>

邪馬壹(臺)国より、南に六十里

60里×0.444km=26.4km

熊本県菊池市(邪馬壹(臺)國の國境~熊本県菊池市近郊)

其官有狗古智卑狗不屬女王=(其=その)國は官位を有し、いやしい老年の官が物事を処理している、狗奴國は(卑弥呼)女王國には不属である。

官= 1 (借字=坎日=5月の卯 (う) 。=日=にち=不明)母倉日 ※ 旧暦法でこの時代の卯の日が不明。

官= 2 官職。

狗古=いやしい老年。

卑=卑弥呼の略。

自郡至女王國 萬二千餘里=自らの女王國の郡をおき、國の領土は一萬二千餘里。

萬二千餘里=自郡至女王國の領土面積。距離ではありません。

餘=実測検分測量をしていないので、餘を記述する。

 

<注釈>

この一章節は批判的な記述とります、イザナギの統治する國で狗奴國の女王國。

積数、一萬二千里=大牟田市の北側を除く。(堂面川以南)大牟田市(面積、81.45km2-18.80km2)+荒尾市(面積、53.37km2)を合わせた面積(郡は別)=120.00km2

 

※ 東京都の場合は大田区・世田谷区を合わせた面積と同等。

 

<狗奴國の軍隊兵員数>

積数、十六萬兵(160,000兵)

 

陳寿の記述で実測距離は経典(四書五経)の漢文(借字)特殊文法活用で実測距離は積算算出して表れます。(面積=露田=伊都國・奴國、不彌國・狗奴國ー領地)

1 距離

2 面積

3 兵数

 

<注釈>

陳寿の記述で(餘)の使い方。

倭國に魏國の遣使として赴任するまでの行程距離に関しては□□□餘里、面積(露田)の実測値⇒□□□里⇐面積。

又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國 官亦日卑狗 副日卑奴母離 方可三百里 多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴

※ 例外⇒方可三百里⇒島の海岸線長を実測しているので距離でも餘は記述していません。

※ 一萬二千餘里。⇒実測していない。 

※  自郡 

<説明>

ぐんけん‐せいど【郡県制度】

中国の中央集権的な地方行政制度。全国を皇帝の直轄地として郡・県(時代によって名称は異なる)に分け、中央から役人を派遣して治めさせたもの。春秋時代に萌芽が見られ、紀元前二二一年、秦の始皇帝が全国的に施行。のち二千年にわたり行なわれた。

 

<要約>

その南60里に狗奴國が有、男子(為=統治する。)王、その國の官職は卑しい老年で、卑弥呼女王國には不属。自群の女王國の領地は一萬二千餘里。

 

陳寿の記述により魏志倭人伝が編纂され、序章としてイザナギスサノオの批判が始まります。>

※ 第一弾がその國の官職は卑しい老年で、卑弥呼女王國には不属。後半記述は強烈な批判になります。

※ これが古事記・日本書記の編纂時に問題となり、削除される要因になりました、(氣長足尊 神功皇后記)に三文節記載されていますが、

古事記の序文に直接中国とは名指しで説明していませんが、批判の多い史記は記述しないと書かれています。この記述部分は、すべての学者が解読できていません。

 

※ 古来より、時の政権に都合の悪い史記は記述から削除されていると思われます。

 

<事例>

浅知恵学者の解読例と異なる正しい解読。

<解読>

隋書/卷81

倭國

派遣第一回 開皇20年(600年)

開皇二十年、倭王姓阿每字多利思比孤號阿輩雞彌遣使詣闕。

倭王姓阿每字(表音仮名/借字)=倭王=わおう=倭國の王。姓阿=せいあ=井蛙=井戸の中にいるカエル。見識の狭いこと。每字=まいし=昧死=死をかえりみず、あえて申しあげること。中国で古来、上奏文に用いられる語。

多利思北孤(表音仮名/借字)=多=た=多くの。利=り=吏。思=し=之。北孤=はいこ=這子=幼児の這い歩く姿をかたどった人形。

孤號阿輩(表音仮名/借字)=孤號=ここう=股肱=「股肱」で手足の意》主君の手足となって働く。阿=あ=おもねる。こびる。へつらう。輩=はい=やから。ともがら。仲間。同類。群れ。

雞彌遣使詣闕(表音仮名/借字)=雞=けい=鶏。彌=み=見=みる。みえる。遣使=けんし。詣=けい=いたる。おとずれる。ゆく。到着する。闕=けつ=宮殿。宮城。天子のいる所。

 

隋書/卷81 参照

https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%9A%8B%E6%9B%B8/%E5%8D%B781?uselang=ja

12↑ 多利思比孤 「比」原作「北」,據北史倭國傳、通典一八五、通鑑大業四年改。下同。

※ 比=ひ=解読できません。

<通説>

「俀王姓阿毎字多利思北孤 號阿輩雞彌」とあり、姓は阿毎、字は多利思北孤、号は阿輩雞彌という

姓は阿毎(あめ)、(毎=まい・ばい)としか音読みしない、めとは読まない。字は多利思比孤(たりしひこ)。

※ 解読できないと、王の名前・官職等にこじつける通説を納得しているのか疑問を呈す。

 

<要約>

倭國の王は井の中の蛙である、多くの吏は幼児のように這いつくばる人形のようである。

倭國の王に手足となって働きへつらうやからは、鶏に見える遣使が宮殿に到着する。

 

※ 日本書記から第一回の遣隋使の記述を抹消。

※ 奈良時代の初期までは五経文法を解読できたが、それ以後は消滅のため解読不可。

 

<通説による刷り込みに毒されている閲覧者の皆様へ>

伊勢王(いせおう)⇒どこの王なのか、永遠に探しつづけるのもいいかもしれない。辞書では?-? 飛鳥(あすか)時代の官吏。

 

<解読>

伊勢王表音仮名(借字)プラス再音読文字=伊勢=いせい=為政=政治を行うこと。勢王=せいおう=聖王=徳があり立派な政治を行う王・君主を意味する。

伊勢王の次にくる漢字(王薨=おうこう=王公。薨=皇族または三位以上の貴族の死去をいう語。)誄=るい=日本古代以来、貴人の死を哀悼し、生前の功績・徳行をたとえ、

追憶する弔辞。 誄詞(るいじ)とも呼ばれる。 大王(天皇)には殯宮で奏され、功臣の棺前にも賜ったものである。

與=よ=あたえる。(王大=おうだい=王代=帝王が治めている時代。

※ 何時の世も同じである。