十市皇女 生母は鏡王女額田姬王、通説、全く根拠のない解釈。
「明日香清御原宮天皇代 天渟中原瀛真人天皇謚曰天武天皇 十市皇女参赴於伊勢神宮時見波多横山巌吹芡刀自作歌」
【疑問】
全く根拠のなく、単に、漢字を羅列、誤解釈しているだけ、【吹芡刀自】⇒【解読していない】
(飛鳥浄御原宮を治められていた天皇代 天武天皇 / 十市皇女が伊勢神宮に参拝された時、波多の横山にある大きな石を見て吹芡刀自が作った歌)とあります。
【疑問、注釋】
1 十市皇女が伊勢神宮に参拝された時、何時【十市皇女の年齢?】
【見波多横山巌吹芡刀自作歌】⇒⇒【見波多横山巌吹芡刀】
【十市皇女】⇒【自作歌】⇒【漢字数:9文字】⇒【見波多横山巌吹芡刀】
解読できないのに、こじつけが通説、なさけない。
<注釈>
【天武天皇】二年春正月丁亥朔癸巳、置酒宴群臣。二月丁巳朔癸未、天皇命有司設壇場、卽帝位於飛鳥淨御原宮。
【天武天皇】四年春正月丙午朔、丁亥、十市皇女・阿閉皇女、參赴於伊勢神宮。
十市皇女(3歳~5歳)
【伊勢神宮】⇒【鄙啚乎・卑弥呼⇔天照大日孁尊臺與・臺崇・乃與月夜見尊】⇔【國替え:陵墓】⇔【伊勢神宮】
見波多横山巖 吹芡刀自作歌
<解読>
見波多横山巖=けんはたこうせんがん
見波=見える波は
多横(表音仮名(借字)=多横=たこう=多幸=爽快な気分で、
横山(表音仮名(借字)=横山=こうせん=香煎=麦焦がし,麦粉菓子
山巖(表音仮名(借字)=せんがん=千貫=千貫に値する=転じて、非常に重いことや高価なこと。
巖(表音仮名(借字)=がん=巖・含・願=けわしい。けわしい所。切り立った所で、
(香煎)含=ふくむ。口の中にいれ、願=神仏にねがい祈る。
<解読>
吹芡刀自作歌=すいけんとうしさか
吹芡=吹=すい=ふく。口をとがらせて息をはく。芡=けん=鬼蓮(おにばす)。スイレン科の水草の名。
刀自=刀=とう=ふね。小さいふね。小舟。自=し=みずから。自分から。自分で。
作歌=作=さ=つくる。新たにこしらえる。歌=か=うたう。節をつけてうたう。音楽にあわせてうたう。
<要約 1 >
(3歳~5歳)の女の子が香煎を口に含みながら歌う詩です。
険しい所で見える海の波は千貫に値すると神仏に願い祈る
【補足】
日本書記、天武天皇記(下)記述。
二年春正月丁亥朔癸巳、置酒宴群臣。二月丁巳朔癸未、天皇命有司設壇場、
有司設壇場(表音仮名(借字)=有司=ゆうし=猶子=兄弟・親類または他人の子を自分の子としたもの。義子。養子。義理の子。養子。
一般的に家督や財産などの相続・継承を目的としない点で養子と異なっており、子の姓は変わらず、仮親が一種の後見人としての役割を果たすなど、養子と比べて単純かつ緩やかで擬制的な側面が大きい。
設壇場(表音仮名(借字)=設壇場=せつだんじょう=截断じょう=物をたちきること。つながりやかかわりをきり離すこと。
老皇族の扶養・皇子、皇女の養子縁組の記述、血縁が遠い老皇族+皇子、皇女の縁組の場合は官位の他に、恩賞付
【猶子】<官位が与えられる再婚>
立正妃爲皇后
后生草壁皇子尊
先納皇后姉大田皇女爲妃、生大來皇女與大津皇子。
與=よ=一緒に引き取る。
次妃大江皇女、生長皇子與弓削皇子。
次妃新田部皇女、生舍人皇子。
<やや皇族の血縁が遠い皇族>
又夫人藤原大臣女氷上娘、生但馬皇女。
又夫人藤原大臣女氷上娘(表音仮名(借字)=評(群)上=上郡は十二~十五里、を賜う。
次夫人氷上娘弟五百重娘、生新田部皇子。
次夫人氷上娘弟五百重娘(表音仮名(借字)=評(群)上=上郡は十二~十五里+醍醐=乳牛100獣(頭)を賜う。
次夫人蘇我赤兄大臣女大蕤娘、生一男二女、其一曰穗積皇子・其二曰紀皇女・其三曰田形皇女。
次夫人蘇我赤兄大臣女大蕤娘(表音仮名(借字)=蕤=ずい=冠や旗などの垂れ飾り。
【猶子】<官位が与えらっる再婚>
天皇初娶鏡王女額田姬王と男系天皇の正統な血筋を継承する(生=生きている人間)十市皇女(3歳~5歳)とおもわれます。)
鏡王女額田姬王と額田王の養女と一緒の再婚縁組
【鏡王女額田姬王:53歳】【十市皇女(3歳~5歳)】⇒【四年春正月丙午朔、丁亥、十市皇女・阿閉皇女、參赴於伊勢神宮。】【十市皇女(3歳~5歳~7歳)】
天武天皇7年(西暦678年)
『七年春正月戊午朔甲戌、己亥、霹靂新宮西廳柱。庚子、葬十市皇女於赤穗。』【十市皇女(3歳~5歳~7歳~10歲)】⇒【仮説;參赴於伊勢神宮⇒A:3歳⇒7歳】【B:5歳⇒8歳】【C:7歳⇒11歳】
【通説、根拠なき想像説】
「十市皇女、卒然に病発して、宮中に薨せぬ」と記されていた。このため天皇の行幸は中止となり、斎宮での祭りもなくなった。
皇女は4月14日に大和の赤穂の地に葬られた。この際父の天武天皇が声を出して泣いたという。
死亡時、十市皇女はまだ30歳前後であり、この不審な急死に対しては、自殺説・暗殺説もある。
【補足】
『【赤穗:せきすい】⇔【音韻⇒假借】⇔【寂祟:せきすい:仏教で、人の死ぬことをいう。】』
※ 【鏡王女額田姬王】⇔【天武天皇⇔嫁⇔段位(姬)】⇔【猶子】【藤原朝臣大嶋】⇔【鏡王女額田姬王:53歲】【十市皇女:十市皇女(3歳~5歳)】
【額田姬王⇒生誕:西暦:621】⇒【西暦673年:天武2年⇒額田姬王⇔鏡王女(52歳)⇔内大臣藤原⇔藤原朝臣大嶋】⇒
【西暦701年:大寶元年12月】⇒【乙丑大伯内親王薨天武天皇皇女也是年夫人藤原氏誕皇子【聖武】也】⇒【鏡王女額田姬王:81歳薨】⇒【諡号:牽牛子】
【薨】⇒身分の高い人の死。日本では、皇族および三位(さんみ)以上の人の死。 「薨去・薨御・崩薨」
【西暦701年:大寶元年12月】⇒【乙丑⇒西暦701年11月30日⇒深夜⇒乙丑⇒12月1日】⇒
【大伯内親王】⇒【固有名詞ではありません】⇒【大伯】【内】【親王】⇒【尊称】
閲覧者の方も【周禮五行基軸文法】を用いて解読すれば理解できます。
※ 当方は【鏡王女額田姬王】⇒【万葉集等に分類されている14詩、歌】⇒【解読検証】しています。
『莫囂圓隣歌』(ばくごうえんりんか)とは、『万葉集』に収録されている額田王の歌のうち、巻1の9番歌の俗称。『万葉集』で最も著名な難訓歌である。
全く根拠のないデタラメ解釈。
【補足】
【莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本】⇒【解読検証⇒完了】
【鏡王女額田姬王】は通說、俗說の人物ではありません、古代中國の属國【倭】を独立に向け朝廷を支えた【女性宰相・国務長官】⇒【五幾七道⇒額田部を配置】
【歌、詩】の内容は【律令】に関連する手記が多く【八色の姓】【五幾七道】【田令】【遷都】【斉明天皇・天智天皇:陵墓・漏刻の詳細寸法及び太皷の刻限】【聖武天皇から㐂寿の祝いに醍醐を賜った】
【聖武天皇⇒幼少⇒珂瑠】に藤原朝臣大嶋】⇔【鏡王女額田姬王】が樟棋(将棋)のルールを教えている様子。
このへんで、省略、意見、異見のある方は投稿してください。
【猶子】<養子縁組>
次納胸形君德善女尼子娘、生高市皇子命。
次納胸形君德善女尼子娘(表音仮名(借字)=天武天皇が命名、同じ母体から生まれた双生児の長兄。
次宍人臣大麻呂女□媛娘、生二男二女、其一曰忍壁皇子・其二曰磯城皇子・其三曰泊瀬部皇女・其四曰託基皇女。
次宍人臣大麻呂女□媛娘(表音仮名(借字)=女=じょ=除=官職につける。任命する。□媛=こうえん=公の庭園付屋敷。
【結論】
【AIによる古典、古代中國正史、古事記日本書紀】は【周禮五行文法法則】を構築しないと解読できない。
【倉頡輸入法】⇔⇔【真逆文法】⇒【偏旁】⇒【字根】⇒【解体・解字】⇒【表音假借・音韻】⇒【周禮五行基軸文法】【言為禮制度⇔天子・御史⇔隷書=臣下】⇒【深層学習(ディープラーニング)】
問題は、【生成的人工知能モデルは、訓練データの規則性や構造を訓練において学習することで、訓練データに含まれない新しいデータを生成することができる。ジェネレーティブAI、ジェネラティブAIともよばれる。】
上記の記述【訓練データの規則性や構造を訓練において学習】ができない、それは【黃帝、倉頡】作の漢字を基軸びして、周禮五行基軸文法で書かれた正史等と、現在、漢字圏で認識している【漢字】に大きな隔たりがあるからである。
【周禮五行基軸文法】を構築し、アルゴリズムとして組み入れない限り、永遠に【AI解読】は進まない。
【事例】
先秦兩漢 - 既者何,盡也 - 中國哲學書電子化計劃 (ctext.org)
《春秋公羊傳》
桓公三年: 秋,七月壬辰朔,日有食之,既。既者何?盡也。
桓公三年: 秋,七月壬辰朔,日有食之,【旣】既。【旣】既者何?盡也。光明滅盡也是後滅鄧殻上偕稱。
【解字、解読法】
【漢字一字】⇒【偏旁、字根】⇒【日⇒口・一】
『【旣】既』⇒皀【1旡=漢音 : キ】⇒【2旡=漢音 : キ】⇒【白⇔八卦⇔口⇔以音:漢音 : コウ】匕⇒【乚漢音 : オツ,オチ,イン,ゴウ】丿⇒⇒【皀=呉音 : コウ(カゥ)、コウ、ヒキ。漢音 : キュウ(キフ)、キョウ(キャゥ)、ヒョク】
『【日有食之,既。既者何?盡也】⇒【旣⇔既】』⇒【日旣:光輝】⇒【日旣:杲杲】⇒【日旣:光陰】⇒【日旣:皓皓】⇒【日旣:恒久】⇒⇒【既既⇔倒語⇔既日】⇒【希×覯/×稀×覯】
【月蝕の様子を2文字】で表現しています、【文法⇒三言・五言】⇒【FBI】⇒【CIA】は理解できるが、【三言・五言】は理解できない。
【英語: English 発音: ['ɪŋɡlɪʃ] イングリッシュ】⇒⇒【AM⇒発音・表音・音韻⇒エーエム?:I am⇒アイ アム】どのような根拠で使い分けていますか。
【漢字】⇒事例⇒【宮⇒宮(みや、きゅう、ぐう、く)】⇒明確な音韻・表音の使い分けを知識として持たれていますか?
『【古代中國⇒天符・玉符・賦・丿⇒音韻⇒、ぐう】』⇔【言為禮制度】⇔【孔子曰:「臣語其朝廷行事,不論其私家之際也。」】⇒【宮⇒宮(きゅう)】
爾雅(じが、拼音: Ěryǎ)は、中国最古の類語辞典・語釈辞典・訓詁学書。
儒教では周公制作説があるが、春秋戦国時代以降に行われた古典の語義解釈を漢初の学者が整理補充したものと考えられている。『漢書』芸文志には3巻20篇と記載されているが、現行本は19篇である。
【補足】
【儒教では周公制作説があるが、】⇒⇒【爾雅】【爾雅頤氏音⇒麗⇔八卦離⇒雉⇔爾⇔れい‐じ【隷字】⇒錯引雅注五條考健為文學⇒れい‐か【隷下音義】⇔【爾雅音義】】
【天子:天符・玉丿・玉符・賦・丿】⇒⇒【隷下⇔臣下】⇔⇔【隷下音義】⇔【爾雅音義】】
【結論、事例】
【古代エジプト】
紀元前3000年頃にはヒエログリフとヒエラティックが使い分けられていた。ヒエログリフは神聖なものとされ、神や、それと同等であるとされたファラオを称える石碑や神殿、墓などに刻まれた。神聖文字とも言われる。
この当時、文字というものはその王朝の文化や学問がいかに発展しているかを示す象徴であった。古代エジプトでは、こうした背景からヒエログリフは特に重要視され、学習するものはごく限られた高い経歴をもつ者に限られた。
【解読の歴史】
中世を通じてもヒエログリフは多くの人々の関心を惹き付けていた。近代に入ると多くの学者達がヒエログリフの解読に挑んだ。
特に有名なのは16世紀のヨハンネス・ゴロピウス・ベカヌス(英語版)と17世紀のアタナシウス・キルヒャーであるが、解読に失敗したり、全く根拠のない独自の解釈に終わった。
【注釋】
【古代中國の漢字圏】⇒⇒【古代中國の正史】【倭⇒日本⇒古事記・日本書紀】
現在、使われている漢字とは、全く別で『【字根】【偏旁】【表音假借】【音韻】【周禮五行基軸文法⇒言為禮制度⇒周時代⇒前漢・後漢⇒玉丿符・賦⇒改定⇒唐時代、以後、消滅】』
『現在は全く根拠のない独自の解釈をしている。』
古代漢字の解読に至っていない。
初めて解読に成功したのは19世紀のフランス人学者ジャン=フランソワ・シャンポリオンであり、彼はキルヒャーの収集した資料を研究し、ロゼッタ・ストーンの解読を行うことで読み方を解明した。
これが突破口になり、その後も研究が進んだため、現代ではヒエログリフは比較的簡単に読むことができる。
【重要なキーワード】
《重み》が変化することで「学習」が起きる(ここが重要なのである)。
【事例】
Deep Learning⇒深層学習⇒深層文脈。
先秦兩漢 - 馬頭人為長,人持十為斗,虫者,屈中也。 - 中國哲學書電子化計劃 (ctext.org)
【諸生競逐說字,解經誼,稱秦之隸書為倉頡時書,云:「父子相傳,何得改易!」乃猥曰:「馬頭人為長,人持十為斗,虫者,屈中也。」】
《字書》⇒《說文解字》⇒《卷一》⇒《序》⇒【最重要】⇒この文節が解読、理解できないと、古代中國の正史、古事記・日本書紀は永遠に読めない。
【AIでも解読は難しい】
歴史を『読み解く』: AI で日本の古文書の膨大な文章をより多くの人々へ | NVIDIA
【補足】
Aiに【古代中國の周禮五行基軸文法】を学習させないと生成AIに行きつかない。
又、生成AIに【漢字⇒旧字体⇔新字体・略体】認識をさせ【解字文法】【言為禮制度⇔玉符・賦・丿⇔隷書(臣)⇔華兮【丂】假借・六書等】【周禮五行】を学習させ必要があります。